玉勝間 / 十三の巻 まるすげと云ふ草
世にかやつり草と云ふ草の、小きやうなる草の、田に生て、田夫のいたくいとふ草あり。美濃ノ國にてこれをまること云ふ。三河ノ國にては、まるすげと云ふよしなり。まろこ菅と歌に詠める物にはあらじかと、同人云へり。
新字:世にかやつり草と云ふ草の、小きやうなる草の、田に生て、田夫のいたくいとふ草あり。美濃ノ国にてこれをまること云ふ。三河ノ国にては、まるすげと云ふよしなり。まろこ菅と歌に詠める物にはあらじかと、同人云へり。
書き下し
世にかやつり草と云う草の、小さきようなる草の、田に生いて、田夫のいたくいとう草あり。美濃の国にてこれをまること云う。三河の国にては、まるすげと云うよしなり。まろこ菅と歌に詠める物にはあらじかと、同人云えり。
現代語訳
世間でカヤツリグサという草を小さくしたような草で、田に生えて農夫がたいへん嫌う草がある。美濃の国ではこれを「まるこ」と言う。三河の国では「まるすげ」と言うそうだ。歌に「まろこ菅」と詠んだものではないだろうか、と同じ人(田中道麻呂)が言った。
解説
これも田中道麻呂の報告で、田に生える雑草の方言名から、古歌の「まろこ菅」を探ろうとした段である。カヤツリグサに似た小さな草で、美濃では「まるこ」、三河では「まるすげ」と呼ばれるという。道麻呂は、それが歌に詠まれた「まろこ菅」ではないかと推測している。巻頭の思い草の段と同じく、古典に出てくる植物を、いま各地で実際に呼ばれている名と照らし合わせて同定しようとする試みである。農夫が嫌う雑草という身近な存在と、歌の言葉とが一本の線でつながるかもしれないところに、この種の考証の面白さがある。宣長は推測を推測のまま記しており、確かめる手がかりとして書き留めたのであろう。
関連する章句
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