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玉勝間 / 十三の巻 巻頭おもひ草十三

されどすすきの中にのみ生るから、近き世に事好む者の、おしてそれと名づけたるにも有らむかと云ひて、其草の圖をも書て、見せにおこせたる、そのかたは、かくぞ有ける。其後に又あるとき、花の咲たる頃、一もと掘りて、薄のきりくひごめに、竹の筒の中に植ゑて、ただに其草をも、見せにおこせたるを、移し植ゑて見けるに、しばしは生つきたるさまにて有しを、ほどなく冬枯にける。又のとしの春、萠えや出ると、待ちけるに、つひに枯れて、薄ながらに芽も出ずなりにきかし。さるは後にたづね見れば、此わたりの野山なる、すすきの中にも、ある草にぞ有ける。これ古、の思草ならむことはしも、げにいと覺束なくなむ。

新字:されどすすきの中にのみ生るから、近き世に事好む者の、おしてそれと名づけたるにも有らむかと云ひて、其草の図をも書て、見せにおこせたる、そのかたは、かくぞ有ける。其後に又あるとき、花の咲たる頃、一もと掘りて、薄のきりくひごめに、竹の筒の中に植ゑて、ただに其草をも、見せにおこせたるを、移し植ゑて見けるに、しばしは生つきたるさまにて有しを、ほどなく冬枯にける。又のとしの春、萠えや出ると、待ちけるに、つひに枯れて、薄ながらに芽も出ずなりにきかし。さるは後にたづね見れば、此わたりの野山なる、すすきの中にも、ある草にぞ有ける。これ古、の思草ならむことはしも、げにいと覚束なくなむ。

書き下し

されどすすきの中にのみ生うるから、近き世に事好む者の、おしてそれと名づけたるにも有らむかと云いて、その草の図をも書きて、見せにおこせたる、そのかたは、かくぞ有りける。その後に又あるとき、花の咲きたる頃、一もと掘りて、薄のきりくいごめに、竹の筒の中に植えて、ただにその草をも、見せにおこせたるを、移し植えて見けるに、しばしは生いつきたるさまにて有りしを、ほどなく冬枯れにける。又のとしの春、萌えや出ると、待ちけるに、ついに枯れて、薄ながらに芽も出ずなりにきかし。さるは後にたずね見れば、このわたりの野山なる、すすきの中にも、ある草にぞ有りける。これ古の思い草ならむことはしも、げにいと覚束なくなむ。

現代語訳

けれども、ススキの中にだけ生えるものだから、近ごろ物好きな者が、無理にそれと名づけたのでもあろうか、と言って、その草の図も描いて見せによこしたが、その形はこのようであった。その後また、あるとき花の咲いた頃に、一株掘り取って、ススキの切り株ごと竹の筒の中に植えて、じかにその草そのものも見せによこしたので、移し植えて見ていたところ、しばらくは根づいた様子であったが、まもなく冬枯れてしまった。翌年の春、芽を出すかと待っていたが、とうとう枯れてしまって、ススキもろとも芽も出なくなってしまった。ところが後で探してみると、このあたり(松坂)の野山のススキの中にもある草であった。これが古の思い草であるかどうかについては、まことにたいへん心もとない。

解説

前の段の続きで、道麻呂が草の図を描き、さらに実物をススキの切り株ごと竹筒に植えて送ってきたこと、宣長がそれを移し植えたが冬に枯れてしまったこと、後に松坂の野山にも同じ草があると分かったことを記している。道麻呂自身が、ススキの中にだけ生えるから物好きが後から思い草と名づけたのかもしれないと疑っており、宣長も最後に、これが古の思い草かどうかは心もとないと結ぶ。実物を手に入れても、名と物とが古くから結びついていた証拠がなければ断定しない。古学の慎重さがよく出た結びである。遠方の門人と書簡で標本までやり取りする鈴屋の学問の広がりも見える。似ているものを見つけても、それが同じものだとは限らないという戒めは、今の調べ物にもそのまま当てはまる。

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