玉勝間 / 十の巻 吉志舞
北山抄、大嘗會午日處に云、次安倍氏奏吉志舞、五位以上引之、設床子等如前、作高麗亂聲而進、舞者廿人、樂人廿人、安倍吉志大國三宅日下部難波等氏供奉、寛平記云、三四人着六位袍闕腋、打-懸甲冑、執棒。承平記云、於舞臺西奏之、引頭二人立臺下、舞人在前後端者、服甲冑、在中間者、幞頭冠末額褐衣補襠、皆執楯戦舞酣刀云云。
新字:北山抄、大嘗会午日処に云、次安倍氏奏吉志舞、五位以上引之、設床子等如前、作高麗乱声而進、舞者廿人、楽人廿人、安倍吉志大国三宅日下部難波等氏供奉、寛平記云、三四人着六位袍闕腋、打-懸甲冑、執棒。承平記云、於舞台西奏之、引頭二人立台下、舞人在前後端者、服甲冑、在中間者、幞頭冠末額褐衣補襠、皆執楯戦舞酣刀云云。
書き下し
北山抄、大嘗会午の日の処に云う、次に安倍氏吉志舞を奏す、五位以上之を引く、床子等を設くること前の如し、高麗の乱声を作して進む、舞う者廿人、楽人廿人、安倍・吉志・大国・三宅・日下部・難波等の氏供奉す、寛平記に云う、三四人六位の袍の闕腋を着し、甲冑を打ち懸け、棒を執る。承平記に云う、舞台の西に於て之を奏す、引頭二人台下に立つ、舞人の前後の端に在る者は、甲冑を服し、中間に在る者は、幞頭冠・末額・褐衣・補襠、皆楯を執りて戦い舞う、酣にして刀云々。
現代語訳
北山抄の大嘗会の午の日の箇所にいう。「次に安倍氏が吉志舞(きしまい)を奏する。五位以上の者がこれを先導する。床子(腰掛け)などを設けることは前のとおりである。高麗楽の乱声(らんじょう)を奏して進む。舞人二十人、楽人二十人。安倍・吉志・大国・三宅・日下部・難波などの氏が奉仕する。寛平記にいう、三、四人は六位の闕腋(けってき)の袍を着て、甲冑を肩に掛け、棒を持つ。承平記にいう、舞台の西でこれを奏する。先導役二人が舞台の下に立つ。舞人のうち前後の端にいる者は甲冑を着け、中ほどにいる者は幞頭の冠・末額(まっこう)・褐衣(かちえ)・補襠(うちかけ)を着け、みな楯を持って戦いの舞をし、たけなわになると刀」云々。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 大嘗会の斎場この書の初若菜の巻のはじめに出だせる、中臣の寿詞の中に、大嘗会の斎場とある、会の字は、宮の誤りなるべしと云いて、みやと訓めるはおのれふと心得たがえたるにて、なかなかに誤りなりき。本のままにてよろし。大嘗会の三字を、おおにえと訓むべし。斎場は、別に北野に於て、その地をト定めて、構え造らるる事にて、大嘗宮とは別なり。九月下旬、悠紀・主基二国より齎し参れる、諸の物も人も、まず斎場に詣でて、そこにてくさぐさの事有りて、十一月祭の当日に至りて、斎場より大嘗宮に運び奉る。その行列など、儀式に委しく見えたり。またはじめ二国の斎郡にも、斎場を構えて、物することなれば、ここはその国の斎場を云えるか、はた京の斎場か、いずれにても有るべし。
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞相候は、儀式には相仕、大嘗祭式には共作と有り。これらを合わせて思うに、仕も候も誤りにて、相作なるべし。由志理伊都志理は、由は斎、伊都は厳にて、共に斎い清めたること、志理は、斎まわり清まわりの、まわりの如き、辞と聞こえたり。日時撰撰定、こはいつも定まれる事なるを、かく申すは、上代には、その度々撰びて定めしにや。さてその代の詞のままに、後までも申せるか。赤丹乃穂仁毛の毛の字は、衍なり。後の人、この言の意を知らず、ただ上に二つ仁毛と有るにならいて、みだりにここにも加えたる物なるべし。明御座弖の弖は、かならず止と有るべき所なり。相嘗は、阿比爾閉と唱うべし。爾閉を牟倍と唱うるは、後の世の音便にくづれたる唱えなり。大嘗も、大爾閉なるを、大牟倍と云うと同じ。さてこの相嘗は、天皇と相伴に、新饗し奉る意の名にて、俗に云わゆる相伴の心ばえなり。さる故にこの祭は、必ずしもその神社の尊き卑きにもよらず、必ず預かり給うべく思わるる神にも、預かり給わぬ多し。これ殊に故有りて、預かり給うは預かり給うなるべし。その神七十一座おわしまして、四時祭式に見えたり。
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『玉勝間』七の巻 御世御世の大嘗月日悠紀主基国郡寛治元十廿二御禊、十一十九丁卯大嘗、近江甲賀郡、備中賀夜郡、御屏風、伊房書く、鳥羽、天仁元十廿一丁酉御禊、十一廿一丁卯大嘗、近江甲賀郡、丹波氷上郡、御屏風、定実章綱書く、崇徳、保安四十十五甲午御禊、十一十八丁卯大嘗、近江甲賀郡、備中下道郡、御屏風、近衛、康治元十廿六乙酉御禊、十一十五癸卯大嘗、近江野洲郡、丹波氷上郡、御屏風、定信書く、後白川、久寿二十廿九癸卯御禊、十一廿三丁卯大嘗、近江甲賀郡、丹波氷上郡、御屏風、朝隆書く、二条、平治元十廿一辛未御禊、十一廿三癸卯大嘗、近江坂田郡、丹波氷上郡、御屏風、伊行書く、六条、仁安元十廿七丁酉御禊、十一十五乙卯大嘗、近江坂田郡、丹波多紀郡、御屏風、伊行書く、高倉、嘉応元十、廿一己酉御禊、十一廿二辛卯大嘗、近江甲賀郡、備中賀夜郡、御屏風、朝方伊経書く、安徳、(延引の初例)寿永元十御禊、十一廿四辛卯大嘗、近江野洲郡、丹波氷上郡、御屏風、朝方伊経書く、後鳥羽、元暦元十御禊、十一十八癸卯大嘗、近江甲賀郡、丹波多紀郡、土御門、建久九十廿七辛卯御禊、十一廿二乙卯大嘗、近江野洲郡、備中英賀郡、順徳、建暦二十廿二庚子御禊、十一十三乙卯大嘗、近江甲賀郡、丹波氷上郡。
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