玉勝間 / 十三の巻 しづかなる山林をすみよしと云ふ事
世世の物しり人、又今の世に學問する人なども皆、住みかは、里遠くしづかなる山林を、住よく好ましくするさまにのみ云ふなるを、われはいかなるにか、更にさはおぼえず。唯だ人げしげくにぎははしき所の、好ましくて、さる世ばなれたる所などは、寂しくて、心もしをるるやうにぞ覺ゆる。さるは稀れ稀れにものして、一夜旅寢したるなどこそは、めづらかなるかたに、おかしくも覺ゆれ。さる所に、常に住ままほしくは、更におぼえずなむ。人の心はさまざまなれば、人うとく靜かならむ所を、住みよく覺えむもさることにて、まことにさ思はむ人も、世には多かりぬべけれど、又例のつくりことの、漢ぶりの人まねに、さ云ひなしてなべての世の人の心と、ことなるさまに、もてなすたぐひも、中には有りぬべくや。かく疑はるるも、おのが俗情のならひにこそ。
新字:世世の物しり人、又今の世に学問する人なども皆、住みかは、里遠くしづかなる山林を、住よく好ましくするさまにのみ云ふなるを、われはいかなるにか、更にさはおぼえず。唯だ人げしげくにぎははしき所の、好ましくて、さる世ばなれたる所などは、寂しくて、心もしをるるやうにぞ覚ゆる。さるは稀れ稀れにものして、一夜旅寝したるなどこそは、めづらかなるかたに、おかしくも覚ゆれ。さる所に、常に住ままほしくは、更におぼえずなむ。人の心はさまざまなれば、人うとく静かならむ所を、住みよく覚えむもさることにて、まことにさ思はむ人も、世には多かりぬべけれど、又例のつくりことの、漢ぶりの人まねに、さ云ひなしてなべての世の人の心と、ことなるさまに、もてなすたぐひも、中には有りぬべくや。かく疑はるるも、おのが俗情のならひにこそ。
書き下し
世世の物しり人、又今の世に学問する人なども皆、住みかは、里遠くしずかなる山林を、住みよく好ましくするさまにのみ云うなるを、われはいかなるにか、更にさはおぼえず。ただ人げしげくにぎわわしき所の、好ましくて、さる世ばなれたる所などは、寂しくて、心もしおるるようにぞ覚ゆる。さるは稀れ稀れにものして、一夜旅寝したるなどこそは、めずらかなるかたに、おかしくも覚ゆれ。さる所に、常に住ままほしくは、更におぼえずなむ。人の心はさまざまなれば、人うとく静かならむ所を、住みよく覚えむもさることにて、まことにさ思わむ人も、世には多かりぬべけれど、又例のつくりことの、漢ぶりの人まねに、さ云いなしてなべての世の人の心と、ことなるさまに、もてなすたぐいも、中には有りぬべくや。かく疑わるるも、おのが俗情のならいにこそ。
現代語訳
代々の物知りも、また今の世に学問をする人なども、みな住まいについては、人里遠く静かな山林を住みよく好ましいもののようにばかり言うが、私はどういうわけか、まったくそうは思わない。ただ人の気配が多くにぎやかな所が好ましくて、そういう世間離れした所などは寂しくて、心もしおれるように感じられる。とはいえ、たまに出かけて一夜旅寝をしたりするのは、珍しい方面で面白くも思われる。そういう所にいつも住みたいとは、まったく思わないのである。人の心はさまざまであるから、人気のない静かな所を住みよく思うのももっともなことで、本当にそう思う人も世の中には多くいるだろうが、また例の作りごとで、中国風の人まねとしてそう言いなして、世間一般の人の心と違うようにふるまう類も、中にはいるのではないか。このように疑われるのも、自分の俗っぽい心の癖であろう。
解説
関連する章句
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『酔古堂剣掃』集景・城市為るか山林為るかを辨ぜず山曲の小房、人園に窈窕たる幽徑、綠玉萬竿。 中に澗水を匯めて曲池と為し、池を環りて竹樹雲石、其の後は平岡透迤として、古松鱗鬣あり、松下は皆灌叢雜木、蔦蘿駢び織り、亭榭翼然たり。 夜半鶴唳清遠にして、恍として花塢に宿るが如し。 間ま哀猿の啼嘯、嘹嚦として霜に驚くを聞けば、初め其の城市為るか山林為るかを辨ぜざるなり。
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『酔古堂剣掃』集素・戶を閉ぢて書を讀むは山に入りて道を修むるに勝る只だ愁ふ名字の人に知らるる有るを、澗邊の幽草。 若し清盟誰にか托すべきと問はば、沙上の閒鷗。 山童は草木の性に率ひて、鶴と同じく眠り、奚奴は歌詠の情を領して、韻を檢して至る。 戶を閉ぢて書を讀むは、絕だ山に入りて道を修むるに勝り、人に逢ひて法を說くは、全く兀坐して心を捫づるに輸く。
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『酔古堂剣掃』集素・山居の城市に勝るは八德有り山居の城市に勝るは、蓋し八德有り。 苛禮を責めず、生客を見ず、酒肉を混へず、田產を競はず、炎涼を聞かず、曲直を鬧がず、文逋を微めず、士籍を談ぜず。
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『酔古堂剣掃』集醒・山林の樂しみを譚ずる者山林の樂しみを譚ずる者は、未だ必ずしも真に山林の趣を得ず。名利の談を厭ふ者は、未だ必ずしも盡く名利の情を忘れず。
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『酔古堂剣掃』集素・奇士雅客は蠹簡を以て代ふ山中に花を蒔き草を種うるは、以て自ら娛しむに足る、而れども地樸にして人荒れ、泉石都て無く、絲竹響きを絕ち、奇士雅客も亦た復た過らず、未だ寂寞として日を度るを免れず。 然れども泉石は水竹を以て代へ、絲竹は鶯舌蛙吹を以て代へ、奇士雅客は蠹簡を以て代ふれば、亦た略ぼ相當る。
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『酔古堂剣掃』集景・流水を聽き激湍を看る長松怪石、墟落を去ること一二十里を下らず。 鳥徑崖に緣り、水を草莽の間に涉る。 數四左右、兩三家相望み、雞犬の聲相聞ゆ。 竹籬草舍、其の間に燕處し、蘭菊之を藝ゑ、霜月春風、日に餘思有り。 水に臨みて時に桃梅を種ゑ、兒童婢仆皆布衣短褐にして、以て薪水を給し、村酒を釀して之を飲む。 案に詩書、莊周、太玄、楚辭、黃庭、陰符、楞嚴、圓覺有り、數十卷のみ。 藜を杖つき屐を躡み、窮谷大川に往來し、流水を聽き、激湍を看、澄潭を鑒み、危橋を步み、茂樹に坐し、幽壑を探り、高峰に升る、亦た樂しからずや。
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