玉勝間 / 十三の巻 臣の王を娶る事
かの漢國の王などは、もとよりすぢ無き者には有れども、當時の王の女をも、むげにすぢ無き男にもあはすなるは、あまりにわきため無く、みだりなる國俗にぞ有ける。
新字:かの漢国の王などは、もとよりすぢ無き者には有れども、当時の王の女をも、むげにすぢ無き男にもあはすなるは、あまりにわきため無く、みだりなる国俗にぞ有ける。
書き下し
かの漢国の王などは、もとよりすじ無き者には有れども、当時の王の女をも、むげにすじ無き男にもあわすなるは、あまりにわきため無く、みだりなる国俗にぞ有りける。
現代語訳
あの中国の王などは、もともと血筋の定まらない者ではあるけれども、その時の王の娘をさえ、まったく血筋もない男にめあわせるというのは、あまりに分別がなく、乱れた国の風俗である。
解説
前段の結びとして、中国の王朝の婚姻の習わしを批判した短い一文である。宣長は、中国の王はもともと易姓革命によって位に就いた血筋の定まらない者だとし、王女を身分の低い男にまで嫁がせるのは分別のない乱れた風俗だと断じる。万世一系の皇統を尊ぶ宣長にとって、王朝が交替し、血筋の区別が曖昧な中国は、しばしば批判の対象であった。前の段で「同姓不娶」を尊ぶ人々に対し、中国の制度が必ずしも正しくないことを示す意図がある。現代から見れば偏った見方を含む時代の言葉だが、外国の制度を無条件に手本とする風潮に対する宣長の反発の強さをよく示している。一方の基準だけで他方を裁く危うさも、読み手に考えさせる。
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