玉勝間 / 十一の巻 みちのくの名所
陸奧ノ國の事どもを記るせる物に、宮城郡に利府村と云ふ有、仙臺より原町通三里廿八町餘あり。その利府村のならびなる高野村と云ふに、とふが菅とて名菅あり。其村の田の中に、二三間四方垣を結ひめぐらして、里の百姓、國主の命によりて、預り居るなり。古歌に「玉篠に霰たばしる音きけばいとどぞさゆるとふの菅ごもと云へり。また鹽竈六社大明神、仙臺より四里半ばかり有り。此國にて最。大社なり、其宮の下に、鹽燒竈と云ふあり、大きなる圓盆のごとし、此物の中に、つねに潮九分目ばかり有りて、いかなる旱にも減る事無く、又洪水のをりも增こと無く、同じことなり。いとあやしき物なり。海ぎはより三四町ばかり離れて、市中石段の上いかきの內に、五つ並びてあり。もとは六ッ有しに、一つは海へ沈みしとぞ。其所を今釜が淵と云ふなりと云へり。また名取川、仙臺近き大道の內にて、中田ノ宿と長町ノ宿との間に有、廣さ四十六間ありと云へり。又緒絕川、仙臺より南部へゆく大道にて、古川宿と荒谷ノ宿との間に有り、橋は長さ八間廣さ二間と云へり。また櫻川、同じ大道にて、一ノ關ノ宿と前澤、宿との間に有りと云へり。
新字:陸奥ノ国の事どもを記るせる物に、宮城郡に利府村と云ふ有、仙台より原町通三里廿八町余あり。その利府村のならびなる高野村と云ふに、とふが菅とて名菅あり。其村の田の中に、二三間四方垣を結ひめぐらして、里の百姓、国主の命によりて、預り居るなり。古歌に「玉篠に霰たばしる音きけばいとどぞさゆるとふの菅ごもと云へり。また塩竈六社大明神、仙台より四里半ばかり有り。此国にて最。大社なり、其宮の下に、塩焼竈と云ふあり、大きなる円盆のごとし、此物の中に、つねに潮九分目ばかり有りて、いかなる旱にも減る事無く、又洪水のをりも增こと無く、同じことなり。いとあやしき物なり。海ぎはより三四町ばかり離れて、市中石段の上いかきの内に、五つ並びてあり。もとは六ッ有しに、一つは海へ沈みしとぞ。其所を今釜が淵と云ふなりと云へり。また名取川、仙台近き大道の内にて、中田ノ宿と長町ノ宿との間に有、広さ四十六間ありと云へり。又緒絶川、仙台より南部へゆく大道にて、古川宿と荒谷ノ宿との間に有り、橋は長さ八間広さ二間と云へり。また桜川、同じ大道にて、一ノ関ノ宿と前沢、宿との間に有りと云へり。
書き下し
陸奥の国の事どもを記せる物に、宮城郡に利府村と云う有り、仙台より原町通り三里廿八町余あり。その利府村のならびなる高野村と云うに、とうが菅とて名菅あり。その村の田の中に、二三間四方垣を結いめぐらして、里の百姓、国主の命によりて、預り居るなり。古歌に「玉篠に霰たばしる音きけばいとどぞさゆるとうの菅ごもと云えり。また塩竈六社大明神、仙台より四里半ばかり有り。この国にて最大社なり、その宮の下に、塩焼竈と云うあり、大きなる円盆のごとし、この物の中に、つねに潮九分目ばかり有りて、いかなる旱にも減る事無く、また洪水のおりも増すこと無く、同じことなり。いとあやしき物なり。海ぎわより三四町ばかり離れて、市中石段の上いがきの内に、五つ並びてあり。もとは六つ有りしに、一つは海へ沈みしとぞ。その所を今釜が淵と云うなりと云えり。また名取川、仙台近き大道の内にて、中田の宿と長町の宿との間に有り、広さ四十六間ありと云えり。また緒絶川、仙台より南部へゆく大道にて、古川宿と荒谷の宿との間に有り、橋は長さ八間広さ二間と云えり。また桜川、同じ大道にて、一の関の宿と前沢宿との間に有りと云えり。
現代語訳
陸奥国のことを記した書に、こうある。宮城郡に利府村というところがあり、仙台から原町通りで三里二十八町あまりである。その利府村に隣り合う高野村というところに、十府の菅(とうのすが)という名高い菅がある。その村の田の中に、二、三間四方に垣を結い巡らして、村の百姓が国主(仙台藩主)の命令によって預かり守っている。古歌に「玉篠に霰がはげしく降り打つ音を聞くと、いっそう冷え冷えとする十府の菅菰であることよ」と詠んでいる。また塩竈六社大明神は、仙台から四里半ほどのところにある。この国で最も大きな社である。その宮の下に塩焼竈というものがあり、大きな丸い盆のようである。この中にはいつも潮が九分目ほど入っていて、どんな日照りにも減ることがなく、また洪水の時にも増えることがなく、いつも同じである。たいへん不思議なものである。海際から三、四町ほど離れて、町中の石段の上の斎垣の内に、五つ並んでいる。もとは六つあったが、一つは海へ沈んだという。その所を今は釜が淵というのだ、とのことである。また名取川は、仙台に近い街道の内で、中田の宿と長町の宿との間にあり、川幅は四十六間あるという。また緒絶川は、仙台から南部へ行く街道で、古川宿と荒谷の宿との間にあり、橋は長さ八間、幅二間あるという。また桜川は、同じ街道で、一関の宿と前沢の宿との間にあるという。
解説
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