玉勝間 / 六の巻 賀陽院歌合
青地小文錦、右、紫檀消坏臺上、居銀消盃也、左右立筆一雙、墨一如唐人硯臺邊立和歌書五卷、打數赤地小文錦、和哥書物卷文各五卷、(春夏秋冬祝、各一卷、瑠璃軸、色色之色紙、下繪、左方女繪、右方男繪、皆書哥情歟、美麗過差無極)歌人、(左、女房、中納言君、筑前君、周防掌侍、讃岐君、紀伊君、信濃君、攝津君、右男房、通俊卿、匡房卿、顯綱朝臣、正家朝臣、賴綱朝臣、俊賴朝臣)次召講師、(左、右大辨基綱朝臣、衣冠、右下官、直衣)各各講之、帥大納言爲判者、中宮大夫執筆紙、毎度勝負、先春夏秋冬祝、次第如此、夜及參半、歌講之間、居菓子肴物、(大殿陪膳、左少將有宗朝臣、左府殿下、地下四位、左府有宗朝臣、殿下〓家朝臣)初獻無勸盃、第二獻皇大后宮權大夫、次移居對南面饗饌於此座、頻盃酌、及曉更事了、次召管絃具、有御遊、帥大納言(琵琶)、藤大納言(箏)、左大將(笛)、政長朝臣(拍子)、予宗輔(共笙)、皇大后宮權大夫(付哥)、呂、安名尊鳥破、律更衣太平樂破三臺急、前池儲船樂、(樂人等令奏、布衣或冠)次牽出物馬三疋、(關白左大臣帥、)人人退出。
新字:青地小文錦、右、紫檀消坏台上、居銀消盃也、左右立筆一双、墨一如唐人硯台辺立和歌書五巻、打数赤地小文錦、和歌書物巻文各五巻、(春夏秋冬祝、各一巻、瑠璃軸、色色之色紙、下絵、左方女絵、右方男絵、皆書歌情歟、美麗過差無極)歌人、(左、女房、中納言君、筑前君、周防掌侍、讃岐君、紀伊君、信濃君、摂津君、右男房、通俊卿、匡房卿、顕綱朝臣、正家朝臣、頼綱朝臣、俊頼朝臣)次召講師、(左、右大弁基綱朝臣、衣冠、右下官、直衣)各各講之、帥大納言為判者、中宮大夫執筆紙、毎度勝負、先春夏秋冬祝、次第如此、夜及参半、歌講之間、居菓子肴物、(大殿陪膳、左少将有宗朝臣、左府殿下、地下四位、左府有宗朝臣、殿下〓家朝臣)初献無勧盃、第二献皇大后宮権大夫、次移居対南面饗饌於此座、頻盃酌、及暁更事了、次召管絃具、有御遊、帥大納言(琵琶)、藤大納言(箏)、左大将(笛)、政長朝臣(拍子)、予宗輔(共笙)、皇大后宮権大夫(付歌)、呂、安名尊鳥破、律更衣太平楽破三台急、前池儲船楽、(楽人等令奏、布衣或冠)次牽出物馬三疋、(関白左大臣帥、)人人退出。
書き下し
青地の小文の錦。右、紫檀の消坏の台の上に、銀の消盃を居うるなり。左右に筆一双、墨一つを立つること唐人の硯のごとし、台の辺に和歌の書五巻を立つ。打敷は赤地の小文の錦。和歌の書物の巻文、各五巻(春夏秋冬祝、各一巻、瑠璃の軸、色々の色紙、下絵、左方は女絵、右方は男絵、皆歌の情を書くか。美麗過差極まり無し)。歌人(左、女房、中納言君、筑前君、周防掌侍、讃岐君、紀伊君、信濃君、摂津君。右、男房、通俊卿、匡房卿、顕綱朝臣、正家朝臣、頼綱朝臣、俊頼朝臣)。次に講師を召す(左、右大弁基綱朝臣、衣冠。右、下官、直衣)。各々これを講ず。帥大納言判者と為り、中宮大夫紙を執筆す。度毎に勝負す。先ず春夏秋冬祝、次第此のごとし。夜参半に及ぶ。歌講ずるの間、菓子肴物を居う(大殿の陪膳、左少将有宗朝臣、左府殿下、地下の四位、左府は有宗朝臣、殿下は〓家朝臣)。初献は勧盃無し。第二献は皇大后宮権大夫。次に対の南面の饗饌をこの座に移し居え、頻りに盃酌す。暁更に及びて事了る。次に管絃の具を召し、御遊有り。帥大納言(琵琶)、藤大納言(箏)、左大将(笛)、政長朝臣(拍子)、予と宗輔(共に笙)、皇大后宮権大夫(付歌)。呂は、安名尊、鳥の破。律は、更衣、太平楽の破、三台の急。前の池に船楽を儲く(楽人等をして奏せしむ、布衣或いは冠)。次に引出物の馬三疋を牽く(関白、左大臣、帥)。人々退出す。
現代語訳
