玉勝間 / 三の巻 むろの木
田中ノ道まろが云へりしは、萬葉の歌によみたる、室の木と云ふものは、今もいづこにも多く有る物なり。美濃の不破ノ郡多藝ノ郡などにて、ひむろとも、ひもろ杉とも云ひ、伊勢の員辨ノ郡桑名ノ郡のあたりにて、たちむろはひむろと云ひ、尾張の羽栗ノ郡にて、ねずむろとも、べぼの木ともむろとも云へり。すべて山に多き木にて、地にはふと、高くたつと、二くさ有て、はふ方には大木は無きを、立るかたには、大きなるも多し。柏子と云ふ木に似て、又杉にも似たり。二種ともに、實多くなるなりと云へりき。
新字:田中ノ道まろが云へりしは、万葉の歌によみたる、室の木と云ふものは、今もいづこにも多く有る物なり。美濃の不破ノ郡多芸ノ郡などにて、ひむろとも、ひもろ杉とも云ひ、伊勢の員弁ノ郡桑名ノ郡のあたりにて、たちむろはひむろと云ひ、尾張の羽栗ノ郡にて、ねずむろとも、べぼの木ともむろとも云へり。すべて山に多き木にて、地にはふと、高くたつと、二くさ有て、はふ方には大木は無きを、立るかたには、大きなるも多し。柏子と云ふ木に似て、又杉にも似たり。二種ともに、実多くなるなりと云へりき。
書き下し
田中の道まろが云えりしは、万葉の歌によみたる、室の木と云うものは、今もいずこにも多く有る物なり。美濃の不破の郡多芸の郡などにて、ひむろとも、ひもろ杉とも云い、伊勢の員弁の郡桑名の郡のあたりにて、たちむろはいむろと云い、尾張の羽栗の郡にて、ねずむろとも、べぼの木ともむろとも云えり。すべて山に多き木にて、地にはうと、高くたつと、二くさ有りて、はう方には大木は無きを、立てるかたには、大きなるも多し。柏子と云う木に似て、又杉にも似たり。二種ともに、実多くなるなりと云えりき。
現代語訳
田中道麿が言っていたことには、万葉集の歌に詠まれた「室の木(むろのき)」というものは、今もどこにでも多くある木である。美濃の不破郡や多芸郡などでは「ひむろ」とも「ひもろ杉」とも言い、伊勢の員弁郡・桑名郡のあたりでは「たちむろ」「はいむろ」と言い、尾張の羽栗郡では「ねずむろ」とも「べぼの木」とも「むろ」とも言う。およそ山に多い木で、地を這うものと高く立つものの二種類があって、這う方には大木は無いが、立つ方には大きなものも多い。柏子という木に似ていて、また杉にも似ている。二種とも実がたくさんなる、と言っていた。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 とねりこの木とねりこの木と云う木、木の色いと白く、葉は榎の葉に似て、大木になる物なり。実は、かくの如き形にて、上の方は葉のようにひらなり。件の木、美濃の国飯木村に多く有りて、他村には無しと、同人云えり。飯の木村は、この人の故郷なり。多芸の郡なり。
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『玉勝間』十三の巻 まるすげと云ふ草世にかやつり草と云う草の、小さきようなる草の、田に生いて、田夫のいたくいとう草あり。美濃の国にてこれをまること云う。三河の国にては、まるすげと云うよしなり。まろこ菅と歌に詠める物にはあらじかと、同人云えり。
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『玉勝間』七の巻 石見の海なる高島ひろたけの、楠の木は、枯れても匂い、こうばしや、おやどり有れや、この宿の、さのみはな急ぎめされそ。かく唱えて、楠の木を祭るとなり。かの国人小篠の御野が物がたりなり。
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『玉勝間』十二の巻 われから、はまゆふこのはまおもとと云う物、本立ちははせおの如くにて、土より四五寸ばかり上より、おもとと云う物に似たる葉の、いくえも重なりて、生い出でたる、葉の長さ、二尺三四寸ばかりも有るべし。但しこれは、おのが見たるをもて云うなり。なお長きもみじかきも有らむか。あまたは見ざれば、よくは知らず。常に潮をそそげば、よく栄ゆと云えり。霜をいたくおそるる物にて、冬は葉の末なかば枯るるを、春になれば、また新たなるが生い出でて重なるなり。七月のころ花咲くを、その色白くて、垂れたるが、木綿に似たるから、浜ゆうとは云いけるにや。今も紀の国の熊野の浦、またその近きわたりの浦々にも有りて、須賀島と云う所には、殊に多くありと云えり。今ようの木草を好むともがらの、瓶にうえて、もてあそぶ物なり、とぞ語りける。
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『玉勝間』十三の巻 巻頭(おもひ草十三)されどすすきの中にのみ生うるから、近き世に事好む者の、おしてそれと名づけたるにも有らむかと云いて、その草の図をも書きて、見せにおこせたる、そのかたは、かくぞ有りける。その後に又あるとき、花の咲きたる頃、一もと掘りて、薄のきりくいごめに、竹の筒の中に植えて、ただにその草をも、見せにおこせたるを、移し植えて見けるに、しばしは生いつきたるさまにて有りしを、ほどなく冬枯れにける。又のとしの春、萌えや出ると、待ちけるに、ついに枯れて、薄ながらに芽も出ずなりにきかし。さるは後にたずね見れば、このわたりの野山なる、すすきの中にも、ある草にぞ有りける。これ古の思い草ならむことはしも、げにいと覚束なくなむ。
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『玉勝間』八の巻 岩屋国々に、おのずからなる洞には有らで、造り構えたる石室の、ここかしこに有る事、おりおり聞く事なり。あまた有る所も有りと云うなり。人皆これを、からぶみに、穴居と云える事の有るを思いて、上つ代の民のすみかならんと、云い思うめれど、御国には、然か民の穴に住めりし事は聞えず。更にさには有らず。中には墓とおぼしきもあめれど、皆然るにも有らじ。今よく思うに、書紀の神武天皇の御巻に、道臣命に勅有りて、大室を忍坂邑に作り、盛に宴饗を設く云云、道臣命是に於て密旨を奉り、窖を忍坂に掘る云云、また綏靖天皇の御巻に、手研耳命片丘の大窖の中に於て、独り大牀に臥す、など見えたる物にて、上つ代には、つねの屋のほかに、別に山の片そばなどを掘りて、石もて屋を作り構えたる事有けん。さるはなべて民どもなどのする事には有らで、高き人の、殊更に好みてせしにて、大かた古く牟呂と云いし物は、是れなめり。そは何のために、さる構えはしたるにか、其ゆえは知られねど、もしは冬寒き頃、温かなるをめでてにもや有けむ。今国々に有るは、多くは此上つ代の石室の残れるなるべし。
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