玉勝間 / 十三の巻 宝劒の事
法皇、寶劍の失ぬる事を、大に御歎きありて、賀茂大明神に、七日御參籠、第七箇日に御夢想あり。寶劍の事、長門ノ國壇ノ浦の、老松若松といふ海士に仰せて、尋ね給ふべしとなり。これによりて、九郞判官を召て、此事を仰を含めらる。義經かの國へ下り、件の二人の海士をめす。老松は母、若松は女なり。二人ともに海に入りて、一日ありて浮上りて、申すやう。怪き子細ある所に候へば、凡夫の力に及ばず。如法經を書寫して、身にまとうて入ルべしと申すによりて、僧をあつめ、如法經を書寫し、老松身にこれをまとひて入、一日一夜上らず。翌日午、刻ばかりに浮上る。子細は帝の御前にて申すべしと云ふによりて、都へ具して上り、法住寺ノ御所に於て申シていはく。龍宮城とおぼしき處に入、そのありさま凡夫のすみかにあらず、心も言も及びがたし。老松、大日本國の帝王の御使と申入れ庭上にすすみて、御簾の半あげたる內を見れば、長は知らず、臥長二丈もやあらんとおぼゆる大蛇、劒を口にくはへ、七八歳の小兒をいだきてあり。詞を出していはく、寶劍は、必しも日本帝の寶にあらず。龍宮城の寶物なり。かの出雲、國簸ノ川上の大蛇は、我ヵ次郞王子なりし。
新字:法皇、宝剣の失ぬる事を、大に御嘆きありて、賀茂大明神に、七日御参籠、第七箇日に御夢想あり。宝剣の事、長門ノ国壇ノ浦の、老松若松といふ海士に仰せて、尋ね給ふべしとなり。これによりて、九郎判官を召て、此事を仰を含めらる。義経かの国へ下り、件の二人の海士をめす。老松は母、若松は女なり。二人ともに海に入りて、一日ありて浮上りて、申すやう。怪き子細ある所に候へば、凡夫の力に及ばず。如法経を書写して、身にまとうて入ルべしと申すによりて、僧をあつめ、如法経を書写し、老松身にこれをまとひて入、一日一夜上らず。翌日午、刻ばかりに浮上る。子細は帝の御前にて申すべしと云ふによりて、都へ具して上り、法住寺ノ御所に於て申シていはく。竜宮城とおぼしき処に入、そのありさま凡夫のすみかにあらず、心も言も及びがたし。老松、大日本国の帝王の御使と申入れ庭上にすすみて、御簾の半あげたる内を見れば、長は知らず、臥長二丈もやあらんとおぼゆる大蛇、劒を口にくはへ、七八歳の小児をいだきてあり。詞を出していはく、宝剣は、必しも日本帝の宝にあらず。竜宮城の宝物なり。かの出雲、国簸ノ川上の大蛇は、我ヵ次郎王子なりし。
書き下し
法皇、宝剣の失せぬる事を、大いに御歎きありて、賀茂大明神に、七日御参籠、第七箇日に御夢想あり。宝剣の事、長門の国壇の浦の、老松若松という海士に仰せて、尋ね給うべしとなり。これによりて、九郎判官を召して、この事を仰せを含めらる。義経かの国へ下り、件の二人の海士をめす。老松は母、若松は女なり。二人ともに海に入りて、一日ありて浮かび上がりて、申すよう。怪しき子細ある所に候えば、凡夫の力に及ばず。如法経を書写して、身にまとうて入るべしと申すによりて、僧をあつめ、如法経を書写し、老松身にこれをまといて入り、一日一夜上がらず。翌日午の刻ばかりに浮かび上がる。子細は帝の御前にて申すべしと云うによりて、都へ具して上り、法住寺の御所に於て申していわく。竜宮城とおぼしき処に入り、そのありさま凡夫のすみかにあらず、心も言も及びがたし。老松、大日本国の帝王の御使と申し入れ庭上にすすみて、御簾の半ばあげたる内を見れば、長は知らず、臥長二丈もやあらんとおぼゆる大蛇、剣を口にくわえ、七八歳の小児をいだきてあり。詞を出していわく、宝剣は、必ずしも日本の帝の宝にあらず。竜宮城の宝物なり。かの出雲の国簸の川上の大蛇は、我が次郎王子なりし。