(打敷は)青地に小さな文様の錦。右方は、紫檀の消坏の台の上に銀の消盃を据える。左右とも筆一対と墨一つを、唐人の硯のように立てて置き、台のそばに和歌の書五巻を立てる。(右方の)打敷は赤地に小さな文様の錦。和歌を書いた巻物は左右それぞれ五巻(春・夏・秋・冬・祝が各一巻で、瑠璃の軸、さまざまな色の色紙に下絵があり、左方は女絵、右方は男絵で、みな歌の情趣を描いたものか。美麗で贅沢なことこの上ない)。歌人は、左方が女房で、中納言君、筑前君、周防掌侍、讃岐君、紀伊君、信濃君、摂津君。右方が男房で、通俊卿、匡房卿、顕綱朝臣、正家朝臣、頼綱朝臣、俊頼朝臣。次に講師を召した(左方は右大弁基綱朝臣で衣冠、右方は私で直衣)。それぞれ歌を読み上げた。帥大納言(源経信)が判者となり、中宮大夫が勝負を紙に書き付けた。一番ごとに勝負を決め、春・夏・秋・冬・祝の順はこのとおりであった。夜は半ばに及んだ。歌を読み上げている間に、菓子や肴を据えた(大殿の給仕は左少将有宗朝臣、左大臣と殿下の分は地下の四位の者で、左大臣には有宗朝臣、殿下には〓家朝臣)。初献には勧盃はない。第二献は皇太后宮権大夫が勧めた。次に対屋の南面の饗膳をこの座に移して据え、しきりに酒を酌み交わした。明け方になって事が終わった。次に管絃の楽器を召して御遊があった。帥大納言(琵琶)、藤大納言(箏)、左大将(笛)、政長朝臣(拍子)、私と宗輔(ともに笙)、皇太后宮権大夫(付歌)。呂の調子では安名尊と鳥の破、律の調子では更衣、太平楽の破、三台の急を奏した。前の池には船楽を用意した(楽人たちに奏させ、装いは布衣あるいは冠)。次に引出物の馬三頭を引いた(関白、左大臣、帥へ)。人々は退出した。
解説
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 賀陽院歌合同じ記に云う、同八年八月十九日、今夜大殿、賀陽院に於て、歌合の興有り。これ永承の例に依りて、女房と男房とを読人と為す。秉燭の間、人々参集す。東の対の南面に、公卿の饗饌を居う。殿上人は、同じく東面の庇の饗、諸大夫の饗は、侍所に在り云云。然りと雖も着かれず。寝殿の巽の角、東面の戸の前に、切燈台二本を立つ(風流無し)。その前に円座二枚を敷き、左右の講師の座と為す。東の透渡殿に、西を上とし南北に対座して、公卿の座を敷く(高麗端、対座)。人々先ず相分かれて著かしめ給う。左方(北)、大殿、殿下、藤大納言(□□)、民部卿(俊明)、右衛門督(公実)、藤中納言(基忠)、江中納言(匡房)、皇大后宮権大夫(公定)。右方(南)、左大臣、帥大納言(経信)、東宮大夫(師忠)。殿上人、大蔵卿道良朝臣、備中守政長朝臣、右大弁基綱朝臣、頭中将国信朝臣、右中弁宗忠、左馬頭師隆朝臣、権中将顕実朝臣、右馬頭兼実朝臣、四位藤少将有家朝臣、左京権大夫俊頼朝臣、四位権少将能俊朝臣、四位侍従宗信朝臣、尾張守忠〓朝臣、蔵人兵部大輔通輔、侍従家政、蔵人右少弁時範、源少将有賢、民部大輔基兼、新少将宗輔、蔵人玄蕃助宗佐、左近将監仲兼、相分かれて渡殿の南北の欄外に候す。次に東の戸の前に、左右の文台を立つ。左、銀の透かしの手巾の筥、白き浮線綾の巾を入れ、打敷。
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『玉勝間』五の巻 鳥羽殿八月十五夜月見御歌御遊女院の御方(東面)に於て和歌を講ぜらる。題に云う、池上の月を翫ぶ、序題題、予講師を勤め、左大臣読師たり。大納言の歌を講じ了りて後、しばらくして頗る遅々たり、これ左大臣と関白殿との歌の次第の事なり。大殿の命に依りて、先ず関白殿の歌を講じ、次に左大臣、次に大殿。この間女房簾中より、三首の歌を出ださる、薄様三重に書き、扇の上に置かる(扇は銀の骨、画図殊に例なり)、同じくこれを講ず、皆以て秀歌なり。人々感歎す。ここに簾中より、御製を関白に給う、関白大殿に伝え献ず、便宜なり。大殿気色せしめ、講師座を起ちて、臣下の歌に擬す。新中納言通俊卿を召して、御製を講ぜらる、誠に以て優妙なり、感歎に堪えず、満座諷詠し、暁更に及びて各分散す。予今日殿上人の布衣の中に直衣を著く、これ弁官の人一人臣として直衣冠を著けらるる時、便無かるべきの故なり。加之、講師の役を勤むる間、数刻御前に候う、尤も善しと為すのみ、愚意の案、已に礼法に叶う。両殿下(烏帽子直衣)、左大臣公卿(冠直衣)、但しこの中藤中納言(基)・左宰相中将(伊実)・右兵衛督(雅俊)・新宰相中将(宗通)は布衣なり。皇太后宮権大夫(公定)は衣冠、上皇は御烏帽子直衣、と見えたり。これは堀河の天皇の御世にて、鳥羽殿におわしまししは、白川の上皇におわします。大殿と有るは、京極の前の関白師実公、左大臣は、源の俊房公、関白は、京極殿の御子後二条の師通公なり。この時内大臣にて、関白ながら、左大臣の次に立ち給えりき。
