玉勝間 / 十三の巻 萩の大木の事
みちのくの宮城野わたりの萩は、高さ二丈あまりばかりなる多し。又同國の津輕の弘前の二里ばかりこなたに、大鰐と云ふ所に大日堂のある、前なる林の中に、一木の大木の、十餘丈ばかりの高さの、かこみ四圍ばかりなるあるを、見れば、葉も花も全萩なり。又薩摩の國にも、萩の大キなる木有りと云へりと或る物にしるしたり。まことにや。
新字:みちのくの宮城野わたりの萩は、高さ二丈あまりばかりなる多し。又同国の津軽の弘前の二里ばかりこなたに、大鰐と云ふ所に大日堂のある、前なる林の中に、一木の大木の、十余丈ばかりの高さの、かこみ四囲ばかりなるあるを、見れば、葉も花も全萩なり。又薩摩の国にも、萩の大キなる木有りと云へりと或る物にしるしたり。まことにや。
書き下し
みちのくの宮城野わたりの萩は、高さ二丈あまりばかりなる多し。又同国の津軽の弘前の二里ばかりこなたに、大鰐と云う所に大日堂のある、前なる林の中に、一木の大木の、十余丈ばかりの高さの、かこみ四囲ばかりなるあるを、見れば、葉も花も全く萩なり。又薩摩の国にも、萩の大きなる木有りと云えりと或る物にしるしたり。まことにや。
現代語訳
陸奥の宮城野あたりの萩は、高さ二丈あまりほどのものが多い。また同じ国の津軽の弘前から二里ほど手前の大鰐という所に大日堂があり、その前の林の中に一本の大木で、高さ十余丈ほど、周囲が四抱えほどのものがあるのを見ると、葉も花もまったく萩である。また薩摩の国にも萩の大きな木があると言っている、と、ある書物に記していた。本当であろうか。
解説
ふつうは低木である萩に、驚くほどの大木があるという、ある書物の記事を写した段である。歌枕の宮城野の萩は二丈(約六メートル)余りにもなり、津軽の大鰐の大日堂の前には、高さ十余丈、周囲が四抱えもある萩の巨木があるという。宣長は記事をそのまま引きながら、最後に「まことにや」と一言だけ疑いを添えている。萩は古来歌に多く詠まれ、とくに宮城野の萩は名高い。見たことのない珍しい話を面白がりながらも、うのみにはしない宣長の姿勢がこの短い一言によく表れている。伝聞の珍しい話は、書き留めておく価値はあっても、確かめられるまでは保留しておくべきものである。噂話との付き合い方の手本ともいえる。
関連する章句
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