玉勝間 / 十三の巻 とねりこの木
とねりこの木と云ふ木、木の色いと白く、葉は榎の葉に似て、大木になる物なり。實は、斯くの如き形にて、上の方は葉のやうにひらなり。件の木、美濃ノ國飯木村に多く有て、他村には無しと、同人云へり。飯ノ木村は、此人の故郷なり。多藝ノ郡なり。
新字:とねりこの木と云ふ木、木の色いと白く、葉は榎の葉に似て、大木になる物なり。実は、斯くの如き形にて、上の方は葉のやうにひらなり。件の木、美濃ノ国飯木村に多く有て、他村には無しと、同人云へり。飯ノ木村は、此人の故郷なり。多芸ノ郡なり。
書き下し
とねりこの木と云う木、木の色いと白く、葉は榎の葉に似て、大木になる物なり。実は、かくの如き形にて、上の方は葉のようにひらなり。件の木、美濃の国飯木村に多く有りて、他村には無しと、同人云えり。飯の木村は、この人の故郷なり。多芸の郡なり。
現代語訳
トネリコの木という木は、幹の色がたいへん白く、葉はエノキの葉に似ていて、大木になるものである。実はこのような形で、上のほうは葉のように平たい。この木は美濃の国の飯ノ木村に多くあって、ほかの村にはない、と同じ人(田中道麻呂)が言った。飯ノ木村はこの人の故郷である。多芸郡である。
解説
田中道麻呂の故郷、美濃国多芸郡飯ノ木村に多いというトネリコの木について記した段である。幹が白く、エノキに似た葉を持ち、翼のある平たい実をつけると描写し、原本では実の形を図で示している。トネリコは材が堅くしなやかで、野球のバットや農具の柄にも使われる木として知られる。宣長は道麻呂の出身地まで書き添え、報告者が自分の目で見知った土地の話であることを示している。情報の出所と、その人がどの程度確かに知っているかを明らかにしておくのは、聞き書きを記録するうえでの大切な作法である。地方の門人たちの見聞は、書物だけでは得られない知識を宣長にもたらした。
関連する章句
-
『玉勝間』三の巻 むろの木田中の道まろが云えりしは、万葉の歌によみたる、室の木と云うものは、今もいずこにも多く有る物なり。美濃の不破の郡多芸の郡などにて、ひむろとも、ひもろ杉とも云い、伊勢の員弁の郡桑名の郡のあたりにて、たちむろはいむろと云い、尾張の羽栗の郡にて、ねずむろとも、べぼの木ともむろとも云えり。すべて山に多き木にて、地にはうと、高くたつと、二くさ有りて、はう方には大木は無きを、立てるかたには、大きなるも多し。柏子と云う木に似て、又杉にも似たり。二種ともに、実多くなるなりと云えりき。
-
『玉勝間』十三の巻 まるすげと云ふ草世にかやつり草と云う草の、小さきようなる草の、田に生いて、田夫のいたくいとう草あり。美濃の国にてこれをまること云う。三河の国にては、まるすげと云うよしなり。まろこ菅と歌に詠める物にはあらじかと、同人云えり。
-
『玉勝間』十三の巻 萩の大木の事みちのくの宮城野わたりの萩は、高さ二丈あまりばかりなる多し。又同国の津軽の弘前の二里ばかりこなたに、大鰐と云う所に大日堂のある、前なる林の中に、一木の大木の、十余丈ばかりの高さの、かこみ四囲ばかりなるあるを、見れば、葉も花も全く萩なり。又薩摩の国にも、萩の大きなる木有りと云えりと或る物にしるしたり。まことにや。
-
『玉勝間』七の巻 石見の海なる高島ひろたけの、楠の木は、枯れても匂い、こうばしや、おやどり有れや、この宿の、さのみはな急ぎめされそ。かく唱えて、楠の木を祭るとなり。かの国人小篠の御野が物がたりなり。
-
『玉勝間』十三の巻 巻頭(おもひ草十三)されどすすきの中にのみ生うるから、近き世に事好む者の、おしてそれと名づけたるにも有らむかと云いて、その草の図をも書きて、見せにおこせたる、そのかたは、かくぞ有りける。その後に又あるとき、花の咲きたる頃、一もと掘りて、薄のきりくいごめに、竹の筒の中に植えて、ただにその草をも、見せにおこせたるを、移し植えて見けるに、しばしは生いつきたるさまにて有りしを、ほどなく冬枯れにける。又のとしの春、萌えや出ると、待ちけるに、ついに枯れて、薄ながらに芽も出ずなりにきかし。さるは後にたずね見れば、このわたりの野山なる、すすきの中にも、ある草にぞ有りける。これ古の思い草ならむことはしも、げにいと覚束なくなむ。
-
『玉勝間』七の巻 さはぼくり土佐の国にては、沢木履と云う物有りて、深き田におりたつには、おちいるまじきために、はくなりと、かの国人かたりき。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る