玉勝間 / 七の巻 石見の海なる高島
ひろたけの、楠の木は、枯れても匂ひ、かうばしや、おやどり有れや、此宿の、さのみはな急ぎめされそ。斯く唱へて、楠の木を祭るとなり。かの國人小篠ノ御野が物がたりなり。
新字:ひろたけの、楠の木は、枯れても匂ひ、かうばしや、おやどり有れや、此宿の、さのみはな急ぎめされそ。斯く唱へて、楠の木を祭るとなり。かの国人小篠ノ御野が物がたりなり。
書き下し
ひろたけの、楠の木は、枯れても匂い、こうばしや、おやどり有れや、この宿の、さのみはな急ぎめされそ。かく唱えて、楠の木を祭るとなり。かの国人小篠の御野が物がたりなり。
現代語訳
「広く丈高い楠の木は、枯れても匂い、香ばしいことよ。親鳥がいるならば、この宿の、そんなにお急ぎなさいますな」。このように唱えて、楠の木を祭るということである。これはあの国(石見)の人、小篠御野(おざさみぬ)の話である。
解説
前の段に続き、高島の祇園宮の祭で唱えられる詞を記し、話の出どころを明かしている。詞は、枯れても香る楠の大木をたたえ、親鳥がいるならこの宿で急がずにゆっくりしていけ、と呼びかけるような文句で、楠の木そのものを祭るのだという。意味の取りにくい素朴な詞だが、宣長は手を加えずにそのまま記録している。古い言葉や信仰の形は、都から遠い土地にこそ残るというのが宣長の考えで、次の段以降でも各地の方言や習俗を書き留めている。話し手の小篠御野は石見浜田藩の藩士で、宣長の門人として知られた人である。出典を明記することは、聞き書きの信頼性を示すための宣長の作法であった。地方の無名の祭文を、話者の名とともに記録した一段で、今の民俗学の聞き取り調査に先駆ける態度がうかがえる。
関連する章句
-
『玉勝間』七の巻 石見の海なる高島石見国の浜田の海中に、高島と云う島あり、浜田より五里なりと云えど、七八里ばかり有りとぞ。このしまめぐり五里ありて、四方のめぐりは、いずこもいずこもみな、いみしく高き岩にて、岸なる海深く、船寄せがたし。もし船泊つれば、岩の上に、大きなる材を立てて、大綱もて、その船をつりあげ置くなり。然かせざれば、浪風に岩に触れて、船くだくるよしなり。この島山林木竹多し。畠のみ有りて、田は無し。人の家は、ただ七戸ありしが、今は十戸に分かれたりとぞ。兄弟おじめいなどもとつぎて、一戸に三夫婦四夫婦なども住めりとぞ。かくてこの島には、鼠のいといと多く有りて、物をくいそこない、人をもくうこと、世のつねならず。一とせ浜田より人を遣わして、駆らせられけれども、駆りえず、力及びがたかりしとぞ。いとあやしき事なり。さてこのしま人、男も女も髪あかく、いと賤しげなるさまなり。米も無く、牛馬なども無し。貢ぎ物には、ただ鰤を浜田へ奉る。浜田に、この島の事とるつかさ人も、代官とて有りとぞ。さてこの島に、祇園宮と云いて、氏神とする社有り、いかなる神を祭るにか、さだかならず。その祭にとなうる詞あり、その詞。
-
『玉勝間』八の巻 ゐなかに古、のわざの残れる事詞のみにも有らず、万づのしわざにも、片田舎には、古えざまの、みやびたる事の、残れるたぐい多し。さるを例のなまさかしき心ある者立まじりては、かえりておこがましく覚えて、改むるから、いずこにも、ようように古き事の失せ行くは、いと口惜きわざなり。葬礼婚礼など、殊に田舎には、古く面白き事多し。すべてかかるたぐいの事共をも、国々のようを、海づら山がくれの里々まで、あまねく尋ね、聞あつめて、物にもしるし置かまほしきわざなり。葬祭などのわざ、後の世の物知り人の、考え定めたるは、中々にから心のさかしらのみ、多くまじりて、ふさわしからず、うるさしかし。
-
『玉勝間』三の巻 むろの木田中の道まろが云えりしは、万葉の歌によみたる、室の木と云うものは、今もいずこにも多く有る物なり。美濃の不破の郡多芸の郡などにて、ひむろとも、ひもろ杉とも云い、伊勢の員弁の郡桑名の郡のあたりにて、たちむろはいむろと云い、尾張の羽栗の郡にて、ねずむろとも、べぼの木ともむろとも云えり。すべて山に多き木にて、地にはうと、高くたつと、二くさ有りて、はう方には大木は無きを、立てるかたには、大きなるも多し。柏子と云う木に似て、又杉にも似たり。二種ともに、実多くなるなりと云えりき。
-
『玉勝間』十三の巻 萩の大木の事みちのくの宮城野わたりの萩は、高さ二丈あまりばかりなる多し。又同国の津軽の弘前の二里ばかりこなたに、大鰐と云う所に大日堂のある、前なる林の中に、一木の大木の、十余丈ばかりの高さの、かこみ四囲ばかりなるあるを、見れば、葉も花も全く萩なり。又薩摩の国にも、萩の大きなる木有りと云えりと或る物にしるしたり。まことにや。
-
『玉勝間』三の巻 五十師原山辺御井もと水有りしが、近き頃となりては、あせて、水は無かりけれど、此一とせ二とせさきまでは、井のかたは残れりしと云うを見れば、今は井のかただにのこらず、皆田に成りて、唯だいささかなる所に、古き松一もと立てるのみなるを、此松の本なん、御井の跡なると云えり。その近き里に、八十八になれりという翁のあるが、語りけるは、此松、おのが若かりしほどに、年老いたる者の、昔も今も同じ事にて、かわらずと云いしを、その頃も今も、又いささか変れる事無く、高くも太くもならず、ただ同じ事なりとぞ語りける。今見るに、さしも大きなる木にも有らず。よろしき程にて、まことに古くは見えたり。今より後、もし此松さえ枯れ失せたらんには、さばかりの御井の、名残りだになく、消えはてなん事、いともいとも心うく、うれわしきわざなれば、いかで石ぶみなどを建てて、跡をだに、長き世まで残さまほしきわざなりかし。さて又かの赤人屋敷と云う所より、東北の方へくだれる所にも、古く見ゆる井有り、山辺村の東南のはずれの所なり。こは世のつねの井のさまに、石を積みめぐらして、水も有り、此水、いみしきひでりにもかれずと里人云えり。
-
『玉勝間』十三の巻 信濃国の或村村の神事にうたふ歌ある人の云わく、しなのの国の、天竜川の河上なる、川村和田きさわなど云う里里の神事に、湯釜に湯をわかしたぎらせて、そのめぐりに、幣を立ておきて、夜更けて、その釜のほとりに、里人男女、老いたる少き打ち交じりつどいて、その幣をとり持ちて、うたう歌。おゆめすときのな、おみかげこぐそ〓〓、やくもだのぼれ〓〓、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る