玉勝間 / 十三の巻 文治元年四月神鏡神璽京にかへり入らせ給ふ事
文治元年四月廿五日、神鏡神璽入御あり。上卿は權中納言經房、參議は宰相ノ中將泰通、辨左少辨兼忠、近衛には左中將公時ノ朝臣、右中將範能ノ朝臣なり、兩將ともに、壺胡錄を帶せり。職事藏人左衛門權佐親雅ぞ、供奉しける。四塚より下馬して、各步行す。先ッ頭ノ中將通資朝臣參向して、行事す。內侍所、內藏寮新造の唐櫃に納奉る。大夫尉義經、郞等三百騎を相具して、前行す。御後、又百騎候フ。朱雀を北へ行キ、六條を東へ行き、大宮を北へ行キ、待賢門に入リ、朝所に着御ありけり。藏人左衛門尉橘〓季、かねて此所に候とけり。神璽は、海上に浮みけるを、常陸國ノ住人片岡ノ太郞經春が、取上ヶ奉りけるとぞ聞えし。同卄七日、內侍所神聖、官ノ廳より溫明殿へ渡し奉らる。上卿參議辨次將、みなもとの供奉の人なりけり。三箇日臨時の御神樂おこなはれけりと、此事源平盛衰記に見えたり。
新字:文治元年四月廿五日、神鏡神璽入御あり。上卿は権中納言経房、参議は宰相ノ中将泰通、弁左少弁兼忠、近衛には左中将公時ノ朝臣、右中将範能ノ朝臣なり、両将ともに、壺胡録を帯せり。職事蔵人左衛門権佐親雅ぞ、供奉しける。四塚より下馬して、各歩行す。先ッ頭ノ中将通資朝臣参向して、行事す。内侍所、内蔵寮新造の唐櫃に納奉る。大夫尉義経、郎等三百騎を相具して、前行す。御後、又百騎候フ。朱雀を北へ行キ、六条を東へ行き、大宮を北へ行キ、待賢門に入リ、朝所に着御ありけり。蔵人左衛門尉橘〓季、かねて此所に候とけり。神璽は、海上に浮みけるを、常陸国ノ住人片岡ノ太郎経春が、取上ヶ奉りけるとぞ聞えし。同卄七日、内侍所神聖、官ノ庁より温明殿へ渡し奉らる。上卿参議弁次将、みなもとの供奉の人なりけり。三箇日臨時の御神楽おこなはれけりと、此事源平盛衰記に見えたり。
書き下し
文治元年四月廿五日、神鏡神璽入御あり。上卿は権中納言経房、参議は宰相の中将泰通、弁左少弁兼忠、近衛には左中将公時の朝臣、右中将範能の朝臣なり、両将ともに、壺胡籙を帯せり。職事蔵人左衛門権佐親雅ぞ、供奉しける。四塚より下馬して、各歩行す。先ず頭の中将通資朝臣参向して、行事す。内侍所、内蔵寮新造の唐櫃に納め奉る。大夫尉義経、郎等三百騎を相具して、前行す。御後、又百騎候う。朱雀を北へ行き、六条を東へ行き、大宮を北へ行き、待賢門に入り、朝所に着御ありけり。蔵人左衛門尉橘〓季、かねてこの所に候いけり。神璽は、海上に浮かみけるを、常陸国の住人片岡の太郎経春が、取り上げ奉りけるとぞ聞こえし。同廿七日、内侍所神聖、官の庁より温明殿へ渡し奉らる。上卿参議弁次将、みなもとの供奉の人なりけり。三箇日臨時の御神楽おこなわれけりと、この事源平盛衰記に見えたり。
現代語訳
「文治元年四月二十五日、神鏡と神璽が都にお入りになった。上卿は権中納言吉田経房、参議は宰相中将泰通、弁は左少弁兼忠、近衛には左中将公時朝臣と右中将範能朝臣で、両将とも壺胡籙(矢を入れる武具)を帯びていた。職事の蔵人左衛門権佐親雅がお供をした。四塚で馬を下り、それぞれ徒歩で進んだ。まず頭中将通資朝臣が出向いて行事を執り行った。内侍所(神鏡)は内蔵寮で新しく造った唐櫃にお納め申し上げた。大夫尉源義経が郎等三百騎を引き連れて先を進んだ。後ろにはまた百騎が控えた。朱雀大路を北へ行き、六条を東へ行き、大宮大路を北へ行き、待賢門から入り、朝所にお着きになった。蔵人左衛門尉橘某季が前もってこの所に控えていた。