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玉勝間 / 十の巻 さらしなのにきに見えたること

さらしなの日記にいはく。二むらの山の中に、とまりたる夜、大きなる柿の木の下に、いほを造りたれば、夜一と夜いほの上に、柿のおちかかりたるを、人人拾ひなどすと云へり。これは菅原ノ孝標と云ひける人の女の書ける物にて、さしも遠き世の事にも有らぬを、そのかみなほ旅のやどりは、斯かる事も有りけるを思へばつねに歌に詠むなる草の枕も、あがれりし世には、まことにさる事にぞ有りけむかし。

書き下し

さらしなの日記にいわく。二むらの山の中に、とまりたる夜、大きなる柿の木の下に、いおを造りたれば、夜一と夜いおの上に、柿のおちかかりたるを、人々拾いなどすと云えり。これは菅原の孝標と云いける人の女の書ける物にて、さしも遠き世の事にも有らぬを、そのかみなお旅のやどりは、かかる事も有りけるを思えばつねに歌に詠むなる草の枕も、あがれりし世には、まことにさる事にぞ有りけむかし。

現代語訳

更級日記にいう。「二村山の中に泊まった夜、大きな柿の木の下に仮小屋を造ったところ、一晩中、小屋の上に柿が落ちかかってきたのを、人々が拾ったりした」と言っている。これは菅原孝標という人の娘が書いたもので、それほど遠い昔のことでもないのに、その当時でもやはり旅の宿りにはこんなこともあったのを思えば、いつも歌に詠む「草の枕」も、さらに古い時代には、本当にそのとおり草を枕にして寝たのであろう。

解説

更級日記の一節を手がかりに、歌の言葉「草枕」の実態を考えた段である。作者の菅原孝標女は、父の任地上総から京へ帰る旅の途中、三河と尾張の境の二村山で、大きな柿の木の下に仮小屋を建てて泊まった。夜通し屋根に柿が落ちてきて、人々がそれを拾ったという。宣長は、平安の中頃でさえ旅の宿りはこれほど粗末だったのだから、歌で決まり文句のように詠む「草の枕」も、もっと古い時代には比喩ではなく、本当に草を枕に野宿することだったのだろうと推し量る。歌の言葉を単なる修辞として読み流さず、古人の生活の実感に引き戻して理解しようとするのは、宣長の古典の読み方の特徴である。見慣れた言葉の背後にある暮らしの具体を思い描くことで、古典は急に生きたものになる。

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