玉勝間 / 十一の巻 うぐひと云ふ魚の名
川魚にうぐひと云ふ有。今は一つの魚の名なれども、もとは鵜の喰たる魚を云へるなるべし。神祇ノ伯顯仲朝臣の歌に、「かがり火の光にまがふ玉藻にはうぐひのいをもかくれざりけり、鵜川の題なり。これ鵜のくふ魚と聞えたり。
新字:川魚にうぐひと云ふ有。今は一つの魚の名なれども、もとは鵜の喰たる魚を云へるなるべし。神祇ノ伯顕仲朝臣の歌に、「かがり火の光にまがふ玉藻にはうぐひのいをもかくれざりけり、鵜川の題なり。これ鵜のくふ魚と聞えたり。
書き下し
川魚にうぐいと云う有り。今は一つの魚の名なれども、もとは鵜の喰いたる魚を云えるなるべし。神祇の伯顕仲朝臣の歌に、「かがり火の光にまがう玉藻にはうぐいのいおもかくれざりけり、鵜川の題なり。これ鵜のくう魚と聞こえたり。
現代語訳
川魚に「うぐい」というものがある。今は一種類の魚の名であるが、もとは鵜が食べる魚のことを言ったのであろう。神祇伯顕仲朝臣の歌に、「篝火の光に紛れる玉藻の中には、鵜の食う魚も隠れることができないのだった」とあり、これは「鵜川」の題で詠んだ歌である。これは鵜の食う魚という意味に聞こえる。
解説
川魚の「うぐい」という名の由来を、古歌によって考えた段である。今は特定の魚の名であるが、もとは「鵜の食う魚」、すなわち「鵜食い」の意だったのではないかと宣長は推し量る。その根拠として、神祇伯源顕仲の「鵜川」の題の歌を引く。篝火を焚いて鵜に魚を捕らせる鵜飼の情景で、「うぐひのいを」は明らかに鵜の食う魚を指している。一般の呼び名が、もとは特定の場面の言い方から生まれたという見方である。宣長の語源の考え方は、思いつきで語を分解するのではなく、古い用例を探し出して、その文脈から意味を確かめるところに特徴がある。身近な魚の名一つにも、鵜飼という古い漁の文化が刻み込まれていることに気づかせる段である。
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