玉勝間 / 十三の巻 御仏名のはじまり
同紀に承和五年十二月乙酉朔己亥、天皇於〓涼殿、修佛名懺悔。限以三日三夜。律師靜-安、大法師願-安實-敏願-定道-昌等、遞爲導師。內裏佛名懺悔、自此而始と見ゆ。然るに一代要記に、淳和天皇の御世より始まると云ひ、公事根源に、寶龜五年よりと云へるなどは、ひがことなるべし。三代實錄に貞觀十八年六月廿一日丙寅、一萬三千佛像、二十九鋪、各廣五幅、高一丈六尺、分置東海山陰南海、三道諸國。國別一鋪。先是元興寺僧賢護申牒解。先師故律師傳燈大法師位靜安、承和年中、奉勸國家、禮拜佛名、始行內裏、漸遍人間、遂詔諸國並令勤修。云云、望請、分置內裏及諸國、每至御願懺悔之會、展張眞容、於前修之、許其所請焉。
新字:同紀に承和五年十二月乙酉朔己亥、天皇於〓涼殿、修仏名懺悔。限以三日三夜。律師静-安、大法師願-安実-敏願-定道-昌等、逓為導師。内裏仏名懺悔、自此而始と見ゆ。然るに一代要記に、淳和天皇の御世より始まると云ひ、公事根源に、宝亀五年よりと云へるなどは、ひがことなるべし。三代実録に貞観十八年六月廿一日丙寅、一万三千仏像、二十九鋪、各広五幅、高一丈六尺、分置東海山陰南海、三道諸国。国別一鋪。先是元興寺僧賢護申牒解。先師故律師伝灯大法師位静安、承和年中、奉勧国家、礼拝仏名、始行内裏、漸遍人間、遂詔諸国並令勤修。云云、望請、分置内裏及諸国、毎至御願懺悔之会、展張真容、於前修之、許其所請焉。
書き下し
同紀に承和五年十二月乙酉朔己亥、天皇清涼殿に於いて、仏名懺悔を修す。限るに三日三夜を以てす。律師静安、大法師願安実敏願定道昌等、遞いに導師と為る。内裏の仏名懺悔、此より始まると見ゆ。然るに一代要記に、淳和天皇の御世より始まると云い、公事根源に、宝亀五年よりと云えるなどは、ひがことなるべし。三代実録に貞観十八年六月廿一日丙寅、一万三千の仏像、二十九鋪、各広さ五幅、高さ一丈六尺、東海山陰南海、三道の諸国に分かち置く。国別に一鋪。是より先元興寺の僧賢護牒解を申す。先師故律師伝灯大法師位静安、承和年中、国家に勧め奉り、仏名を礼拝し、始めて内裏に行い、漸く人間に遍く、遂に諸国に詔して並びに勤修せしむ。云云、望み請うらくは、内裏及び諸国に分かち置き、御願懺悔の会に至る毎に、真容を展張し、前に於いてこれを修せんことを、その請う所を許す。
現代語訳
同じ『続日本後紀』に、「承和五年十二月十五日、天皇が清涼殿で仏名懺悔を修された。三日三晩を限りとした。律師静安、大法師願安・実敏・願定・道昌らが交代で導師を務めた」とあって、内裏の仏名懺悔はこの時から始まったと見える。ところが『一代要記』に淳和天皇の御代から始まったと言い、『公事根源』に宝亀五年からと言っているのなどは誤りであろう。『三代実録』に、「貞観十八年六月二十一日丙寅、一万三千の仏の像を描いた二十九幅の画像、それぞれ幅五幅、高さ一丈六尺を、東海・山陰・南海の三道の諸国に分けて置いた。国ごとに一幅である。これより先、元興寺の僧賢護が文書で申し出た。『先師の故律師伝灯大法師位静安は、承和年中に国家にお勧めして仏名を礼拝し、初めて内裏で行い、しだいに世間に広まって、ついに諸国に詔して同じく勤修させることになった』云々、『願わくは、内裏と諸国に分けて置き、御願の懺悔の会のたびに真の御姿を掛け広げ、その前でこれを修したい』。その願いを許した」とある。
解説
関連する章句
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