玉勝間 / 四の巻 伏見天皇御即位の次第
左の內侍まづのぼりて、左の御わきより、御けんをまゐらせおく。御はしをしりぞきて、右のしもに內侍の座につきぬ。女王のしやうぞく、二色くれなゐのひとへ、そはうのうはぎ、あかいろのからぎぬ、かみあげの内侍は、勾當とこれ新內侍なり。御ぜんの命婦、みあれ、いつぬき、宮人、いしかは、ゐぎの命婦、ははき、さぬき、ひぜん、たましき、これみなうらこきそはう、やなぎのからぎぬなり。こせうの命婦、右衞門督殿(やなぎにくれなゐのひとへ、こうばいのうはぎ、)新左衞門督殿(もえぎにくれなゐのひとへ、山ぶきのうはぎ、)新宰相殿(むらさきうすやうに、しろきひとへ、山ぶきのうはぎ、もえぎのからぎぬ、)宮内卿殿(新宰相殿に同じ、)治部卿殿(紫のうすやうに、もえぎのうはぎ、えびぞめのからぎぬ、)少將內侍、少輔內侍(まつがさねに紅のひとへ、やなぎのからぎぬおなじ、)つねの衣のうへに、かいふにからぎぬ、かうけつの衣、ひらびたひなり。ぎやうれつのあひだの事、みさきにゐぎの命婦四人、(えんだうの左右につづけり、)しやうちやうの左につく。つぎにけんしの內侍二人、(左こうたう、右はこれなり、)こせうの女房、御うしろにあゆみつづきてまゐる。
新字:左の内侍まづのぼりて、左の御わきより、御けんをまゐらせおく。御はしをしりぞきて、右のしもに内侍の座につきぬ。女王のしやうぞく、二色くれなゐのひとへ、そはうのうはぎ、あかいろのからぎぬ、かみあげの内侍は、勾当とこれ新内侍なり。御ぜんの命婦、みあれ、いつぬき、宮人、いしかは、ゐぎの命婦、ははき、さぬき、ひぜん、たましき、これみなうらこきそはう、やなぎのからぎぬなり。こせうの命婦、右衛門督殿(やなぎにくれなゐのひとへ、こうばいのうはぎ、)新左衛門督殿(もえぎにくれなゐのひとへ、山ぶきのうはぎ、)新宰相殿(むらさきうすやうに、しろきひとへ、山ぶきのうはぎ、もえぎのからぎぬ、)宮内卿殿(新宰相殿に同じ、)治部卿殿(紫のうすやうに、もえぎのうはぎ、えびぞめのからぎぬ、)少将内侍、少輔内侍(まつがさねに紅のひとへ、やなぎのからぎぬおなじ、)つねの衣のうへに、かいふにからぎぬ、かうけつの衣、ひらびたひなり。ぎやうれつのあひだの事、みさきにゐぎの命婦四人、(えんだうの左右につづけり、)しやうちやうの左につく。つぎにけんしの内侍二人、(左こうたう、右はこれなり、)こせうの女房、御うしろにあゆみつづきてまゐる。
書き下し
左の内侍まづのぼりて、左の御わきより、御けんをまいらせおく。御はしをしりぞきて、右のしもに内侍の座につきぬ。女王のしょうぞく、二色くれないのひとえ、そおうのうわぎ、あかいろのからぎぬ、かみあげの内侍は、勾当とこれ新内侍なり。御ぜんの命婦、みあれ、いつぬき、宮人、いしかわ、いぎの命婦、ははき、さぬき、ひぜん、たましき、これみなうらこきそおう、やなぎのからぎぬなり。こしょうの命婦、右衛門督殿(やなぎにくれないのひとえ、こうばいのうわぎ、)新左衛門督殿(もえぎにくれないのひとえ、山ぶきのうわぎ、)新宰相殿(むらさきうすように、しろきひとえ、山ぶきのうわぎ、もえぎのからぎぬ、)宮内卿殿(新宰相殿に同じ、)治部卿殿(紫のうすように、もえぎのうわぎ、えびぞめのからぎぬ、)少将内侍、少輔内侍(まつがさねに紅のひとえ、やなぎのからぎぬおなじ、)つねの衣のうえに、かいふにからぎぬ、こうけつの衣、ひらびたいなり。ぎょうれつのあいだの事、みさきにいぎの命婦四人、(えんどうの左右につづけり、)しょうちょうの左につく。つぎにけんしの内侍二人、(左こうとう、右はこれなり、)こしょうの女房、御うしろにあゆみつづきてまいる。
現代語訳
