玉勝間 / 十三の巻 八十嶋ノ祭の使
同記に、同年十一月廿八日庚辰云云、今日、被立八十嶋祭使、御乳母典侍藤原家子、(故家政卿女、〓隆卿室也)、行裝之儀、世以爲壯觀、藏人頭右近中將藤經宗、騎馬送之、依爲目緣也。藏人左近將監藤隆憲、爲勅使發向、典侍用唐車云云、子族等皆前駈、布衣也。
新字:同記に、同年十一月廿八日庚辰云云、今日、被立八十嶋祭使、御乳母典侍藤原家子、(故家政卿女、〓隆卿室也)、行装之儀、世以為壮観、蔵人頭右近中将藤経宗、騎馬送之、依為目縁也。蔵人左近将監藤隆憲、為勅使発向、典侍用唐車云云、子族等皆前駈、布衣也。
書き下し
同記に、同年十一月廿八日庚辰云云、今日、八十島祭の使を立てらる、御乳母典侍藤原家子、(故家政卿の女、〓隆卿の室なり)、行装の儀、世以て壮観と為す、蔵人頭右近中将藤経宗、騎馬にてこれを送る、目縁たるに依るなり。蔵人左近将監藤隆憲、勅使として発向す、典侍唐車を用うと云云、子族等皆前駈す、布衣なり。
現代語訳
同じ記録に、「同年十一月二十八日庚辰云々、今日、八十島祭の使いを立てられた。御乳母の典侍藤原家子(故家政卿の娘で、某隆卿の妻である)で、その行列の装いは世の人がみな壮観だと言った。蔵人頭右近中将藤原経宗が騎馬でこれを見送った。縁者であるからである。蔵人左近将監藤原隆憲が勅使として出発した。典侍は唐車を用いたという云々。一族の子弟らはみな先払いを務め、布衣(狩衣)の姿であった」とある。
解説
天皇の即位に伴って難波の海辺で行われた八十島祭の使いが出立する様子を記した記録である。八十島祭は、新しい天皇の御衣を納めた箱を海に向かって振り、国土の神々を祀って天皇の身体に国土の霊力を付けるとされた祭りで、天皇の乳母が典侍として使いを務めるのが例であった。この記事では、乳母の典侍藤原家子が唐車に乗り、一族の者が先払いをする華やかな行列が「壮観」と評されている。宣長はこの巻の後半で「又八十島祭」としてもう一つの記事を挙げており、古代の即位儀礼に強い関心を寄せていたことが分かる。天皇の身近に仕えた乳母が大役を担うところに、古代の宮廷における乳母の重みも見て取れる。
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 又八十島祭文徳実録に、嘉祥三年九月乙亥朔壬午、宮主正六位下占部雄貞、神琴師正六位上菅生朝臣末継、典侍正五位下藤原朝臣泉子御巫無位榎本連浄子等を遣わし、摂津国の八十島に向かわしむ。
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『玉勝間』四の巻 伏見天皇御即位の次第左の内侍まづのぼりて、左の御わきより、御けんをまいらせおく。御はしをしりぞきて、右のしもに内侍の座につきぬ。女王のしょうぞく、二色くれないのひとえ、そおうのうわぎ、あかいろのからぎぬ、かみあげの内侍は、勾当とこれ新内侍なり。御ぜんの命婦、みあれ、いつぬき、宮人、いしかわ、いぎの命婦、ははき、さぬき、ひぜん、たましき、これみなうらこきそおう、やなぎのからぎぬなり。こしょうの命婦、右衛門督殿(やなぎにくれないのひとえ、こうばいのうわぎ、)新左衛門督殿(もえぎにくれないのひとえ、山ぶきのうわぎ、)新宰相殿(むらさきうすように、しろきひとえ、山ぶきのうわぎ、もえぎのからぎぬ、)宮内卿殿(新宰相殿に同じ、)治部卿殿(紫のうすように、もえぎのうわぎ、えびぞめのからぎぬ、)少将内侍、少輔内侍(まつがさねに紅のひとえ、やなぎのからぎぬおなじ、)つねの衣のうえに、かいふにからぎぬ、こうけつの衣、ひらびたいなり。ぎょうれつのあいだの事、みさきにいぎの命婦四人、(えんどうの左右につづけり、)しょうちょうの左につく。つぎにけんしの内侍二人、(左こうとう、右はこれなり、)こしょうの女房、御うしろにあゆみつづきてまいる。