現代語訳
後白河法皇は、宝剣の失われたことをたいへんお嘆きになって、賀茂大明神に七日間お籠もりになり、七日目に夢のお告げがあった。宝剣のことは、長門の国壇ノ浦の老松・若松という海女に命じて探させるがよい、というのである。これによって九郎判官(源義経)を召して、このことを言い含められた。義経はその国へ下り、例の二人の海女を呼び出した。老松は母、若松は娘である。二人とも海に潜り、一日たって浮かび上がって申すには、「怪しいわけのある所でございますので、凡人の力では及びません。如法経(作法どおりに書写した法華経)を書き写して、身にまとって潜るべきです」と申したので、僧を集めて如法経を書写し、老松がこれを身にまとって潜ったところ、一日一夜上がってこなかった。翌日の昼ごろに浮かび上がった。「詳しいことは帝の御前で申し上げます」と言うので、都へ連れて上り、法住寺の御所で申し上げたことには、「竜宮城と思われる所に入りましたが、そのありさまは凡人の住む所ではなく、心にも言葉にも及ばないものでした。老松が『大日本国の帝王の御使いです』と申し入れて庭に進み、御簾を半ば上げた内を見ると、背丈は分かりませんが、臥した長さが二丈もあろうかと思われる大蛇が、剣を口にくわえ、七、八歳の子どもを抱いていました。大蛇が言葉を発して言うには、『宝剣は必ずしも日本の帝の宝ではない。竜宮城の宝物である。あの出雲の国の簸の川上の大蛇(八岐大蛇)は、わが次男の王子であった。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』十三の巻 宝劒の事その後日本武の尊東行の時、胆吹山のすそに、臥長一丈の大蛇となりて、この剣を取らむとせしかども、取り得ざりし故に、その後さまざまと謀をめぐらし、簸の川上の大蛇、安徳天皇となり、源平の乱をおこし、竜宮に返し取りぬ。今我が口に含める、即ち是宝剣なり。抱ける小児は、安徳天皇なり。平家の一門の人人も、ここにありとて、簾をまきあげて見せける。まことにその人人皆なみ居たり。今汝に、身にまとえる如法経の貴さに、本の質をそのままにて見ゆるなり。ただしこの剣は、尽未来際、日本に返す事あるべからずとて、大蛇は内にはい入りぬと奏しければ、法皇をはじめ奉り、月卿雲客、一同に奇特の思いをなし給えり。さてこそ宝剣は、失せ侍りと治定しけれと、これも同じ書に見えたり。件の事は、寺寺の縁起のたぐいにて、みな例の僧のともがらの、世の人をあざむく、むげの造り事なり。然るを万の事に、かくさまの仏法ざたのすじを云うことを好みて、かかる書にさえ、いみじげに記されたるは、この事のみにあらず、皇国のむかし人の常のくせなり。大かたかかるたぐいの事をしるせるは、いずれの書なるもみな同じ事なり、いとうるさし。
-
『玉勝間』十三の巻 貞和四年に西ノ海に沈みし宝劒出来れりと云ふさだの事光明天皇の御世、貞和四年に、元暦のころ、壇の浦に沈みし宝剣、出で来たれりとて、伊勢より進奏せる事あり。これはかの国の円成と云う僧、大神宮へ千日参詣をしけるが、千日に満ちけるおりしも、海上に光物有りて円成これを得て見るに二尺五六寸の剣なり。その時十二三ばかりなる童に、神託ありて、これ海底に沈みし、三種の中の宝剣なりとありければ、祭主神人等、連署の起請をそえて、かの円成これを持ちて上京し、日野の前の大納言資明の卿につきて、これを奉る。さて資明の卿平野の社の神主卜部の宿禰兼員を召して、三種の神器の由来を、委しくたずね、猶も天下の人に信ぜさせむために、兼員をして、三七日祈誓せしめ、この剣まことにかの宝剣なりと云うことを、然るべき人の夢に告げ給いて、人の疑いを去りて、奏聞せんとて、祈請せしむ。その時左兵衛の督直義朝臣の夢に、奇瑞ありしによりて、いよいよ宝剣にまぎれ無しとて、このよし仙洞へ奏聞して、奉り給えり。然るに勧修寺の大納言経顕の卿これを聞きて、宝剣執奏の事、すべて資明が阿党のところより事おこりて候。