左の内侍がまず(高御座に)上って、左の御脇から御剣を差し上げて置く。御階を退いて、右の下手の内侍の座に着いた。女王の装束は、二色の紅の単、蘇芳の表着、赤色の唐衣である。髪上げの内侍は、勾当内侍と私、新内侍である。御前の命婦は、みあれ・いつぬき・宮人・いしかわ、威儀の命婦は、ははき・さぬき・ひぜん・たましきで、これはみな裏の濃い蘇芳に柳の唐衣である。扈従(こしょう)の命婦は、右衛門督殿(柳に紅の単、紅梅の表着)、新左衛門督殿(萌黄に紅の単、山吹の表着)、新宰相殿(紫の薄様に白い単、山吹の表着、萌黄の唐衣)、宮内卿殿(新宰相殿に同じ)、治部卿殿(紫の薄様に萌黄の表着、葡萄染の唐衣)、少将内侍・少輔内侍(松襲に紅の単、柳の唐衣も同じ)である。普段の衣の上に、海賦の文様の唐衣、纐纈(絞り染め)の衣を着て、平額(ひらびたい)を付けている。行列の間の事は、先頭に威儀の命婦四人(筵道の左右に続いた)が、しょうちょうの左に付く。次に剣璽の内侍二人(左は勾当内侍、右は私である)、扈従の女房たちが、御後ろに歩み続いて参る。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』四の巻 伏見天皇御即位の次第左右の御うしろの御わきのとおりに、たんじゅとて、二すじ御よおろの程に下げられたり。御まえの左右の御わきに、ぎょくはいとて、玉をつらぬきて、つけられたり。御すそに、ひうちがたのからかねをつけられたれば、ふけんのごとくに、りやらめきならせ給う。御まえには、大じゅをむすび下げられたり。たちのひらおのごとく、むすびたれたり。高御座の事ぐしたるよし、しきじ申せば、やがて行幸あり。ぎょけんはこうとう給わる。璽はこれのやくなり。右の御わきにまいる。殿下のおおせに、そのしるしの御はこのうえにかけたるあみを、ゆびにかけつれば、とりはずし、あやまちはせぬぞとおおせあるに、御なさけの有りがたく、心もつよつよしくおぼえて、あやまち無し。高御座へ事ゆえなく参りつきぬ。とばりあげの役は、はくの三位のむすめなり。みょうぶ蔵人四人、やくの内侍六人、うらこきそおうこきもののぐ、行幸たか御くらへなれば、御さきのみょうぶ四人、御さきに立つ。その後かみあげの内侍二人、二行にならびて参る。たか御くらの御はしの左右に、ないしたちとまれば、殿下御簾のやくにまいり給いぬ。
-
『玉勝間』四の巻 伏見天皇御即位の次第中務の内侍の日記に、弘安十一年、伏見の天皇御即位の儀をしるして云わく、三月十五日、御即位行幸の儀式、関白殿・左大将以下、供奉の人々、めずらしく面白し。かみあげの内侍、この御所より、少将の内侍・しょうの内侍なり。御所御しょうぞくめされぬ。殿入らせ給う。召し仰せはてぬるよし、奉行のしきじ申せば、南殿へならせ給う。御輿に召されぬれば、かんのちょうへ、いそぎこうとうもまいる。かみあげのとくせんもうけたれば、車のしりにのせて、かんのちょうの北むきよりまいりて、かみあげしたためて、あした所の南むきに、勾当とさぶらえば、ようよう行幸ちかづかせおわしますとて、ぐぶの公卿しだいにれちに立ちたり。御輿よらせ給いぬ。関白殿、御したがさねひきなおしまいらせらる。公卿のすけまいりて、けんしとりて、内侍につたえて後、御輿につきて、みつなのすけそうぞきぬ。奏はてて、主上入らせ給えば、殿御簾にまいらせ給い、ひさしのみすあらわより、しきじあきよたれたれは、御もやの御簾あげられて、主上大しょうじにわたらせ給う。けんしも大しょうじにおき奉りて、内侍あした所の北むきに出でてさぶらう。
-
『玉勝間』四の巻 伏見天皇御即位の次第その後大しょうじのひんがしに、ひらしきの御座に、うげん二帖のうえに、御しとねよそいて、このうえにてわきの御膳などまいらす。御ばいぜんは女房、やくそうの女房は、こ上臈、あした所の北むきに、北にさぶらう。ぶぎょうのしきじを出だして、高御座の事はぐしたるかと、おおせくださるれば、しきじかえりまいりて、ぐしたるよし奏す。ひらしきの御座にて、御束帯ときくつろげさせおわしまして、玉の御かぶりめさる。らいふくめされて、大床子に主上わたらせおわします。玉の御かぶりに、あけのおをつく。あけの御ほうに、左右の御かたは、月と日とを出だし、御なおしには、北斗七星をあらわしたてまつる。御むね御袖には、竜ののぼりたるをぬいたり、あられじの御うえのはかまのうえに、らいふくの御もを召す。そのうえに御大そでの御ほうを召す。御くびがみ御まえもなり。そのうえにたかくびの御小袖の御ほうを召す。このいろいろの御もんは、御小袖の御ほうにあらわして、うえに召したり。あかじの錦の御しとうず、はながたのうらの御くつ、あかじのにしきにてつつみたり。御こしには御じゅとて、ひらおのしろきを引かせ給いたり。
-
