玉勝間 / 十三の巻 親王三国ノ大守に任ぜらるる事
類聚三代格に、太政官符、應親王任國守事、上總國、常陸國、上野國、右撿中納言從三位兼行左兵衛督清原眞人夏野奏狀倆、設置置省省職寮相隷、百官守職、庶務倶成、一事有闕、萬事皆緩。今親王任八省卿、此人地-望素高、不得就職無知碎務、仍官事自懈、政迹日蕪、非是庸愚之所致、因地勢使之然也。凡官人遷代、必署解由、至有欠物、不免償物。居此之費、見其如此、望請、點定數國、爲親王國、迭任彼國、身留京都、意欲居京官者、一兩人將聽。若有守闘者、不補他人、其料物者、納-置別倉、支無品親王之要、伏聽天裁者正三位行中納言兼右近衛大將春宮大夫良峰朝臣安世宣奉勅、依奏。但件等國守、官位卑下、宜改定正四位下官、以爲勅任、號稱大守、限以一代、不可永例、天長三年九月六日。
新字:類聚三代格に、太政官符、応親王任国守事、上総国、常陸国、上野国、右撿中納言従三位兼行左兵衛督清原真人夏野奏状倆、設置置省省職寮相隷、百官守職、庶務倶成、一事有闕、万事皆緩。今親王任八省卿、此人地-望素高、不得就職無知砕務、仍官事自懈、政迹日蕪、非是庸愚之所致、因地勢使之然也。凡官人遷代、必署解由、至有欠物、不免償物。居此之費、見其如此、望請、点定数国、為親王国、迭任彼国、身留京都、意欲居京官者、一両人将聴。若有守闘者、不補他人、其料物者、納-置別倉、支無品親王之要、伏聴天裁者正三位行中納言兼右近衛大将春宮大夫良峰朝臣安世宣奉勅、依奏。但件等国守、官位卑下、宜改定正四位下官、以為勅任、号称大守、限以一代、不可永例、天長三年九月六日。
書き下し
類聚三代格に、太政官符す、親王国守に任ずべき事、上総国、常陸国、上野国、右中納言従三位兼行左兵衛督清原真人夏野の奏状を検ずるに偁く、省職寮を設け置きて相隷し、百官職を守り、庶務倶に成る、一事闕くる有れば、万事皆緩む。今親王八省の卿に任ず、此の人地望素より高く、職に就きて砕務を知ること無きを得ず、仍りて官事自ずから懈り、政迹日に蕪る、是れ庸愚の致す所に非ず、地勢のこれをして然らしむるに因るなり。凡そ官人遷代するに、必ず解由を署す、欠物有るに至りては、償物を免れず。此に居るの費、その此の如きを見る、望み請うらくは、数国を点定して、親王の国と為し、迭いに彼の国に任じ、身は京都に留め、意に京官に居らんと欲する者は、一両人将に聴さんとす。若し守闕有らば、他人を補せず、その料物は、別倉に納め置き、無品親王の要に支てん者、伏して天裁を聴く者、正三位行中納言兼右近衛大将春宮大夫良峰朝臣安世宣す、勅を奉るに、奏に依れ。但し件等の国守、官位卑下なり、宜しく改めて正四位下の官と定め、以て勅任と為し、号して大守と称すべし、限るに一代を以てし、永例とすべからず、天長三年九月六日。
現代語訳
『類聚三代格』に、次の太政官符がある。「親王を国守に任じるべき事。上総国・常陸国・上野国。右は、中納言従三位兼行左兵衛督清原真人夏野の奏状を調べると、こう言う。『省・職・寮を設けて互いに統属させ、百官がそれぞれ職を守ってこそ、諸々の務めがともに成り立つ。一つの事が欠ければ、万事がみな緩む。今、親王は八省の長官に任じられているが、この方々は家柄の望みがもともと高く、職に就いて細かな実務を知ることができない。そのため役所の仕事は自然と怠られ、政治の実績は日ごとに荒れてゆく。これは愚かさのためではなく、身分の高さがそうさせているのである。およそ官人が交代するときは必ず解由状(引継ぎ証明)に署名し、不足の物があれば弁償を免れない。この職にあることの費えは、このとおりである。願わくは、数か国を選び定めて親王の国とし、交代でその国に任じて、身は京に留め、京官にいたいと望む者は一人二人は許すことにしたい。もし国守に欠員があっても他の人を補わず、その収入は別の倉に納めておき、無品の親王の費用に充てたい』とのことである。謹んで天皇のご裁可を仰いだところ、正三位行中納言兼右近衛大将春宮大夫良峰朝臣安世が宣した。『勅を承るに、奏上のとおりにせよ。ただしこれらの国の守は官位が低いので、改めて正四位下の官と定め、勅任とし、大守と称すべきである。一代に限り、永続する例とはしない』。天長三年九月六日」。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 諸王の事継嗣令に云う、凡そ皇の兄弟皇子、(女帝の子もまた同じ)皆親王と為す、以外は並びに諸王と為す、親王より五世は、王の名を得と雖も、皇親の限りに在らず。