玉勝間 / 十三の巻 巻頭おもひ草十三
末ひろくしげりけるかな思ひ草を花が本は一もとにしてかく詠めるこころは、戀の歌のつねに、尾花がもとの思ひ草と詠むなるは、そのはじめを尋ぬれば、萬葉集の十の卷に、「道のべのをばなが本の思草、今さらに何物か思はむ、と云へる歌ただ一ッあるのみにて、これを置きては見えぬ事なるを、此一本によりてなむ、後にはひろく詠む事となれる由を詠めるにぞ有ける。そもそも此思ひ草と云ふ草は、いかなる草にか、さだかならぬを。一とせ尾張の名兒屋の、田中ノ道麻呂が許より、文のたよりに、今の世にも、思ひ草と云ひて、すすきの中に生る、小き草なむあるを、高さ三四寸、あるは五六寸ばかりにて、秋の末に花咲くを、其色紫の黑みたるにて、うち見たるは、菫の花に似て、すみれのごと、色のにほひは無し。花咲く頃は、葉は無し、此草薄の中ならでは、ほかには生ず。花のはしつかたなる所の中に、黑大豆ばかりの大きさなる實の有るを、とりて蒔けば、よく生るなり。されどそれも、薄の下ならでは、蒔けども植れども、生ること無し。古、の思ひ草も、これにや有らむ。
新字:末ひろくしげりけるかな思ひ草を花が本は一もとにしてかく詠めるこころは、恋の歌のつねに、尾花がもとの思ひ草と詠むなるは、そのはじめを尋ぬれば、万葉集の十の巻に、「道のべのをばなが本の思草、今さらに何物か思はむ、と云へる歌ただ一ッあるのみにて、これを置きては見えぬ事なるを、此一本によりてなむ、後にはひろく詠む事となれる由を詠めるにぞ有ける。そもそも此思ひ草と云ふ草は、いかなる草にか、さだかならぬを。一とせ尾張の名児屋の、田中ノ道麻呂が許より、文のたよりに、今の世にも、思ひ草と云ひて、すすきの中に生る、小き草なむあるを、高さ三四寸、あるは五六寸ばかりにて、秋の末に花咲くを、其色紫の黒みたるにて、うち見たるは、菫の花に似て、すみれのごと、色のにほひは無し。花咲く頃は、葉は無し、此草薄の中ならでは、ほかには生ず。花のはしつかたなる所の中に、黒大豆ばかりの大きさなる実の有るを、とりて蒔けば、よく生るなり。されどそれも、薄の下ならでは、蒔けども植れども、生ること無し。古、の思ひ草も、これにや有らむ。
書き下し
末ひろくしげりけるかな思い草お花が本は一もとにして かく詠めるこころは、恋の歌のつねに、尾花がもとの思い草と詠むなるは、そのはじめを尋ぬれば、万葉集の十の巻に、「道のべのおばなが本の思い草、今さらに何物か思わむ、と云える歌ただ一つあるのみにて、これを置きては見えぬ事なるを、この一本によりてなむ、後にはひろく詠む事となれるよしを詠めるにぞ有りける。そもそもこの思い草と云う草は、いかなる草にか、さだかならぬを。一とせ尾張の名児屋の、田中の道麻呂が許より、文のたよりに、今の世にも、思い草と云いて、すすきの中に生うる、小さき草なむあるを、高さ三四寸、あるは五六寸ばかりにて、秋の末に花咲くを、その色紫の黒みたるにて、うち見たるは、菫の花に似て、すみれのごと、色のにおいは無し。花咲く頃は、葉は無し、この草薄の中ならでは、ほかには生ず。花のはしつかたなる所の中に、黒大豆ばかりの大きさなる実の有るを、とりて蒔けば、よく生うるなり。されどそれも、薄の下ならでは、蒔けども植うれども、生うること無し。古の思い草も、これにや有らむ。
現代語訳
「末広く茂ったものだなあ、思い草は。尾花(ススキ)の根もとに生えるというそのもとは、ただ一本であったのに」。このように詠んだ心はこうである。恋の歌で決まって「尾花がもとの思い草」と詠むのは、その始まりを尋ねると、『万葉集』巻十に「道のほとりの尾花の根もとの思い草のように、今さら何を思い悩むことがあろうか」という歌がただ一首あるだけで、これを除いてはほかに見えないことなのに、この一首によって、後の世には広く詠むようになった、そのいきさつを詠んだのである。そもそもこの思い草という草は、どういう草なのか、はっきりしない。ある年、尾張の名古屋の田中道麻呂のもとから、手紙のついでに言ってよこしたことには、今の世にも思い草といって、ススキの中に生える小さな草がある。