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『玉勝間』二の巻 円融太上天皇紫野御子日の事この間蹴鞠の事有り、左大将・左衛門督・源中納言・両三位・藤宰相・余及び殿上の侍臣等蹴鞠の事あり、黄昏に及びて仰せて曰く、和歌に至りては、院に於て序を献じ和歌等を置くべし、各者(てえり)、燭を秉りて本院に還り〓御す、公卿を御前に召して歌遊びの事有り、余を召して和歌の講師と為す、右大臣以下和歌を献ず、左大臣は献ぜず、如何如何、左右両丞相に御衣を賜う、納言以下に白掛を賜い、侍臣に疋絹、また御随身に給う、深更に各各分散す、紫野に御する間、内より使右近少将信輔御訪い有り、即ち御簾の外に召し、円座を給いて御消息を申す、余禄を執りて之を被く、拝舞の間、失礼太だ多し、今日四位五位六位皆綾羅を着す、如何、下官は白襖・薄色の狩袴を着するなり。
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『玉勝間』一の巻 歌の御会のめぐらし文甘露寺権大納言元長卿記に云う、永正五年正月十四日、和哥御会の廻文を書き、釜殿を以て之を遣わす、鷺に慶音有り、右の御題、来る十九日披講有るべし、予参せしめ給うべき由、仰せ下され候なり、正月十四日、元長、中御門大納言殿、(この所同じつらに廿三人の名あり)袖書に尅限は午の一点たるべきなり、丞相には別紙の折紙を以て之を相触る。
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『玉勝間』六の巻 鳥羽殿にて逐日看花歌を講ぜらるる事同じ記に云う、嘉保三年三月一日、午の時ばかり、鳥羽殿に参る、云云。秉燭の後、御遊有り、云云。この間人々、且つ和歌を進む(題者は江中納言、申の時以後出さるるなり、逐日看花)。常に祗候する殿上人十余人、ただ別に召さるる者は、皇大后宮権大夫と下官とばかりなりと聞く。時に庭の桜紛々、岸の柳依々、歌笛の声、誠に幽興に入る。御遊の後、下官を召して講師と為す。序者は院の蔵人縫殿助藤実光(秀才)。春日鳥羽院に侍りて、逐日看花の応製和歌一首を詠む、臣上の字は皆共にするなり。但し他人はただ和歌ばかりを詠み、臣上の字を書かず。中宮大夫読師と為る。漸く和歌を講ずるの処、中宮大夫の歌と、顕季朝臣の歌と、一字も誤らず相合う。また女房の歌三首、色の薄様に書く。講じ了りて、座を立たんと欲する処、勅有りて仰せられて云う、近日毎日、この和歌の興有り、御製の講師、他人を用いるべからず、汝同じく勤仕すべし、と。則ち仰せを奉り、また座に復す。御製を披見し、講ずるの処、已に愚歌に合う。天気咲わしめ御し、満座の人奇と為す。一つには面目なり、愚慮を以て高情に及ぶ。一つには恐畏なり、拙詞を以て御製に叶う。進退これ谷まり、身心度を失う。已に深更に及びて事了る。人々退出す。治部卿と同車して帰洛す(下官の歌に云う、ふくかぜにちりくるはなもみるひとのひかずもともにつもるはるかな。御製に叶うに依りて、書き留めらるるなり)。御製に云う(さきしよりちるまでみればこのもとにはなもひかずもつもるなりけり)。
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『玉勝間』十の巻 歌会同じ記に云う、嘉吉二年九月十八日、今日冷泉中将持和朝臣の宿所に参る、(近衛室町の辺なり)去月この宿所に移住す云々。一盞分撓し、之より雑談に及ぶ。和歌の懐紙の書き様、また会の座に懐紙を置く様、講師已下の条々の作法、具に之を口伝せらる、記録に遑あらざる者なり、云々。同日今夜、飯尾新左衛門尉為数の亭にて和歌会なり、云々。常光院大僧都堯孝題を出すなり。今夜読師たり。蜷川新右衛門入道智蘊講師たり、云々。今夜新右衛門講師の時、堯孝が短冊には、大僧都とよめり。懐紙もまた之に同じ、その外は皆実名、官途実名なり。聊か思惟有るべきか、如何。実名の中、ちと然るべきの輩、微音なり。その験有り、愚存もまたかくの如し。先ず懐紙を講じて後、次に短冊を披講す。
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