-
『玉勝間』十三の巻 又宝劒の事百練抄に、文治三年七月廿日己未、七社に奉幣す、宝剣の御祈に依るなり。今日、勅使を長門国に遣わさる、且つは祈謝せられ、捜索せしめんが為なり。神祇大祐卜部兼衡、大蔵少輔安倍泰成等使と為る、前安芸守佐伯景弘、去る比下向す。景弘、合戦の時彼の国に在り、賓剣沈没の所を存知すと云云。
-
『玉勝間』十三の巻 貞和四年に西ノ海に沈みし宝劒出来れりと云ふさだの事百六十余年の間、治世有徳の御世にだにも、出でざりし宝剣の、今かかる乱世にあたりて、出ずべき理なく候と、委しく奏し申されければ、上皇げにもとや思しめされけん、かの剣をば、平野の社の神主兼員に預けられけるとぞと、この事太平記廿五の巻に、くわしく記せり。まことに資明の卿直義兼員円成ら、あいはかりて、かまえ出だしたる、いつわり事とこそ聞こゆれ。
-
『玉勝間』十三の巻 文治元年四月神鏡神璽京にかへり入らせ給ふ事文治元年四月廿五日、神鏡神璽入御あり。上卿は権中納言経房、参議は宰相の中将泰通、弁左少弁兼忠、近衛には左中将公時の朝臣、右中将範能の朝臣なり、両将ともに、壺胡籙を帯せり。職事蔵人左衛門権佐親雅ぞ、供奉しける。四塚より下馬して、各歩行す。先ず頭の中将通資朝臣参向して、行事す。内侍所、内蔵寮新造の唐櫃に納め奉る。大夫尉義経、郎等三百騎を相具して、前行す。御後、又百騎候う。朱雀を北へ行き、六条を東へ行き、大宮を北へ行き、待賢門に入り、朝所に着御ありけり。蔵人左衛門尉橘〓季、かねてこの所に候いけり。神璽は、海上に浮かみけるを、常陸国の住人片岡の太郎経春が、取り上げ奉りけるとぞ聞こえし。同廿七日、内侍所神聖、官の庁より温明殿へ渡し奉らる。上卿参議弁次将、みなもとの供奉の人なりけり。三箇日臨時の御神楽おこなわれけりと、この事源平盛衰記に見えたり。
-
『玉勝間』六の巻 安徳天皇の御事この主上をば、安徳天皇とつけ申したり。海にしずませ給いぬる事は、この王を、平相国いのり出しまいらすることは、安芸の厳島の明神の利生なり。このいつくしまと云うは、龍王のむすめなり、と申し伝えたり。この御神の、心ざし深きにこたえて、我が身の、この王となりて、生まれたりけるなり。さて果てには、海へかえりぬるなりとぞ、この子細知りたる人は申しける。この事は、まことならんと覚ゆ。この三件も、同じく愚管抄なり。この書、七巻有りて、神武天皇より、順徳天皇の御世、承久の乱れの前までの事どもを記して、ところどころに論あり。法師の書けるふみと見えて、その論みな例の仏さだなり。この安徳の帝の御事など、そのかみ例の僧のつくり出でて、云いなしたるが、ひろごりて、世にさるさだ有りしなるべし。平相国にいつくしま、いつく島に龍王のむすめ、りゅうおうの女に海にかえるとは、よくも事あいて、似つきたるものかな。「しもつけは木のうえにこそ成りにけれよしとも見えぬかけづかさかな」。これは平治に源の義朝の首、獄門にかけられたるを詠める、たわぶれ歌なり。しもつけは下野、かけづかさは兼官なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る