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玉勝間 / 十三の巻 物の次第を一番二番と云ふ事

今の俗、何事にも、第一第二と云ふべき、次第を、なべて一番二番と云ふは、もと番と云ふべき事よりうつりて、なべての事に云ふなり。此言、宇治拾遺物語に、奧の座の三番に居たる鬼、と云へる事あれば、五百年ばかり昔よりも、云へりし事なりけり。

新字:今の俗、何事にも、第一第二と云ふべき、次第を、なべて一番二番と云ふは、もと番と云ふべき事よりうつりて、なべての事に云ふなり。此言、宇治拾遺物語に、奥の座の三番に居たる鬼、と云へる事あれば、五百年ばかり昔よりも、云へりし事なりけり。

書き下し

今の俗、何事にも、第一第二と云うべき、次第を、なべて一番二番と云うは、もと番と云うべき事よりうつりて、なべての事に云うなり。この言、宇治拾遺物語に、奥の座の三番に居たる鬼、と云える事あれば、五百年ばかり昔よりも、云えりし事なりけり。

現代語訳

今の世間では、何事につけても「第一」「第二」と言うべき順序を、すべて「一番」「二番」と言うのは、もともと「番」と言うべき事柄から移って、あらゆる事に言うようになったのである。この言い方は、『宇治拾遺物語』に「奥の座の三番目に座っていた鬼」と言っていることがあるので、五百年ほど昔から言っていたことなのである。

解説

順序を「一番」「二番」と数える言い方の由来を考えた段である。「番」は本来、交代で務める当番や、歌合・相撲などで組み合わせる一組を数える言葉であった。宣長は、それが一般の順序を表す言い方に広がったのだと説明し、『宇治拾遺物語』の「こぶとり爺」の話に見える「奥の座の三番に居たる鬼」という表現から、この用法が少なくとも五百年前にはあったと示す。今では当たり前の「一番」という言い方にも、もとの限られた使い方があった。宣長は日常の俗語の由来にも関心を寄せ、古典の用例によってその古さを確かめている。ふだん何気なく使っている言葉が、どこから来てどう広がったのかを知ると、言葉への見方が少し変わってくる。

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