玉勝間 / 三の巻 にふなひといふ雀
尾張ノ國人の云はく、尾張美濃などに、秋のころ、田面へ、廿三十ばかりづつ、いく群れも群れ來つつ、稻をはむ、にふなひと云ふ小鳥あり。雀の一くさにて、世の常の雀よりは、すこしちひさくて、觜の下に、いささか白き毛あり。百姓はこれをいたく憎みて、又にふなひめが來つるはとて、見つくれば、追ひやるなり。此すずめ、春夏のほどは、あし原に在て、よしはらすずめとも云ふと云へり。のりながこれを聞て思ふに、入內雀と云ふ名、實方ノ中將のふる事に云へる、中昔の書に見えたり。されどそれは附會說にて、にふなひは、新嘗と云ふことなるべし。新稻を、人より先キに、まづはむをもて、然か名づけたるなるべし。萬葉の東歌にも、新嘗をにふなみと云へり。又おもふに、稻負鳥と云ふも、もし此にふなひの事には有らざるにや、古き歌どもに詠める、いなおほせ鳥のやう、よくこれにかなひて聞ゆる事多し。雀はかしかましく鳴ク物なり、庭たたきは、かなへりとも聞えず。
新字:尾張ノ国人の云はく、尾張美濃などに、秋のころ、田面へ、廿三十ばかりづつ、いく群れも群れ来つつ、稲をはむ、にふなひと云ふ小鳥あり。雀の一くさにて、世の常の雀よりは、すこしちひさくて、觜の下に、いささか白き毛あり。百姓はこれをいたく憎みて、又にふなひめが来つるはとて、見つくれば、追ひやるなり。此すずめ、春夏のほどは、あし原に在て、よしはらすずめとも云ふと云へり。のりながこれを聞て思ふに、入内雀と云ふ名、実方ノ中将のふる事に云へる、中昔の書に見えたり。されどそれは附会説にて、にふなひは、新嘗と云ふことなるべし。新稲を、人より先キに、まづはむをもて、然か名づけたるなるべし。万葉の東歌にも、新嘗をにふなみと云へり。又おもふに、稲負鳥と云ふも、もし此にふなひの事には有らざるにや、古き歌どもに詠める、いなおほせ鳥のやう、よくこれにかなひて聞ゆる事多し。雀はかしかましく鳴ク物なり、庭たたきは、かなへりとも聞えず。
書き下し
尾張の国人の云わく、尾張美濃などに、秋のころ、田面へ、廿三十ばかりずつ、いく群れも群れ来つつ、稲をはむ、にゅうないと云う小鳥あり。雀の一くさにて、世の常の雀よりは、すこしちいさくて、觜の下に、いささか白き毛あり。百姓はこれをいたく憎みて、又にゅうないめが来つるはとて、見つくれば、追いやるなり。此すずめ、春夏のほどは、あし原に在りて、よしはらすずめとも云うと云えり。のりながこれを聞きて思うに、入内雀と云う名、実方の中将のふる事に云える、中昔の書に見えたり。されどそれは附会説にて、にゅうないは、新嘗と云うことなるべし。新稲を、人より先に、まずはむをもて、然か名づけたるなるべし。万葉の東歌にも、新嘗をにうなみと云えり。又おもうに、稲負鳥と云うも、もし此にゅうないの事には有らざるにや、古き歌どもに詠める、いなおおせ鳥のよう、よくこれにかなえて聞こゆる事多し。雀はかしかましく鳴く物なり、庭たたきは、かなえりとも聞こえず。
現代語訳
尾張国の人が言うには、尾張や美濃などに、秋のころ、田の面に二、三十羽ずつ幾群れも群がって来ては稲を食う「にゅうない」という小鳥がいる。雀の一種で、普通の雀よりは少し小さく、嘴の下にわずかに白い毛がある。百姓はこれをひどく憎んで、「またにゅうないめが来たぞ」と言って、見つけると追い払うのである。この雀は、春夏の間は葦原にいて「よしはらすずめ」とも言う、とのことであった。宣長がこれを聞いて思うに、「入内雀」という名は、実方中将(藤原実方)の故事として言われていることが中世の書物に見えている。しかしそれはこじつけの説であって、「にゅうない」は「新嘗(にいなめ)」ということであろう。新しい稲を人より先にまず食べることから、そう名付けたのであろう。万葉集の東歌にも、新嘗を「にうなみ」と言っている。また思うに、「稲負鳥(いなおおせどり)」というのも、もしかするとこの「にゅうない」のことではなかろうか。古い歌々に詠まれた稲負鳥の様子は、よくこれに合って聞こえることが多い。雀はやかましく鳴くものである。(稲負鳥を)庭たたき(セキレイ)とする説は、合っているとも思われない。
解説
関連する章句
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『玉勝間』九の巻 みちのくの田うゑ歌陸奥の田植歌とて、書きたるを人の見せたる、弥十郎、あすは大たむのおたうえだが、しったかしらぬか、太郎次郎、からすの八番鳥に、むくむくむっくりと、むくしり起き、大くろ小くろ、墨のくろ、上の町の一みなくち、そろりそっと、引こんで、はしはしとかくべいぞや。なえとり、種は千石、おろし申ったが、どれか葉広はやわせ、おとりやれや、皆おしなべて、葉広はやわせ、苗の中の鶯は、世をば何とさえずる、蔵桝に十かきそえて、おくら済むとさえずる。朝はか、朝はかの一みなくちに、生えたる松は何まつ、白かねの銚子提げに、田ぬしいわう若松、若松の一の枝に、とまる鷹が巣をかけて、巣のうちを見入れて見れば、こもち金が九つ、一つを宇賀にまいらせ、八つの長者といわわれたよ、きょうの田うえの田ぬし殿には、金の臼が七から、七からに八からまして立てたは、長者殿にもますべい、杵が十六女が三十三人、三十三人のその中では、どれが目につく旅人、紅の前だれに、上げ嶋田がめにつく、旅びと。
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『玉勝間』十一の巻 うぐひと云ふ魚の名川魚にうぐいと云う有り。今は一つの魚の名なれども、もとは鵜の喰いたる魚を云えるなるべし。神祇の伯顕仲朝臣の歌に、「かがり火の光にまがう玉藻にはうぐいのいおもかくれざりけり、鵜川の題なり。これ鵜のくう魚と聞こえたり。
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『玉勝間』十三の巻 しののめの説同抄に、しののめ、能因が注に云く。明けはなるる程の空の雲の、しののめに似たるなりと有り、しののめに似たりと云うしののめは、何物を云えるにか。
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『玉勝間』十の巻 千鳥にをちかへりと詠める歌おちかえりと云う事は、大かた郭公ならでは詠まぬようなるに、拾遺集雑上に能宣、「暁のねさめの千鳥たがためか佐保の川原におちかえりなく、と有り。続後拾遺集冬にも、六条の内大臣、「明石がたとわたる千鳥おちかえりいく浦浪をかけて鳴らん、これは拾遺なる歌によりて、詠み給えるにや。右の歌どもの外にも有るべきか、今は見あたりたるを出せるのみなり。閏五月郭公と云う題にて、俊頼の朝臣、「やよやまたきなけみそらの時鳥五月だにこそおちかえりつれ、新勅撰集に入れり。これは郭公によりたれど、五月をおちかえりと詠めり。
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