玉勝間 / 十二の巻 俊成卿定家卿などの歌を悪しく云ひなす事
近き頃、萬葉ぶりの歌をものするともがら、みだりに心高き事を云ひて、俊成ノ卿定家ノ卿などの歌をば、いたく拙きやうにた易けに云ひおとすなるは、世の歌よみどもおしなべて、神のごと尊みかしこむを、ねたみて、あながちに云ひくたさむとする、みだり事なり。そもそも此卿たちの歌、惡しき事も、絕えて無きには有らざめれど、すべてのやう、古へより世世のあひだに、ぬけ出たるところ有て、まことにいとめでたし。然云ひおとすともがら、いかに詠むとも、あしもとへ寄る事あたはじをや。
新字:近き頃、万葉ぶりの歌をものするともがら、みだりに心高き事を云ひて、俊成ノ卿定家ノ卿などの歌をば、いたく拙きやうにた易けに云ひおとすなるは、世の歌よみどもおしなべて、神のごと尊みかしこむを、ねたみて、あながちに云ひくたさむとする、みだり事なり。そもそも此卿たちの歌、悪しき事も、絶えて無きには有らざめれど、すべてのやう、古へより世世のあひだに、ぬけ出たるところ有て、まことにいとめでたし。然云ひおとすともがら、いかに詠むとも、あしもとへ寄る事あたはじをや。
書き下し
近き頃、万葉ぶりの歌をものするともがら、みだりに心高き事を云いて、俊成の卿定家の卿などの歌をば、いたく拙きようにたやすげに云いおとすなるは、世の歌よみどもおしなべて、神のごと尊みかしこむを、ねたみて、あながちに云いくたさむとする、みだり事なり。そもそもこの卿たちの歌、悪しき事も、絶えて無きには有らざめれど、すべてのよう、古えより世々のあいだに、ぬけ出でたるところ有りて、まことにいとめでたし。然云いおとすともがら、いかに詠むとも、あしもとへ寄る事あたわじをや。
現代語訳
近ごろ、万葉風の歌を詠む連中が、むやみに高ぶったことを言って、藤原俊成卿や定家卿などの歌を、ひどく拙いもののように軽々しくけなすのは、世の歌詠みたちが皆こぞって彼らを神のように尊び恐れ敬っているのを妬んで、無理にこき下ろそうとする、でたらめなことである。そもそもこの卿たちの歌にも、悪いところがまったく無いわけではないようだが、全体の様子は、昔から代々の中で抜きん出たところがあって、本当にすばらしい。そのようにけなす連中は、どんなに詠んだところで、その足もとにも寄りつくことはできまい。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 今の人の歌文ひがこと多き事近き世の人のは、歌も文も、大かたはよろしと見ゆるにも、猶ひが事の多きぞかし。されど其のたがえるふしを、見知れる人はた世に無ければ、唯だかいなでに、此処かしこえんなる詞を使い、よしめきて、詠みなし書き散らしたるをば、誠に善しと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したり顔すめる、いとかたはら痛く、おこがましくさえぞ思わるる。さるにつけては、斯く云うおのが物する事も、猶いかにひが事有らむと、物よく見知れらむ人の心ぞ、恥しかりける。人のひが事の、よく見え分かるるにつけては、我はよくわきまえたれば、ひが事はせずと、思いほこれど、古えの事の心をさとり知るすじは、限り無きわざにし有れば、此外あらじとは、いとなん定め難きわざなりける。
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふりさのみいひてやむべきにもあらず、よくしたゝめなば、まねび得ることも、などかは絶てなからん、さて又玉葉風雅の二ツの集は、為兼卿流の集なるが、彼卿の流の歌は、皆ことやうなるものにして、いといやしくあしき風なり、されば此一流は、其時代よりして、異風と定めしこと也、さて件ンの二集と、新古今とをのぞきて外は、千載集より、廿一代のをはり新続古今集までのあひだ、格別にかはれることなく、おしわたして大抵同じふりなる物にて、中古以来世間普通の歌のさまこれなり、さるは世の中こぞりて、俊成卿定家卿の教ヘをたふとみ、他門の人々とても、大抵みなその掟を守りてよめる故に、よみかた大概に同じやうになりて、世々を経ても、さのみ大きにかはれる事はなく、定まれるやうになれるなるべし、世に二條家の正風体といふすがた是也、此ノ代々の集の内にも、すこしづゝは、勝劣も風のかはりもあれども、大抵はまづ同じこと也、さて初学の輩の、よむべき手本には、いづれをとるべきぞといふに、上にいへるごとく、
