玉勝間 / 十三の巻 興福寺維摩会講師の請
同記に、同年五月廿六日云云、又被下維摩講師宣旨、云云、傳燈大法師位仁圓、(年〓)、法相宗、(專七十寺)攝政宣、件大法師、宜仰綱所、令請定當年維摩會講師者、康治二年五月廿六日、大炊頭兼大外記助〓中原朝臣師安奉。
新字:同記に、同年五月廿六日云云、又被下維摩講師宣旨、云云、伝灯大法師位仁円、(年〓)、法相宗、(専七十寺)摂政宣、件大法師、宜仰綱所、令請定当年維摩会講師者、康治二年五月廿六日、大炊頭兼大外記助〓中原朝臣師安奉。
書き下し
同記に、同年五月廿六日云云、又維摩講師の宣旨を下さる、云云、伝灯大法師位仁円、(年〓)、法相宗、(専七十寺)摂政宣す、件の大法師、宜しく綱所に仰せ、当年の維摩会の講師に請い定めしむべし者、康治二年五月廿六日、大炊頭兼大外記助〓中原朝臣師安奉る。
現代語訳
同じ記録に、「同年五月二十六日云々、また維摩会の講師を任ずる宣旨が下された云々。伝灯大法師位仁円(年齢は不明)、法相宗(専寺は七十寺)。摂政が宣する。この大法師を、僧綱所に命じて、今年の維摩会の講師として招き定めさせよ、とのことである。康治二年五月二十六日、大炊頭兼大外記助教中原朝臣師安が承る」とある。
解説
奈良の興福寺で毎年行われた維摩会の講師を任命する宣旨の文面を、そのまま写した段である。維摩会は『維摩経』を講じる法会で、宮中の御斎会、薬師寺の最勝会とともに南都三会と呼ばれ、その講師を務めることは僧侶の出世の重要な段階であった。宣旨は摂政の命を受けて外記が書き、僧綱所に講師の招請を命じる形式をとっている。宣長がこうした文書を書き留めたのは、朝廷の公文書の書式や、任命の手続きを具体的に知る資料として価値を認めたからであろう。宣長は仏教の説話には批判的であったが、朝廷の制度としての仏事の記録には客観的な関心を寄せていた。形式の整った文書は、それ自体が時代の仕組みを語る史料なのである。
関連する章句
-
『玉勝間』十三の巻 神社にてほうしをして仏の経をよましむる事同紀に、斉衡元年四月、伝灯大法師位智戒興智真秀、伝灯法師位明昭玄永、伝灯満位僧基蔵基秀を遣わし、七道諸国の名神社に向かい、般若を転読せしむ、民の福を祈るなり。また同三年九月、僧を賀茂松尾大神社に請い、金剛般若経を読ましむ、三日を限りて訖う。また天安元年五月にも、同じ事あり。すべてかかるたぐいの事は、いかなる事にか有りけむ。
-
『玉勝間』十三の巻 親王宣旨の書キやう同書に、文治五、十一、十九、同記に云う、高倉院の宮宮、親王の宣旨を下さるべし、云云、御名字を宣下す、云云、壇紙一枚に書く云云、その書様、守貞惟明已上親王と為すと見ゆ。件の二つの御名、並びて各一行に書きて、已上云云は、又一行にて、少し下して書きたり。
-
『玉勝間』七の巻 大徳寺住持綸旨甘露寺の元長の卿の記に、永正五年二月廿七日、大徳寺の侍者僧来たる、神事の間、門外に於て綸旨を渡す、礼として百匹持ち来たる、例のごとし、来月十六日入院と云々、綸言を被るに偁く、大徳寺住持職の事、勅請有る所なり、殊に仏法の興隆を専らにし、宝祚の長久を祈り奉るべし者、天気に依りて執達件のごとし、永正五年二月廿一日、左少弁伊長、東海上人禅室とあり、後柏原の天皇の御世の事なり。
-
『玉勝間』十三の巻 御仏名のはじまり同紀に承和五年十二月乙酉朔己亥、天皇清涼殿に於いて、仏名懺悔を修す。限るに三日三夜を以てす。律師静安、大法師願安実敏願定道昌等、遞いに導師と為る。内裏の仏名懺悔、此より始まると見ゆ。然るに一代要記に、淳和天皇の御世より始まると云い、公事根源に、宝亀五年よりと云えるなどは、ひがことなるべし。三代実録に貞観十八年六月廿一日丙寅、一万三千の仏像、二十九鋪、各広さ五幅、高さ一丈六尺、東海山陰南海、三道の諸国に分かち置く。国別に一鋪。是より先元興寺の僧賢護牒解を申す。先師故律師伝灯大法師位静安、承和年中、国家に勧め奉り、仏名を礼拝し、始めて内裏に行い、漸く人間に遍く、遂に諸国に詔して並びに勤修せしむ。云云、望み請うらくは、内裏及び諸国に分かち置き、御願懺悔の会に至る毎に、真容を展張し、前に於いてこれを修せんことを、その請う所を許す。
-
『玉勝間』十の巻 歌会同じ記に云う、嘉吉二年九月十八日、今日冷泉中将持和朝臣の宿所に参る、(近衛室町の辺なり)去月この宿所に移住す云々。一盞分撓し、之より雑談に及ぶ。和歌の懐紙の書き様、また会の座に懐紙を置く様、講師已下の条々の作法、具に之を口伝せらる、記録に遑あらざる者なり、云々。同日今夜、飯尾新左衛門尉為数の亭にて和歌会なり、云々。常光院大僧都堯孝題を出すなり。今夜読師たり。蜷川新右衛門入道智蘊講師たり、云々。今夜新右衛門講師の時、堯孝が短冊には、大僧都とよめり。懐紙もまた之に同じ、その外は皆実名、官途実名なり。聊か思惟有るべきか、如何。実名の中、ちと然るべきの輩、微音なり。その験有り、愚存もまたかくの如し。先ず懐紙を講じて後、次に短冊を披講す。
-
『玉勝間』一の巻 歌の御会のめぐらし文甘露寺権大納言元長卿記に云う、永正五年正月十四日、和哥御会の廻文を書き、釜殿を以て之を遣わす、鷺に慶音有り、右の御題、来る十九日披講有るべし、予参せしめ給うべき由、仰せ下され候なり、正月十四日、元長、中御門大納言殿、(この所同じつらに廿三人の名あり)袖書に尅限は午の一点たるべきなり、丞相には別紙の折紙を以て之を相触る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る