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玉勝間 / 七の巻 大徳寺住持綸旨

甘露寺ノ元長ノ卿ノ記に、永正五年二月廿七日、大德寺侍者僧來、神事之間、於門外渡綸旨、爲禮百匹持來、如例、來月十六日入院、云云、被綸言偁、大德寺住持職事、所有勅請也、殊專佛法興隆、可奉祈寶祚長久者、依天氣執達如件、永正五年二月廿一日、左少辨伊長、東海上人禪室とあり、後柏原ノ天皇の御世の事なり。

新字:甘露寺ノ元長ノ卿ノ記に、永正五年二月廿七日、大徳寺侍者僧来、神事之間、於門外渡綸旨、為礼百匹持来、如例、来月十六日入院、云云、被綸言偁、大徳寺住持職事、所有勅請也、殊専仏法興隆、可奉祈宝祚長久者、依天気執達如件、永正五年二月廿一日、左少弁伊長、東海上人禅室とあり、後柏原ノ天皇の御世の事なり。

書き下し

甘露寺の元長の卿の記に、永正五年二月廿七日、大徳寺の侍者僧来たる、神事の間、門外に於て綸旨を渡す、礼として百匹持ち来たる、例のごとし、来月十六日入院と云々、綸言を被るに偁く、大徳寺住持職の事、勅請有る所なり、殊に仏法の興隆を専らにし、宝祚の長久を祈り奉るべし者、天気に依りて執達件のごとし、永正五年二月廿一日、左少弁伊長、東海上人禅室とあり、後柏原の天皇の御世の事なり。

現代語訳

甘露寺元長卿の日記に、「永正五年二月二十七日、大徳寺の侍者の僧が来た。神事の期間中なので、門の外で綸旨(天皇の命令書)を渡した。礼として銭百疋を持って来た。例のとおりである。来月十六日に入寺するという」とあり、その綸旨には、「天皇のお言葉を承るに、大徳寺の住持職のことは、勅命によって請うところである。とりわけ仏法の興隆に専心し、皇位の長久をお祈り申し上げるように、との天皇のご意向により、以上のとおり伝達する。永正五年二月二十一日、左少弁伊長。東海上人禅室へ」とある。これは後柏原天皇の御代のことである。

解説

戦国時代の公卿甘露寺元長の日記から、大徳寺の住持を任じる綸旨の記事を書き抜いた段である。大徳寺は天皇の勅願によって住持を定める寺格を持ち、新住持には天皇の命令書である綸旨が下された。日記には、神事の期間中なので僧を門内に入れず門外で綸旨を渡したこと、礼に銭百疋を持参したのが例であることが記されている。神事のあいだ僧を遠ざける作法は、朝廷が神事と仏事を分けていたことを示す。宣長はこうした朝廷の文書の書式や作法を、原文のまま写し取ることを好んだ。応仁の乱の後、朝廷の財政が窮乏していた時代でもあり、礼銭の授受の記録はその事情もうかがわせる。一通の文書の文面と受け渡しの作法から、時代の制度と空気を読み取ることができる。

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