玉勝間 / 十三の巻 筑紫の観世音寺焼亡の事
同記に、同年七月十九日云云、今日、左大臣召外記、下給太宰府解、可勘例、其狀云、去六月廿一日夜、觀世音寺、堂塔廻廊燒亡。件寺是都府之大厦、天智天皇以後、元明天皇以往、五代之聖主、相續草創之御願也。五百餘年之間、奉祈國家、不退靈驗之砌也。但於塔者、康平七年五月十一日、燒亡、中尊丈六金銅阿彌陀如來像、在猛火之中、尊容無變、昔自百濟國奉渡之云云。
新字:同記に、同年七月十九日云云、今日、左大臣召外記、下給太宰府解、可勘例、其状云、去六月廿一日夜、観世音寺、堂塔廻廊焼亡。件寺是都府之大厦、天智天皇以後、元明天皇以往、五代之聖主、相続草創之御願也。五百余年之間、奉祈国家、不退霊験之砌也。但於塔者、康平七年五月十一日、焼亡、中尊丈六金銅阿弥陀如来像、在猛火之中、尊容無変、昔自百済国奉渡之云云。
書き下し
同記に、同年七月十九日云云、今日、左大臣外記を召し、太宰府の解を下し給い、例を勘うべし、その状に云う、去る六月廿一日夜、観世音寺、堂塔廻廊焼亡す。件の寺は是れ都府の大厦、天智天皇以後、元明天皇以往、五代の聖主、相続きて草創の御願なり。五百余年の間、国家を祈り奉り、不退の霊験の砌なり。但し塔に於いては、康平七年五月十一日、焼亡す、中尊丈六金銅阿弥陀如来像、猛火の中に在りて、尊容変わる無し、昔百済国より渡し奉ると云云。
現代語訳
同じ記録に、「同年七月十九日云々、今日、左大臣が外記を召して、大宰府からの報告書(解)をお下しになり、先例を調べるよう命じられた。その内容に言う、去る六月二十一日の夜、観世音寺の堂塔や回廊が焼亡した。この寺は大宰府の大伽藍で、天智天皇以後、元明天皇に至るまで、五代の天皇が相次いで創建された御願寺である。五百余年の間、国家のために祈り申し上げ、霊験の絶えない所である。ただし塔については、康平七年五月十一日に焼亡した。中尊の丈六の金銅阿弥陀如来像は、猛火の中にあってもお姿が変わらなかった。昔、百済国から渡して来られたものであるという云々」とある。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 六角堂焼亡同記に、同年十二月八日庚寅云云、丑の尅、六角東洞院、炎上有り、火隆季朝臣の宅より出ず、六角堂灰燼と為る、但し観音の霊像は出だし奉り了んぬ、件の像は、上宮太子の随身の持仏なり、昔多羅木に懸け奉り、今堂中に在りと云云。
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『玉勝間』十一の巻 神祇官に坐ス八柱ノ神の御霊実の焼亡坐し事安元三年四月廿八日の火災に、神祇官の八神の御正体焼亡のよし、そのころの記録どもに見えたり。この火は樋口富の小路より出でたるよしなり。さて神祇官は、大炊御門の南、大宮の西にて、大炊の御門は、今竹屋町と云うすじなれば、失火の所よりは、遥かにさかれれば、御正体は、いかにも易く取り出だし奉るべきわざなるに焼亡し給いぬるは、いかなる事にか。いともいともあさましく、かしこし。されどかかるまが事も、みな神の御心にては有るなり。その程より、つぎつぎの世の有さまをもて思うに、天皇のやむごとなき御守り神たちの御霊実の、かくなくなり給えるは、由ある事なりけむかし。
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『玉勝間』十三の巻 神鏡焼損の事百練抄に、寛弘二年十一月十五日、内裏焼亡云云。神鏡灰燼の中に在り、同十七日、神鏡焼損の事、諸卿をしてこれを定め申さしむ。或る記に云う、十二月九日、神鏡を東三条に移し奉る、旧櫃を開く特、新韓櫃に納め奉るの間、忽然として日光の照曜する有り、内侍女官等これを恐れ驚く、同三年七月三日、諸卿御前に於て定め申す、諸道勘申す、神鏡鋳改むべきや否やの事、定むる間、三尺余の蛇、御在所の庇より庭中に落ち、南殿の北階より登り、西に赴きて見えず、神受の兆と謂うべし。また長久元年九月九日、皇居上東門院焼亡云云。内侍所の神鏡、灰燼の中に在りて焼損す。蔵人頭左中将資房、左少将経季等を遣わし、これを求めしむ、僅かに御体を准得し奉る、(焼け残り五六寸許)即ち畏みて折櫃に入れ奉る、又一切を得、(二三寸許)その体焼損し、分明ならずと云云。次次。二三寸許を得、各各段段なり。又金玉の如き物、数粒これを得、随いて又これを彼の櫃に加え入れ奉る。十日、内侍所の女官二人これを夢想す、一人の夢に云う、彼の本所の方に小蛇あり、頗る悩む気有り、一人の夢に云う、彼の本所に人有りて云う、吾相離れ、独身此の所に在りと云云。仍りて女官等彼の所に向かい、鑿ちてこれを求め奉るの処、金玉の如きもの二粒を求め得、即ち入れ奉り畢んぬ。霊験有り、感歎すべしと云云。已上資房卿の記に見ゆ、同十二日、神鏡焼損の事を定め申す、寛弘二年の例に任せて、これを行わるべきの由定め申し了んぬ。
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『玉勝間』六の巻 彦根寺同じ記に、同三年十二月十五日、摂政殿、近江国彦根寺に参詣せしめ給う、云云。二十二日、太上皇、彦根に参らしめ御し給う、云云。今年、京中の上下、多く以てこの寺に参詣す。予つぶさに中納言殿に申し、参詣するなり。観音の霊験と云云。
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