玉勝間 / 十の巻 千鳥にをちかへりと詠める歌
をちかへりと云ふ事は、大かた郭公ならでは詠まぬやうなるに、拾遺集雜上に能宣、「曉のねさめの千鳥たがためか佐保の川原にをちかへりなく、と有り。續後拾遺集冬にも、六條ノ內大臣、「明石がたとわたる千鳥をちかへりいく浦浪をかけて鳴らん、これは拾遺なる歌によりて、詠み給へるにや。右の歌どもの外にも有べきか、今は見あたりたるを出せるのみなり。閏五月郭公と云ふ題にて、俊賴ノ朝臣、「やよや又きなけみそらの時鳥五月だにこそをちかへりつれ、新勅撰集に入れり。これは郭公によりたれど、五月ををちかへりと詠めり。
新字:をちかへりと云ふ事は、大かた郭公ならでは詠まぬやうなるに、拾遺集雑上に能宣、「暁のねさめの千鳥たがためか佐保の川原にをちかへりなく、と有り。続後拾遺集冬にも、六条ノ内大臣、「明石がたとわたる千鳥をちかへりいく浦浪をかけて鳴らん、これは拾遺なる歌によりて、詠み給へるにや。右の歌どもの外にも有べきか、今は見あたりたるを出せるのみなり。閏五月郭公と云ふ題にて、俊頼ノ朝臣、「やよや又きなけみそらの時鳥五月だにこそをちかへりつれ、新勅撰集に入れり。これは郭公によりたれど、五月ををちかへりと詠めり。
書き下し
おちかえりと云う事は、大かた郭公ならでは詠まぬようなるに、拾遺集雑上に能宣、「暁のねさめの千鳥たがためか佐保の川原におちかえりなく、と有り。続後拾遺集冬にも、六条の内大臣、「明石がたとわたる千鳥おちかえりいく浦浪をかけて鳴らん、これは拾遺なる歌によりて、詠み給えるにや。右の歌どもの外にも有るべきか、今は見あたりたるを出せるのみなり。閏五月郭公と云う題にて、俊頼の朝臣、「やよやまたきなけみそらの時鳥五月だにこそおちかえりつれ、新勅撰集に入れり。これは郭公によりたれど、五月をおちかえりと詠めり。
現代語訳
「おちかえり(繰り返し)」ということは、おおかた郭公(ほととぎす)でなければ詠まないようであるのに、拾遺集の雑上に大中臣能宣の歌で、「明け方の寝覚めに聞く千鳥は、誰のためにか、佐保の川原で繰り返し鳴いている」とある。続後拾遺集の冬の部にも、六条内大臣の歌で、「明石潟の海峡を渡る千鳥は、繰り返し、いくつの浦の波をかけて鳴いているのだろう」とあり、これは拾遺集の歌によってお詠みになったのであろうか。右の歌のほかにもあるだろうか。今は見当たったものを出しただけである。「閏五月の郭公」という題で源俊頼朝臣が、「さあ、また来て鳴けよ、空のほととぎす。五月でさえ繰り返し(閏月となって)巡ってきたのだから」と詠み、新勅撰集に入っている。これは郭公に関わってはいるが、五月のほうを「おちかえり」と詠んでいる。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 郭公にをちかへりとよむ言又常に郭公の歌に、をちかえり鳴と詠むも、本の所へ又かえり来て鳴くを云うなり。此詞の意、右の歌どもを引合せて、互いにあい照らして知るべし。
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『玉勝間』十の巻 おのが帰鴈のうた帰雁の題にておのれ、「春くれば霞を見てやかえる雁われもと空に思いたつらむ、いまひとつ、「かえるかりこれも越路の梅香や風の便りにさそいそめけむ、と詠めりける、後なるをよく思えば、末の二句に、雁の縁無くて、いかにぞや覚えければ、またとかく思いめぐらして、「梅が香やさそいそめけむ帰る雁これも越路の風のたよりに、となん詠み直しける。これはしも、こしじを末の句に移したるにて、雁の縁はさる事ながら、歌ざまは、いささかおとりて覚ゆるは、いかならむ。歌よく見知れらむ人、さだめてよ。
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『玉勝間』十四の巻 後撰集拾遺集のうた後撰集冬の歌、「この月の年のあまりにたたざらば、鶯ははや鳴きぞしなまし、この歌は、十二月に閏月の有りけるに詠めるにて、この月は閏十二月なり。年のあまりにたつとは、十二月の一年に余りて、閏月の有るよしなり。立つとは、月の来るを云う。一うたの意は、この閏月の無くは、はや正月なるべければ、鶯は鳴くべきものをと詠めるなり。抄の説誤りなり。三の句たらざらばと有る本も、誤りなり。又恋の四に、「大島の水をはこびし早船の、はやくも人に逢い見てしがな、初めの句ののもじ、今の本に、にと書けるは誤りなり。又二の句、水をば恋しと書けるも、ひがことなり。船して清水を京に運びし例、古事記の仁徳天皇の段に見ゆ。又恋の五に、「かくばかり深き色にもうつろうを猶君きくの花といわなむ、きくとは、諾と云いて、こなたの云うことを、聴きいるる意に云いかけたるなり。又雑の二に、みかどに奉り給いける嵯峨の后「うつろわぬ心の深く有りければ、ここらある花春にあえること、上の句は、御みずからの、みかどをおき奉りて、外へ心をうつし給わぬよしなり。下の句は、ここらの女御更衣たちおわする中に、とり分けて、大御めぐみを深くこうむる事よとなり。四の句、本に、ちる花とあるは誤りなり。
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『玉勝間』四の巻 ほととぎすを時鳥と書ク事文選の悲哉行という詩に、時鳥好音多しと有るは、春の事にて、春鳴くもろもろの鳥を、時鳥と云えるなり。さればほととぎすを時鳥と書くも、その鳴くころ、然か云えるが、ついに名のごと成れるにや。
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『玉勝間』六の巻 鶏ときをつくる庭鳥の暁に鳴くを、時をつくると云う事、同じ百首に、「暁の時つくるなり鶏のこえうちかわし羽をならべて、これは告ぐるにても有らんかと思えど、なお今の世にも云うごとく、つくるなるべし。また時の声をつくると云うことも、同じ後〓百首に、「から人はしかのおしまに船出してはかたの沖にときつくるなり。
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『玉勝間』八の巻 万葉集に乎知と云ふ言万葉集五の巻に、わがさかりいたくくだちぬ雲にとぶ薬はむともまた遠知めやも、雲にとぶくすりはむよは京見ばいやしき我身また越知ぬべし、此二つの遠知と云う言、落にしては、仮字もたがい、歌の意も聞えず。昔より解えたる人無きを、おのれ考え得たり。まず此二うたは、久しく筑紫に在りて、京を恋しく思いて詠めるにて、始めの歌の意は、わがよわい盛り過て、いたく衰えたり、今はかのもろこしに有りし、淮南王の仙薬を服とも、又若き昔にかえる事は得あらじとなり。次なるは、淮南王の薬をはまんよりは、我は、京を見たらば、又昔にかえりて、若くなるべしとなり。遠知は、何事にても、又もとへかえる意にて、此歌どもなるは、身の又若かりし昔にかえるを云えるなり。十七の巻、家持主の鷹の長歌に、手ばなれも乎知もかやすき云云、こは鷹を褒めたるにて、この乎知は、本の手へ返りくる事を云えるなり。二十の巻に、わが屋戸に咲るなでしこまいはせむゆめ花ちるないや乎知にさけ、是れも又初めへ返り返りして、いよいよ久しく咲けと云えるなり。
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