酔古堂剣掃 / 集素・戶を閉ぢて書を讀むは山に入りて道を修むるに勝る
只愁名字有人知,澗邊幽草;若問清盟誰可托,沙上閒鷗。山童率草木之性,與鶴同眠;奚奴領歌詠之情,檢韻而至。閉戶讀書,絕勝入山修道;逢人說法,全輸兀坐捫心。
新字:只愁名字有人知,澗辺幽草;若問清盟誰可托,沙上閒鴎。山童率草木之性,与鶴同眠;奚奴領歌詠之情,検韻而至。閉戸読書,絶勝入山修道;逢人説法,全輸兀坐捫心。
書き下し
只だ愁ふ名字の人に知らるる有るを、澗邊の幽草。 若し清盟誰にか托すべきと問はば、沙上の閒鷗。 山童は草木の性に率ひて、鶴と同じく眠り、奚奴は歌詠の情を領して、韻を檢して至る。 戶を閉ぢて書を讀むは、絕だ山に入りて道を修むるに勝り、人に逢ひて法を說くは、全く兀坐して心を捫づるに輸く。
現代語訳
ただ心配なのは、自分の名が人に知られてしまうことで、谷川のほとりにひっそり生える草のようでありたいのです。清らかな交わりの誓いを誰に託すかと問われれば、砂の上でのんびりしているかもめです。山の童は草木の本性のままに、鶴と一緒に眠り、召使いの少年は詩歌の心を受けとめて、韻を調べてはやって来ます。戸を閉ざして書を読むほうが、山に入って道を修めるよりずっとまさり、人に会って教えを説くことは、じっと座って胸に手を当て自分を省みることにまったくかないません。
解説
名を知られず、静かに自分を磨く暮らしの理想を、いくつもの対句で描いた一則です。澗辺の幽草は、唐の韋応物の滁州西澗の詩に、独り憐れむ幽草の澗辺に生ずるを、とうたわれた、人知れず生える草です。清盟は清らかな交わりの約束で、かもめとの盟約は、無心の人にはかもめが慣れ親しむという『列子』の話を踏まえます。奚奴は召使いの少年で、唐の李賀が少年に錦の袋を持たせて詩句を集めた話が知られます。捫心は胸に手を当てて自分を省みることです。山にこもるより家で読書、人に説くより自分を省みる、という結びには、外に向かうより内を深めるべきだという考えがはっきり表れています。発信が求められる時代にこそ響く言葉です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
読書隠逸自省無名交友
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