高さは三、四寸、あるいは五、六寸ほどで、秋の末に花が咲き、その色は黒みがかった紫で、ちょっと見るとスミレの花に似ているが、スミレのような色の艶はない。花の咲く頃には葉はない。この草はススキの中でなければ、ほかには生えない。花の端のほうの中に、黒大豆ほどの大きさの実があるのを取って蒔けば、よく生える。けれどもそれも、ススキの下でなければ、蒔いても植えても生えることはない。古の思い草も、これであろうか、と。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 巻頭(おもひ草十三)されどすすきの中にのみ生うるから、近き世に事好む者の、おしてそれと名づけたるにも有らむかと云いて、その草の図をも書きて、見せにおこせたる、そのかたは、かくぞ有りける。その後に又あるとき、花の咲きたる頃、一もと掘りて、薄のきりくいごめに、竹の筒の中に植えて、ただにその草をも、見せにおこせたるを、移し植えて見けるに、しばしは生いつきたるさまにて有りしを、ほどなく冬枯れにける。又のとしの春、萌えや出ると、待ちけるに、ついに枯れて、薄ながらに芽も出ずなりにきかし。さるは後にたずね見れば、このわたりの野山なる、すすきの中にも、ある草にぞ有りける。これ古の思い草ならむことはしも、げにいと覚束なくなむ。
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『玉勝間』十三の巻 まるすげと云ふ草世にかやつり草と云う草の、小さきようなる草の、田に生いて、田夫のいたくいとう草あり。美濃の国にてこれをまること云う。三河の国にては、まるすげと云うよしなり。まろこ菅と歌に詠める物にはあらじかと、同人云えり。
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『玉勝間』六の巻 巻頭(からあゐ六)そのおのが歌は、からあいの末摘花の末ついに色にや出でん忍びかねてば 寄草恋と云う題にて詠めるなり。古今集なる、「我が恋をしのびかねてばあしひきの山たちばなの色に出でぬべし」と云う歌にぞよく似たると、また云う人も有りなんか。
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『玉勝間』四の巻 月草の事月草は、今の世に露草と云う物なり。国によりて、ぼうし草とも、べべし草とも云う。世にぼうしと云いて、物を染むる紙あるは、この草にて染めたる故の名なり。また古き歌に、花色衣と詠めるも、この月草染めなり。今の世に、青色を花色と云うこれなり。またそれをちくさとも云うは、月草を訛れるなり、と或る人云えり。
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『玉勝間』四の巻 巻頭(わすれ草四)からぶみの中に、とみに尋ぬべき事の有りて、思いめぐらすに、そのふみとばかりは、ほのかに覚えながら、いづれの巻のあたりと云うこと、さらにおぼえねば、ただ心あてに、ここかしこと尋ぬれど、え見いでず。さりとていとあまた有る巻々を、初めよりたつねもて行かむには、いみしくいとまいりぬべければ、さもえ物せず。ついに空しくて止みぬるが、いと口惜しきままに、思い続けける。ふみ見つる跡もなつ野の忘草老いてはいとどしげり添いつつ。もとより物覚ゆる事、いと乏しかりけるを、このちかき年頃となりては、いとど何事も、ただ今見聞きつるをだに、やがて忘れがちなるは、いといと云うかい無きわざになん。
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『玉勝間』五の巻 巻頭(枯野のすすき五)秋過ぎて、草はみながら枯れはてて、さびしき野べに、ただ尾花のかぎり、心長く残りて、むらむら立てるを、あわれと見て、詠める。かれぬべき枯野の尾花かれずあるを枯れずこそ見め枯れぬ限りは。斯かるすずろごとをさえに、とり出でたるは、見ん人、おこに思うべかめれど、よしやさばれとてなん。
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