玉勝間 / 十三の巻 鴨類のくさぐさの名
同人の語りけるは、鴨に大かた四種有。第一大きなるを、まがもと云ひ、次に大きなるを、ひどりと云ひ、次をあぢと云ひ、もとも小きを、たかべと云ふ、みな同じ鴨にて、唯だ形の大き小きによりて、名の異るなり。あぢたかべなど、萬葉の歌に詠めり。又あいさと云ふ一くさ有り、こは鴨のたぐひながら、いささか異なり。萬葉七の歌に、あきさとある此物なりと云へり。
新字:同人の語りけるは、鴨に大かた四種有。第一大きなるを、まがもと云ひ、次に大きなるを、ひどりと云ひ、次をあぢと云ひ、もとも小きを、たかべと云ふ、みな同じ鴨にて、唯だ形の大き小きによりて、名の異るなり。あぢたかべなど、万葉の歌に詠めり。又あいさと云ふ一くさ有り、こは鴨のたぐひながら、いささか異なり。万葉七の歌に、あきさとある此物なりと云へり。
書き下し
同人の語りけるは、鴨に大かた四種有り。第一大きなるを、まがもと云い、次に大きなるを、ひどりと云い、次をあじと云い、もとも小さきを、たかべと云う、みな同じ鴨にて、ただ形の大き小さきによりて、名の異なるなり。あじたかべなど、万葉の歌に詠めり。又あいさと云う一くさ有り、こは鴨のたぐいながら、いささか異なり。万葉七の歌に、あきさとあるこの物なりと云えり。
現代語訳
同じ人(田中道麻呂)が語ったことには、鴨にはおよそ四種類ある。いちばん大きいのを「まがも」と言い、次に大きいのを「ひどり」と言い、その次を「あじ」と言い、最も小さいのを「たかべ」と言う。みな同じ鴨で、ただ体の大小によって名が違うのである。「あじ」「たかべ」などは『万葉集』の歌に詠まれている。また「あいさ」という一種類があり、これは鴨の仲間だが少し違う。『万葉集』巻七の歌に「あきさ」とあるのがこの鳥である、と言った。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 うぐひと云ふ魚の名川魚にうぐいと云う有り。今は一つの魚の名なれども、もとは鵜の喰いたる魚を云えるなるべし。神祇の伯顕仲朝臣の歌に、「かがり火の光にまがう玉藻にはうぐいのいおもかくれざりけり、鵜川の題なり。これ鵜のくう魚と聞こえたり。
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『玉勝間』三の巻 むろの木田中の道まろが云えりしは、万葉の歌によみたる、室の木と云うものは、今もいずこにも多く有る物なり。美濃の不破の郡多芸の郡などにて、ひむろとも、ひもろ杉とも云い、伊勢の員弁の郡桑名の郡のあたりにて、たちむろはいむろと云い、尾張の羽栗の郡にて、ねずむろとも、べぼの木ともむろとも云えり。すべて山に多き木にて、地にはうと、高くたつと、二くさ有りて、はう方には大木は無きを、立てるかたには、大きなるも多し。柏子と云う木に似て、又杉にも似たり。二種ともに、実多くなるなりと云えりき。
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『玉勝間』三の巻 にふなひといふ雀尾張の国人の云わく、尾張美濃などに、秋のころ、田面へ、廿三十ばかりずつ、いく群れも群れ来つつ、稲をはむ、にゅうないと云う小鳥あり。雀の一くさにて、世の常の雀よりは、すこしちいさくて、觜の下に、いささか白き毛あり。百姓はこれをいたく憎みて、又にゅうないめが来つるはとて、見つくれば、追いやるなり。此すずめ、春夏のほどは、あし原に在りて、よしはらすずめとも云うと云えり。のりながこれを聞きて思うに、入内雀と云う名、実方の中将のふる事に云える、中昔の書に見えたり。されどそれは附会説にて、にゅうないは、新嘗と云うことなるべし。新稲を、人より先に、まずはむをもて、然か名づけたるなるべし。万葉の東歌にも、新嘗をにうなみと云えり。又おもうに、稲負鳥と云うも、もし此にゅうないの事には有らざるにや、古き歌どもに詠める、いなおおせ鳥のよう、よくこれにかなえて聞こゆる事多し。雀はかしかましく鳴く物なり、庭たたきは、かなえりとも聞こえず。
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『玉勝間』十の巻 もろもろの物の事をよくしるしたる書あらまほしき事よろずの草木鳥獣、なにくれ諸の物の事を、上の代よりひろめ委しく考えて、しるしたる書こそ、有らまほしけれ。もろこしの国には、本草など云う、さるすじの書どもも、古えよりここらあなるを、御国には、わずかに源の順の和名抄のみこそは有れ。かの書のさま、すべていとしどけなく、からぶみを引き出でたるようなども正しからず、古えさまの事にうとく、すべて足らわぬ事のみなり。されどこれを置きては、古く拠るべき書の無きままに、人も我も、もはら万の物の考えの拠りどころにはするなり。近き頃、新撰字鏡と云うもの出でて、古くは有れども、事ひろからず仮初なるうえに、あやしき文字ども多くなどして、ことさまなる書なるを、さすがに和名抄をたすくべき事どもは、多くぞ有りける。これらを置きて、後の世に作れるどもは、あまた有れども、ただみな例のから学びのかたに由れるのみにて、皇国の学びのためには、おさおさ用も無きを、今いかで古事記、書紀、万葉集など、すべて古きふみどもを先ずよく考え、中むかしの書ども、今の世のうつつの物まで、よく考え合わせて和名抄のかわりにも用うべきさまの書を、作り出でむ人もがな。
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