神璽は海上に浮かんでいたのを、常陸国の住人片岡太郎経春が取り上げ申したと聞いている。同じく二十七日、内侍所と神璽は太政官の庁から温明殿へお移し申し上げた。上卿・参議・弁・次将はみな、もとのお供の人々であった。三日間、臨時の御神楽が行われた」と、このことが『源平盛衰記』に見えている。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 又宝劒の事百練抄に、文治三年七月廿日己未、七社に奉幣す、宝剣の御祈に依るなり。今日、勅使を長門国に遣わさる、且つは祈謝せられ、捜索せしめんが為なり。神祇大祐卜部兼衡、大蔵少輔安倍泰成等使と為る、前安芸守佐伯景弘、去る比下向す。景弘、合戦の時彼の国に在り、賓剣沈没の所を存知すと云云。
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『神皇正統記』巻五 第八十二代 後鳥羽院代々の天皇のとほき御まぼりとして国土のあまねき光となり給へり。うせにし宝剣はもとより如在のことゝぞ申侍べき。神璽は八坂瓊の曲玉と申す。神代より今にかはらず、代々の御身をはなれぬ御まぼりなれば、海中よりうかび出給へるもことわり也。三種の御ことはよく心え奉るべきなり。なべて物しらぬたぐひは、上古の神鏡は天徳・長久の災にあひ、草薙の宝剣は海にしづみにけりと申伝ること侍にや。返々ひがこと也。此国は三種の正体をもちて眼目とし、福田とするなれば、日月の天をめぐらん程は一もかけ給まじき也。天照太神の勅に「宝祚のさかえまさんことあめつちときはまりなかるべし。」と侍れば、いかでか疑奉るべき。今よりゆくさきもいとたのもしくこそおもひ給れ。 平氏いまだ西海にありしほど、源義仲と云物、まづ京都に入、兵威をもて世の中のことをおさへおこなひける。征夷将軍に任ず。此官は昔坂上の田村丸までは東夷征伐のために任ぜられき。
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『玉勝間』十三の巻 神鏡焼損の事百練抄に、寛弘二年十一月十五日、内裏焼亡云云。神鏡灰燼の中に在り、同十七日、神鏡焼損の事、諸卿をしてこれを定め申さしむ。或る記に云う、十二月九日、神鏡を東三条に移し奉る、旧櫃を開く特、新韓櫃に納め奉るの間、忽然として日光の照曜する有り、内侍女官等これを恐れ驚く、同三年七月三日、諸卿御前に於て定め申す、諸道勘申す、神鏡鋳改むべきや否やの事、定むる間、三尺余の蛇、御在所の庇より庭中に落ち、南殿の北階より登り、西に赴きて見えず、神受の兆と謂うべし。また長久元年九月九日、皇居上東門院焼亡云云。内侍所の神鏡、灰燼の中に在りて焼損す。蔵人頭左中将資房、左少将経季等を遣わし、これを求めしむ、僅かに御体を准得し奉る、(焼け残り五六寸許)即ち畏みて折櫃に入れ奉る、又一切を得、(二三寸許)その体焼損し、分明ならずと云云。次次。二三寸許を得、各各段段なり。又金玉の如き物、数粒これを得、随いて又これを彼の櫃に加え入れ奉る。十日、内侍所の女官二人これを夢想す、一人の夢に云う、彼の本所の方に小蛇あり、頗る悩む気有り、一人の夢に云う、彼の本所に人有りて云う、吾相離れ、独身此の所に在りと云云。仍りて女官等彼の所に向かい、鑿ちてこれを求め奉るの処、金玉の如きもの二粒を求め得、即ち入れ奉り畢んぬ。霊験有り、感歎すべしと云云。已上資房卿の記に見ゆ、同十二日、神鏡焼損の事を定め申す、寛弘二年の例に任せて、これを行わるべきの由定め申し了んぬ。
