玉勝間 / 十三の巻 竟宴
竟宴と云ふこと日本紀にのみならず、承和十四年五月には、莊子の竟宴、〓涼殿にて行はれ、貞觀二年十二月には、孝經の竟宴あり。同十七年四月には、群書治要の竟宴、綾綺殿にて有リ。同十八年七月には、顏氏家訓の竟宴、藏人所にてあり。史どもに見えたり。
新字:竟宴と云ふこと日本紀にのみならず、承和十四年五月には、荘子の竟宴、〓涼殿にて行はれ、貞観二年十二月には、孝経の竟宴あり。同十七年四月には、群書治要の竟宴、綾綺殿にて有リ。同十八年七月には、顔氏家訓の竟宴、蔵人所にてあり。史どもに見えたり。
書き下し
竟宴と云うこと日本紀にのみならず、承和十四年五月には、荘子の竟宴、清涼殿にて行われ、貞観二年十二月には、孝経の竟宴あり。同十七年四月には、群書治要の竟宴、綾綺殿にて有り。同十八年七月には、顔氏家訓の竟宴、蔵人所にてあり。史どもに見えたり。
現代語訳
竟宴ということは、『日本紀』(日本書紀)の講義についてだけではなく、承和十四年五月には『荘子』の竟宴が清涼殿で行われ、貞観二年十二月には『孝経』の竟宴があった。同十七年四月には『群書治要』の竟宴が綾綺殿であった。同十八年七月には『顔氏家訓』の竟宴が蔵人所であった。これらは国史に見えている。
解説
書物の講義が終わったときに催す祝宴「竟宴」が、『日本書紀』の講義に限らず行われていたことを示した段である。宮中では『日本書紀』を学者が講じる「日本紀講筵」が数次にわたって行われ、講義の終わりに竟宴を開いて、書紀に登場する神や人物を題に和歌を詠むのが習わしであった。宣長は正史から、『荘子』『孝経』『群書治要』『顔氏家訓』など漢籍の講義の後にも竟宴が開かれていたことを拾い出している。一冊の書物を学び終えたことを、皆で祝い、歌や詩を詠んで締めくくる習慣があったのである。学ぶことが一人の作業ではなく、共同の喜びとして祝われていた古代の宮廷の姿がうかがえる。学びの区切りを祝うことは、学びを続ける力にもなる。
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 吉田兼倶卿日本紀御談義の事同じ記に曰く、文明十二年十月廿一日、今日禁裏に於いて日本紀の御談義、兼倶卿之を申す、云々。頃之兼倶卿参る、先ず御談義有り(日本紀巻本)、次に黒戸に於いて御談義有り、西面の上壇、主上御座(南面)、次の壇の中程、兼倶卿候す(北面)、日本紀(草紙本)小机の上に置きて之を読み申す、先ず兼倶卿参るの後、聴衆参進す、(この間公卿たちの名略けり)等、同じ間に左右に相分かれて参候す、殿上人(名ども略く)等は下壇に在るなり、御前より見えざる所なり、直垂衆は西の小庭に於いて聴聞す、云々。兼倶卿の候する所の事、兼ねて簀子たるべきの由定めらるるの処、列を以て所存を申すの間、期に臨みて改めらるる者なり、今日は端の四五行を申し分くべし、文字読みを致すの処、不慮に刻を経るの間、日本書紀巻第一神代上、此の十字許り之を申す。また、同十一月廿六日、今日日本紀御談義なり、気段なり、先ず中臣祓の御伝受、他人之を聞かず。また十二月十四日、今日日本紀講尺結願なり、云々。神秘御伝授に就きて、今日賞を仰せらる(従二位)。また曰く、文亀二年正月十七日、桃華坊に参る、日本紀(神代下巻)談義なり、侍従二位兼倶卿之を申す、同廿日、一条殿に参る、日本紀談義、今日功を終う(下巻以上三ヶ度)、神道の事等多く以て之を申す。など見えたり。そのかみ兼倶の卿の日本紀を講じ申されけんほど、思いやられたり。
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