『玉勝間』四の巻 伏見天皇御即位の次第花山院・さいおんじ殿候わせ給う。かんぎょのぎしきぐせらるるほど、大しょうじのひんがしひらしきにてぞ、くごまいる。御ばいぜんは、女房もとのごとし。また大しょうじの西に、からえの御びょうぶを立てられたり。その西にて、両大納言殿御わりごひらき給うにや、そのやくそうには、五位のしきじよりふじあきよなど見え侍りつ。御ぜんはてぬれば、かんぎょなる。公卿のれち、御こしよりて召されぬれば、ずさどもよせて、またかえりまいりぬ。出車には、一のくるまに、左衛門督殿、新左衛門督殿、ははき、さぬき、二のくるまに、宮内、龍さ、ひぜん、たまき、三のくるまに、新兵衛、じぶ、みあれ、いつぬき、四のくるま、少将、少輔、宮人、いつぬき、としるせり。中務の内侍は、宮内卿永経卿のむすめなり。右の日記の文のうち、心得ぬ事まじれり、うつし誤りとおぼしきも、所々見ゆ。みな本のままに書きつ。
-
『玉勝間』四の巻 伏見天皇御即位の次第事しずまりて、みなみをはるかに見やれば、せちげのはた立てて、風にひらめきて立ちたり。大きなるこうばんに、みょうごうやにおうらんと見えたり。こがねのたからすとて、あしの三あるとり見ゆ。しんこんたけうのなかには、日の中に、さんぞくのからすあり、月の中には、ろくそくのうさぎありと聞きしも、ほんせちある事なりけりと、信おこりておぼえて、から人のすがたどもなみたちて、はいし奉るに、身のけも立ち、涙ぐましく、めでたくうれし。右大臣殿からめかしき御すがたにて、まくのうちよりねりいで給えば、ぎょくはいのおとかや、みちにりやらめきて、びびしく、御たけのたかさ、御てんのたかさにもたちおとり給わず。たか御くらにむきてはいし給うを、見るにもめでたく侍る。「ためしなきここちこそすれ君が代のかかるみゆきにきょうつかえつる、と思いつづけたれども、うちまぎれぬ。ようようたいれいのぎどももはてぬれば、殿たか御くらへのぼり給う。あした所へかえり入らせおわします。御けんしるしの御はこなど、もとのごとくつとむ。主上御しょうぞくめしあらためて、かんぎょのぎになるほどに、この御やすまくへいらせ給いぬ。
-
『玉勝間』七の巻 御即位親王代礼服実躬卿記(一名先人記)に云う、永仁六年十月小十三日(丁卯)天晴れ風静かなり、今日天皇(春秋十一歳)御即位、(官庁なり、)実躬右の親王代に定めらるるの間、巳の剋礼服を着る、先ず烏帽子を着て、理髪す、(小烏帽子なり、随身の烏帽子のごときなり、)次に大口を着る、(例の大口なり、)次に襪を着る、(例の襪二重、上に赤地の錦の襪を着るなり、休組有るべきか、或いはまた之無し、)次に単衣を着る、(例の単、袖を解き放つ、強ちに見えざるの上、小袖の寸法大小の間、無要たるに依るなり、)次に表袴を着る(唐綾を用うべきか、近代絶えてこの儀無し、仍りて例の縮線綾の表袴を着用する所なり、左の親王代もまたかくのごとし、表袴・大口等の腰、恒のごとく之を結ぶ、)次に裳を着る、(深色の顕文紗、表袴より三寸引き上げて之を着る、)次に小袖を着る、(黒櫨、裳より三寸引き上げて之を着る、下帯を以て之を結ぶ、)次に大袖を着る、(麹塵の御綾、織文は雲・唐鳥の丸、小袖より三寸引き上げて之を着る、下帯を以てまた之を結ぶ、大袖の頸紙半ばに当てて之を折る、承久の故大納言の着用かくのごとし、)次に綬を結ぶ、(平緒のごとく前に垂る、総の末は大袖の末の上程に至る、平緒に綬を垂るるの間かくのごとし、経俊は左の腰に垂れ、聊か前方に寄す、総の末は小袖の末に至る、)次に玉佩を付く、(右の腰に付け、下帯に付けて結び付くるがごとし、その末の綴は未だ押し交えず、)次に剣を帯ぶ、(紫檀の平緒、前に垂るる綬少し長く之を垂る、石見より一寸余出だす、後は平緒の下より一寸余出だし見す、)次に玉冠を着る、(冠は頭に合わせて之を調う、仍りて燈心の輪頗る無要の間之を入れず、紫の組緒を耳の後より頸の下に結ぶ、また小さき烏帽子の風口を構う、これ今の要なり、承久の故大納言は里亭より之を着る、)次に笏を取る(須らく牙笏を持つべし、次いでにて持つべからざるの間、置物を以て之に化す、)扇、(紫の扇なり、用意の為に之を懐中す、)已上玉佩の外悉く之を新調すと見ゆ、写し誤れるもじ有りと見えて、読みがたき所々有り。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る