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玉勝間 / 八の巻 古き物またそのかたを偽り作る事

げに上ッ代の人のしわざと見えて、其さまいみしく古めきたりければ、めづらかに覺えて、おのれも寫し置きたりしを、猶いかにぞや、疑はしくはた覺えしかば、かの國にその社近き里に、弟子のあるが許へ、しかじかの物得たるは、いかなるにかと、問ひにやりたりしもしるく、はやくいつはりにて、即ちかの社の神主飯田氏にも問ひしに、更にかたも無き事なりと、云ひおこせたりき。又同じ頃、檜垣嫗が、みづからきざみたる、ちひさき木の像の、肥後ノ國の、忘れたり、何とか云ふ所より、近く掘出たる、寫しとて、ここかしこに寫し傳へて、ひろまりたる、これはた、出たる本を尋ぬるに、確かなるやうには聞ゆれど、猶心得ぬ事有て、疑はしくなむ。すべてかうやうのたぐひ、今はゆくりかにはうけ難きわざなり。心すべし。

新字:げに上ッ代の人のしわざと見えて、其さまいみしく古めきたりければ、めづらかに覚えて、おのれも写し置きたりしを、猶いかにぞや、疑はしくはた覚えしかば、かの国にその社近き里に、弟子のあるが許へ、しかじかの物得たるは、いかなるにかと、問ひにやりたりしもしるく、はやくいつはりにて、即ちかの社の神主飯田氏にも問ひしに、更にかたも無き事なりと、云ひおこせたりき。又同じ頃、檜垣嫗が、みづからきざみたる、ちひさき木の像の、肥後ノ国の、忘れたり、何とか云ふ所より、近く掘出たる、写しとて、ここかしこに写し伝へて、ひろまりたる、これはた、出たる本を尋ぬるに、確かなるやうには聞ゆれど、猶心得ぬ事有て、疑はしくなむ。すべてかうやうのたぐひ、今はゆくりかにはうけ難きわざなり。心すべし。

書き下し

げに上つ代の人のしわざと見えて、其さまいみじく古めきたりければ、めずらかに覚えて、おのれも写し置きたりしを、猶いかにぞや、疑わしくはた覚えしかば、かの国にその社近き里に、弟子のあるが許へ、しかじかの物得たるは、いかなるにかと、問いにやりたりしもしるく、はやくいつわりにて、即ちかの社の神主飯田氏にも問いしに、更にかたも無き事なりと、云いおこせたりき。又同じ頃、檜垣嫗が、みずからきざみたる、ちいさき木の像の、肥後の国の、忘れたり、何とか云う所より、近く掘出たる、写しとて、ここかしこに写し伝えて、ひろまりたる、これはた、出たる本を尋ぬるに、確かなるように聞ゆれど、猶心得ぬ事有りて、疑わしくなむ。すべてこうようのたぐい、今はゆくりかにはうけ難きわざなり。心すべし。

現代語訳

いかにも上代の人の作と見えて、その姿がたいそう古めいていたので、珍しく思って自分も写しておいたのだが、やはりどうも疑わしくも思われたので、その国の、その社に近い村にいる弟子のもとへ、これこれの物を手に入れたがどういうものかと問い合わせにやったところ、案の定、とうに偽りと知れていて、その社の神主の飯田氏にも問うたところ、まったく跡形もない事だと言ってよこした。また同じ頃、檜垣の嫗(ひがきのおうな)が自分で刻んだという小さな木の像が、肥後国の、何とかいう所——名は忘れた——から近ごろ掘り出されたとして、その写しだというものがあちこちに写し伝えられて広まった。これもまた、出た元を尋ねると確かなように聞こえるが、やはり納得のいかない点があって疑わしい。およそこういう類は、今は軽々しくは受け入れがたいことである。用心すべきだ。

解説

前段の続きで、宣長自身がいったんは偽作をつかまされかけた経験を語る。古めかしい姿に惹かれて写しまで取ったが、どこか腑に落ちず、甲斐にいる弟子を通じて酒折宮の神主に問い合わせ、根も葉もない作り物だと確かめた。鈴屋の門人は伊勢から遠国まで広がっており、宣長はその人の網を使って各地の事実を確かめることができた。檜垣の嫗は後撰集に歌を残す肥後の女性で、白川のほとりに住んだと伝えられる人物であり、その自作の像というのも同じく疑わしいとする。宣長は自分の目を過信せず、疑わしいものは現地の当事者に確かめ、確かめられないものは判断を保留した。「心すべし」という短い結びは、学ぶ者すべてへの戒めとして読める。

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