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『玉勝間』十三の巻 貞和四年に西ノ海に沈みし宝劒出来れりと云ふさだの事光明天皇の御世、貞和四年に、元暦のころ、壇の浦に沈みし宝剣、出で来たれりとて、伊勢より進奏せる事あり。これはかの国の円成と云う僧、大神宮へ千日参詣をしけるが、千日に満ちけるおりしも、海上に光物有りて円成これを得て見るに二尺五六寸の剣なり。その時十二三ばかりなる童に、神託ありて、これ海底に沈みし、三種の中の宝剣なりとありければ、祭主神人等、連署の起請をそえて、かの円成これを持ちて上京し、日野の前の大納言資明の卿につきて、これを奉る。さて資明の卿平野の社の神主卜部の宿禰兼員を召して、三種の神器の由来を、委しくたずね、猶も天下の人に信ぜさせむために、兼員をして、三七日祈誓せしめ、この剣まことにかの宝剣なりと云うことを、然るべき人の夢に告げ給いて、人の疑いを去りて、奏聞せんとて、祈請せしむ。その時左兵衛の督直義朝臣の夢に、奇瑞ありしによりて、いよいよ宝剣にまぎれ無しとて、このよし仙洞へ奏聞して、奉り給えり。然るに勧修寺の大納言経顕の卿これを聞きて、宝剣執奏の事、すべて資明が阿党のところより事おこりて候。
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『玉勝間』十三の巻 貞和四年に西ノ海に沈みし宝劒出来れりと云ふさだの事百六十余年の間、治世有徳の御世にだにも、出でざりし宝剣の、今かかる乱世にあたりて、出ずべき理なく候と、委しく奏し申されければ、上皇げにもとや思しめされけん、かの剣をば、平野の社の神主兼員に預けられけるとぞと、この事太平記廿五の巻に、くわしく記せり。まことに資明の卿直義兼員円成ら、あいはかりて、かまえ出だしたる、いつわり事とこそ聞こゆれ。
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『玉勝間』十三の巻 宝劒の事法皇、宝剣の失せぬる事を、大いに御歎きありて、賀茂大明神に、七日御参籠、第七箇日に御夢想あり。宝剣の事、長門の国壇の浦の、老松若松という海士に仰せて、尋ね給うべしとなり。これによりて、九郎判官を召して、この事を仰せを含めらる。義経かの国へ下り、件の二人の海士をめす。老松は母、若松は女なり。二人ともに海に入りて、一日ありて浮かび上がりて、申すよう。怪しき子細ある所に候えば、凡夫の力に及ばず。如法経を書写して、身にまとうて入るべしと申すによりて、僧をあつめ、如法経を書写し、老松身にこれをまといて入り、一日一夜上がらず。翌日午の刻ばかりに浮かび上がる。子細は帝の御前にて申すべしと云うによりて、都へ具して上り、法住寺の御所に於て申していわく。竜宮城とおぼしき処に入り、そのありさま凡夫のすみかにあらず、心も言も及びがたし。老松、大日本国の帝王の御使と申し入れ庭上にすすみて、御簾の半ばあげたる内を見れば、長は知らず、臥長二丈もやあらんとおぼゆる大蛇、剣を口にくわえ、七八歳の小児をいだきてあり。詞を出していわく、宝剣は、必ずしも日本の帝の宝にあらず。竜宮城の宝物なり。かの出雲の国簸の川上の大蛇は、我が次郎王子なりし。
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