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『玉勝間』四の巻 伏見天皇御即位の次第左右の御うしろの御わきのとおりに、たんじゅとて、二すじ御よおろの程に下げられたり。御まえの左右の御わきに、ぎょくはいとて、玉をつらぬきて、つけられたり。御すそに、ひうちがたのからかねをつけられたれば、ふけんのごとくに、りやらめきならせ給う。御まえには、大じゅをむすび下げられたり。たちのひらおのごとく、むすびたれたり。高御座の事ぐしたるよし、しきじ申せば、やがて行幸あり。ぎょけんはこうとう給わる。璽はこれのやくなり。右の御わきにまいる。殿下のおおせに、そのしるしの御はこのうえにかけたるあみを、ゆびにかけつれば、とりはずし、あやまちはせぬぞとおおせあるに、御なさけの有りがたく、心もつよつよしくおぼえて、あやまち無し。高御座へ事ゆえなく参りつきぬ。とばりあげの役は、はくの三位のむすめなり。みょうぶ蔵人四人、やくの内侍六人、うらこきそおうこきもののぐ、行幸たか御くらへなれば、御さきのみょうぶ四人、御さきに立つ。その後かみあげの内侍二人、二行にならびて参る。たか御くらの御はしの左右に、ないしたちとまれば、殿下御簾のやくにまいり給いぬ。
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『玉勝間』四の巻 伏見天皇御即位の次第その後大しょうじのひんがしに、ひらしきの御座に、うげん二帖のうえに、御しとねよそいて、このうえにてわきの御膳などまいらす。御ばいぜんは女房、やくそうの女房は、こ上臈、あした所の北むきに、北にさぶらう。ぶぎょうのしきじを出だして、高御座の事はぐしたるかと、おおせくださるれば、しきじかえりまいりて、ぐしたるよし奏す。ひらしきの御座にて、御束帯ときくつろげさせおわしまして、玉の御かぶりめさる。らいふくめされて、大床子に主上わたらせおわします。玉の御かぶりに、あけのおをつく。あけの御ほうに、左右の御かたは、月と日とを出だし、御なおしには、北斗七星をあらわしたてまつる。御むね御袖には、竜ののぼりたるをぬいたり、あられじの御うえのはかまのうえに、らいふくの御もを召す。そのうえに御大そでの御ほうを召す。御くびがみ御まえもなり。そのうえにたかくびの御小袖の御ほうを召す。このいろいろの御もんは、御小袖の御ほうにあらわして、うえに召したり。あかじの錦の御しとうず、はながたのうらの御くつ、あかじのにしきにてつつみたり。御こしには御じゅとて、ひらおのしろきを引かせ給いたり。
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『玉勝間』四の巻 伏見天皇御即位の次第花山院・さいおんじ殿候わせ給う。かんぎょのぎしきぐせらるるほど、大しょうじのひんがしひらしきにてぞ、くごまいる。御ばいぜんは、女房もとのごとし。また大しょうじの西に、からえの御びょうぶを立てられたり。その西にて、両大納言殿御わりごひらき給うにや、そのやくそうには、五位のしきじよりふじあきよなど見え侍りつ。御ぜんはてぬれば、かんぎょなる。公卿のれち、御こしよりて召されぬれば、ずさどもよせて、またかえりまいりぬ。出車には、一のくるまに、左衛門督殿、新左衛門督殿、ははき、さぬき、二のくるまに、宮内、龍さ、ひぜん、たまき、三のくるまに、新兵衛、じぶ、みあれ、いつぬき、四のくるま、少将、少輔、宮人、いつぬき、としるせり。中務の内侍は、宮内卿永経卿のむすめなり。右の日記の文のうち、心得ぬ事まじれり、うつし誤りとおぼしきも、所々見ゆ。みな本のままに書きつ。
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『玉勝間』八の巻 祭に臨みて神主を定むる事左経記に、寛仁元年十一月三日丁酉、天晴る、祭事を行わんが為に、梅宮に参る云云、但し氏人等遅参す云云、仍て大膳少進従五位下上野朝臣広遠を以て、神主と為す云云(先例は氏人を以て神主と為す、而るに遅参す、仍て定め有りて、広遠を以て神主と為す)と有るを見れば、古は、祭に臨みて、神主と云うものを、定められたる事も有しなり。
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