導師導古典を学びたいすべての人に

神皇正統記 / 巻五 第八十二代 後鳥羽院

代々の天皇のとほき御まぼりとして国土のあまねき光となり給へり。うせにし宝剣はもとより如在のことゝぞ申侍べき。神璽は八坂瓊の曲玉と申す。神代より今にかはらず、代々の御身をはなれぬ御まぼりなれば、海中よりうかび出給へるもことわり也。三種の御ことはよく心え奉るべきなり。なべて物しらぬたぐひは、上古の神鏡は天徳・長久の災にあひ、草薙の宝剣は海にしづみにけりと申伝ること侍にや。返々ひがこと也。此国は三種の正体をもちて眼目とし、福田とするなれば、日月の天をめぐらん程は一もかけ給まじき也。天照太神の勅に「宝祚のさかえまさんことあめつちときはまりなかるべし。」と侍れば、いかでか疑奉るべき。今よりゆくさきもいとたのもしくこそおもひ給れ。 平氏いまだ西海にありしほど、源義仲と云物、まづ京都に入、兵威をもて世の中のことをおさへおこなひける。征夷将軍に任ず。此官は昔坂上の田村丸までは東夷征伐のために任ぜられき。

書き下し

代々の天皇のとほき御まぼりとして国土のあまねき光となり給へり。うせにし宝剣はもとより如在のことゝぞ申侍べき。神璽は八坂瓊の曲玉と申す。神代より今にかはらず、代々の御身をはなれぬ御まぼりなれば、海中よりうかび出給へるもことわり也。三種の御ことはよく心え奉るべきなり。なべて物しらぬたぐひは、上古の神鏡は天徳・長久の災にあひ、草薙の宝剣は海にしづみにけりと申伝ること侍にや。返々ひがこと也。此国は三種の正体をもちて眼目とし、福田とするなれば、日月の天をめぐらん程は一もかけ給まじき也。天照太神の勅に「宝祚のさかえまさんことあめつちときはまりなかるべし。」と侍れば、いかでか疑奉るべき。今よりゆくさきもいとたのもしくこそおもひ給れ。 平氏いまだ西海にありしほど、源義仲と云物、まづ京都に入、兵威をもて世の中のことをおさへおこなひける。征夷将軍に任ず。此官は昔坂上の田村丸までは東夷征伐のために任ぜられき。

現代語訳

二種の神器は代々の天皇の遠い守りとして、国土をあまねく照らす光となっておられる。失われた宝剣は、もとより本体がそこにあるかのように扱う写しであったと申すべきである。神璽は八坂瓊の曲玉と申す。神代から今に変わらず、代々の天皇の御身を離れないお守りであるから、海中から浮かび出られたのも道理である。三種の神器のことはよく心得申すべきである。おしなべて物を知らない者たちは、上古の神鏡は天徳・長久の火災に遭い、草薙の宝剣は海に沈んでしまったと申し伝えているようだが、返す返すも誤りである。この国は三種の神器の本体をもって眼目とし、福徳の田とするのであるから、日月が天を巡る限りは一つも欠けることはないはずである。天照大神の勅に「宝祚(皇位)の栄えることは、天地とともに窮まりがないであろう」とあるのだから、どうして疑い申すことがあろうか。今から行く先もたいそう頼もしく思われる。 平氏がまだ西海にいた間に、源義仲という者がまず京都に入り、兵の威力で世の中のことを押さえて取り仕切った。征夷将軍に任じられた。この官は、昔は坂上田村麻呂まで、東夷征伐のために任じられた。

解説

前段の神器論の結論と、源義仲の入京が同じ段に収められている。親房は、宝剣は失われたが本体は熱田にある、神璽は海から浮かび出た、神鏡の本体は伊勢にある、と整理したうえで、神鏡は焼け宝剣は沈んだという世間の話を「返々ひがこと也」と強く退ける。三種の本体こそこの国の「眼目」であり「福田」であって、日月の続く限り欠けることはない。天孫降臨の際の天照大神の神勅を引いて、皇位の永続を確信する。「今よりゆくさきもいとたのもしく」という結びには、南朝の劣勢のなかで書く親房の祈りのような響きもある。そこから一転して、義仲の入京と征夷将軍任官が記される。坂上田村麻呂以来の官名が武家の手に移る始まりであり、次段で将軍職の歴史が語られていく。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る