玉勝間 / 十三の巻 長歌は今はたやすくは詠まぬ事と云ふ事
逍遙院ノ大臣の、きぬかづきの日記の跋に、事のついでに申出侍る。長歌と云ふ物、此頃となりて、たはやすく詠まぬ事のやうになれるは、いかなる故の侍るならむ、いと覺束なき事なりと見ゆ。
新字:逍遥院ノ大臣の、きぬかづきの日記の跋に、事のついでに申出侍る。長歌と云ふ物、此頃となりて、たはやすく詠まぬ事のやうになれるは、いかなる故の侍るならむ、いと覚束なき事なりと見ゆ。
書き下し
逍遥院の大臣の、きぬかずきの日記の跋に、事のついでに申し出で侍る。長歌と云う物、この頃となりて、たわやすく詠まぬ事のようになれるは、いかなる故の侍るならむ、いと覚束なき事なりと見ゆ。
現代語訳
逍遥院の大臣(三条西実隆)の『衣かづきの日記』の跋文に、「ことのついでに申し出ておく。長歌というものが、近ごろになって、軽々しくは詠まないもののようになってしまったのは、どういうわけがあるのだろうか。まことに不審なことだ」と見える。
解説
室町時代の歌人で古典学者の三条西実隆が、長歌が軽々しく詠まれなくなった風潮を不審に思っていたことを、その日記の跋文から引いた段である。長歌は『万葉集』で柿本人麻呂らが大いに詠んだ形式だが、平安時代以降は短歌が主流となり、長歌はほとんど詠まれなくなった。中世には、長歌は特別な人しか詠んではならないかのような雰囲気さえ生まれていたらしい。賀茂真淵やその門流は万葉の長歌を復興し、宣長自身も長歌を詠んだ。宣長は、中世を代表する歌学者もこの風潮を疑問に思っていたことを示して、長歌を詠むことの正しさを裏づけようとしたのであろう。いつの間にか生まれた暗黙の禁止を、なぜかと問い直す姿勢が表れている。
関連する章句
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うひ山ぶみ・注[ウ]万葉の歌の中にてもいまだその法度を示したる書などもなき故に、とかく古風家の歌は、みだりなることおほきぞかし、長歌をもよむべし、長歌は、古風のかた殊にまされり、古今集なるは、みなよくもあらず、中にいとつたなきもあり、大かた今の京になりての世には、長歌よむことは、やうやうにまれになりて、そのよみざまも、つたなくなりし也、後世にいたりては、いよいよよむことまれなりしを、万葉風の歌をよむ事おこりて、近きほどは、又皆長歌をも多くよむこととなりて、其中には、万葉集に入ルとも、をさをさはづかしかるまじきほどのも、まれには見ゆるは、いともいともめでたき大御世の栄えにぞ有ける、そもそも世の中のあらゆる諸の事の中には、歌によまんとするに、後世風にては、よみとりがたき事の多かるに、返て古風の長歌にては、よくよみとらるゝことおほし、これらにつけても、古風の長歌、必ズよみならふべきこと也、又後世風をもすてずして云々、今の世、万葉風をよむ輩は、後世の歌をば、ひたすらあしきやうに、いひ破れども、そは実によきあしきを、
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