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『玉勝間』八の巻 長歌の詞のつづき五七なると七五なるとの事そもそも万葉の頃までは、五七と続くかた、調べよろしかりけむを、古今集の頃よりして、七五と成りて、今もそれ宜しく覚ゆるは、古えと後の世との、おのずからの調べの変りなるべし、今の世に、万葉風を詠む人多くて、何事も、後の世をばわろしと云う者の、そのよめる長歌を見れば、そのことば、多くは七五七五と続けるは、此けじめを得知らずして、猶後の世のおのずからの調べを、得まぬかれざるなり。古今集の長歌、初めなる二首は、五七とも七五とも、交りて続けるを、後の三首は、おおかたは七五と定まれり。
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふり古今集ともいふべけれども、又此新古今にくらべて思へば、古今集も、なほたらはずそなはらざる事あれば、新古今を真盛といはんも、たがふべからず、然るに古風家の輩、殊に此集をわろくいひ朽すは、みだりなる強ごと也、おほかた此集のよき歌をめでざるは、風雅の情をしらざるものとこそおぼゆれ、但し此時代の歌人たち、あまりに深く巧をめぐらされたるほどに、其中に又くせ有て、あしくよみ損じたるは、殊の外に心得がたく、無理なるもおほし、されどさるたぐひなるも、詞うるはしく、いひまはしの巧なる故に、無理なる聞えぬ事ながらに、うちよみあぐるに、おもしろくて捨がたくおぼゆるは、此ほどの歌共也、されどこれは、此時代の上手たちの、あやしく得たるところにて、さらに後の人の、おぼろけにまねび得べきところにはあらず、しひてこれをまねびなば、えもいはぬすゞろごとになりぬべし、いまだしきほどの人、ゆめゆめこのさまをしたふべからず、されど又、歌のさまをくはしくえたらんうへにては、
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『玉勝間』一の巻 古今集の長歌の事古今集の長歌、はじめに載せたるは、いといとつたなし。その歌に、なにしかも人をうらみむと云えること、上下にあいあづからざる事なり、この二句をのぞきて善けん。また一うたのうちに、思と云う詞九つ有りて、いと耳かしかましき中に、けなばけぬべく思えどもと云える事さえ、二所に重なりて有るはいかにぞや。思えどもと云う句は、なお今一つあり。また思いは深しと云える句、またとぢめの二句などは、ちからなく聞こえて漂よわし、次に貫之の歌、目録ならんからに、事の続きざま、むげにことわり無し。忠岑は一ふし有りて聞こゆ。躬恒、なにのふしも無し。伊勢は中によろし。そもそも斯くあげつらうは、いとおおけなけれど、なおえあらでなん。
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『玉勝間』八の巻 歌もふみもよくととのふはかたき事近き代の人の歌ども文どもを、見あつむるに、一ふしおかしと目とまる事は、ほどほどにあまたあめれど、それはた如何にぞや覚ゆる所は交りて、大かた瑕無くととのいたるは、おさおさ見えず。これは思えば、後の世にして、古えをまねぶ事は、いといと難きわざになむ有ける。古えのかしこき人々のだに、是れはしも、露の瑕なしと覚ゆるは、多かる中にも、少くなん有れば、まして今の人のは、いささかなる瑕をさえに、云いたてむは、あながちなるにや有らむ、されど同じくは、人のいささかも難ずべき節まぜぬさまにこそはあらまほしけれ。よき程にて、心をやるをば、もろこしの古えの人も、善からぬ事に云い置きけるをや。
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