文徳実録に云う、斉衡三年四月甲午、弾正台奏す。五世の王は、王号有りと雖も、皇親の限りに非ず、その朝服の色宜しく王臣の位階に依るべし、これに従う。三代実録に云う、貞観四年四月十二日、詔を下す、参議已上をして、各時政の是非を論じ、世俗の得失を詳らかにせしむ。云云、是より先諸王、二世より四世に至るまで、夏冬の衣服を賜う、人数を限らず、年の数符に随いて、多少を出だしてこれを賜う。或いは五六百人に至る、是の時簿に載せて官に進むる者、四百余人なり。豊前上疏して曰く。諸王の給服、人数定まらず、徒らに帑蔵を費やす、何ぞ紀極無き、望み請うらくは当時の所在を以て、定数と為し、闕くるに随いてこれを補い、転じて過ぐるを聴さざらんことを、これに従う。豊前とあるは、豊前王と云う人の名な又同十二年二月廿日、公卿奏して諸王の季禄を減じ、兼ねて給禄の定額を立てんことを請う日、云云、今府帑稍密にして貢職少なし、当に諸王の禄を停めて、救弊の計を存すべき者。云云、但し専らこれを停むれば則ち皇親を疎んずるに似たり、全くこれを給えば、則ち国用を闕くべし云云、又王氏蕃昌して、曩日に万倍す、その禄賜を計るに、費やす所支え難し、伏して望むらくは当時禄に預かる者、四百二十九人を、定員と為さんことを云云奏可す。また元慶四年十月廿七日、摂津国河辺郡の人、九世、従七位下川原公福貞云云等五戸の課条を免ず、福貞等白して言う、云云、謹んで天長九年十二月十五日の詔書を検ずるに夫れ王氏は、王号は五世に止まり、資蔭は六世を過ぎず、云云、宜しく七世以下、数を計りて五世に至らば、課役蠲除すべし、その既に姓を賜う者は、先後を論ぜず、一に王の蔭に依り、世を計りてこれを容るること亦この例に同じ者。云云、望み請うらくは、同じく蠲除せられんことを、これを許す。
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『玉勝間』七の巻 皇親の禄物を先ッ賤価に売事延暦十八年三月五日の太政官符に曰く、応に皇親の禄、賤価に乞い売るを禁ずべき事、右、案内を検ずるに太政官去る延暦十六年四月廿四日、諸国に下す符に偁く、今より以後、公私の挙銭、宜しく一年を限り、半倍の利を収むべし、年紀を積むと雖も、過ぎて責むることを得ざれてえり、今右大臣宣す、勅を奉るに、聞くならく、王親或いは多禄を募りて、先ず少価を受け、或いは重質を設けて、賤物を貸し乞い、苟も目前を貪りて、後の弊を顧みず、価を報ずるの日、既に倍を過ぐ、これに因りて、所司・豪民、競いて利潤を求め、好みて与借を為し、班禄の日、濫訴繁多なり、今より以後、禄物を売買するに、半倍の利を過ぐることを得ざれ、もし違犯有らば、法に依りて科処せよと見えて、類聚三代格にのれり。古より、かかること有りしなり。今の世に、なべて物する、賄いしおくりなど云うわざ、これに似たる事なり。なお今は、天の下に、かかるたぐいの事多し。
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇其下つかたは或は三世につたへ、孫子につたへ、身にとゞまるもあり。天下を治と云ことは、国郡を専にせずして、そのことゝなく不輸の地をたてらるゝことのなかりしにこそ。国に守あり、郡に領あり、一国のうち皆国命のしたにてをさめしゆゑに法にそむく民なし。かくて国司の行迹をかむがへて、賞罰ありしかば、天下のこと掌をさしておこなひやすかりき。其中に諸院・諸宮に御封あり。親王・大臣も又かくのごとし。其外官田・職田とてあるも、みな官符を給て、其所の正税をうくるばかりにて、国はみな国司の吏務なるべし。但大功の者ぞ今の庄園などとて伝がごとく、国にいろはれずしてつたへける。中古となりて庄園おほくたてられ、不輸の所いできしより乱国とはなれり。上古にはこの法よくかたかりければにや、推古天皇の御時、蘇我大臣「わが封戸をわけて寺によせん。」と奏せしをつひにゆるされず。光仁天皇は永神社・仏寺によせられし地をも「永の字は一代にかぎるべし。」とあり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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