玉勝間 / 十三の巻 清輔ノ朝臣尚歯会
承安二年三月十九日、白川の寶莊嚴院にて、清輔ノ朝臣、尙齒會を行はる、前ノ馬寮ノ助藤原ノ敦賴(八十三)、神祇伯顯廣ノ王(七十八)、前ノ石見ノ介祝部ノ成仲(七十四)宮內卿藤原ノ永範卿(七十一)、右京ノ權大夫源ノ賴政(六十九)清輔(六十九)、前ノ式部ノ少輔大江ノ維光(六十三)、以上七人。件の記一卷あり。明和の頃板にゑれり。
新字:承安二年三月十九日、白川の宝荘厳院にて、清輔ノ朝臣、尚歯会を行はる、前ノ馬寮ノ助藤原ノ敦頼(八十三)、神祇伯顕広ノ王(七十八)、前ノ石見ノ介祝部ノ成仲(七十四)宮内卿藤原ノ永範卿(七十一)、右京ノ権大夫源ノ頼政(六十九)清輔(六十九)、前ノ式部ノ少輔大江ノ維光(六十三)、以上七人。件の記一巻あり。明和の頃板にゑれり。
書き下し
承安二年三月十九日、白川の宝荘厳院にて、清輔の朝臣、尚歯会を行わる、前の馬寮の助藤原の敦頼(八十三)、神祇伯顕広の王(七十八)、前の石見の介祝部の成仲(七十四)宮内卿藤原の永範卿(七十一)、右京の権大夫源の頼政(六十九)清輔(六十九)、前の式部の少輔大江の維光(六十三)、以上七人。件の記一巻あり。明和の頃板にえれり。
現代語訳
承安二年三月十九日、白河の宝荘厳院で、藤原清輔朝臣が尚歯会を催された。前の馬寮の助藤原敦頼(八十三歳)、神祇伯顕広王(七十八歳)、前の石見介祝部成仲(七十四歳)、宮内卿藤原永範卿(七十一歳)、右京権大夫源頼政(六十九歳)、清輔(六十九歳)、前の式部少輔大江維光(六十三歳)、以上の七人である。この会の記録が一巻ある。明和の頃に版木に彫って刊行された。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 清輔ノ朝臣尚歯会承安二年三月十九日、白川の宝荘厳院にして、藤原の清輔の朝臣、尚歯会を行われけり。前の馬寮の助藤原の敦頼八十三、神祇の伯顕広の王七十八、前の石見の介祝部の成仲七十四、宮内卿藤原の永範の卿七十一、右京の権の太夫源の頼政六十九、清輔六十九、前の式部の少輔大江の維光六十三、この七人なりき。この尚歯会の記一まき、いにし明和の頃、板にえりて、世にひろまれり。
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『玉勝間』四の巻 祝部ノ成仲九十ノ賀同書に云う、文治四年五月十六日辛亥、日吉社の禰宜成仲、九十の賀を結構す、好士多く以て行き向かう、然るべきの卿相和歌を送る。
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『玉勝間』十の巻 歌会同じ記に云う、嘉吉二年九月十八日、今日冷泉中将持和朝臣の宿所に参る、(近衛室町の辺なり)去月この宿所に移住す云々。一盞分撓し、之より雑談に及ぶ。和歌の懐紙の書き様、また会の座に懐紙を置く様、講師已下の条々の作法、具に之を口伝せらる、記録に遑あらざる者なり、云々。同日今夜、飯尾新左衛門尉為数の亭にて和歌会なり、云々。常光院大僧都堯孝題を出すなり。今夜読師たり。蜷川新右衛門入道智蘊講師たり、云々。今夜新右衛門講師の時、堯孝が短冊には、大僧都とよめり。懐紙もまた之に同じ、その外は皆実名、官途実名なり。聊か思惟有るべきか、如何。実名の中、ちと然るべきの輩、微音なり。その験有り、愚存もまたかくの如し。先ず懐紙を講じて後、次に短冊を披講す。
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『玉勝間』十三の巻 伏見の会続世継に、橘の俊綱の朝臣の、伏見の住まいの事を云える所にいわく。伏見にては、時の歌よみどもつどえて、和歌の会たゆるよなかりけり。伏見の会とて、いくらともなくつもりてなんあなると有り。俊綱の朝臣は、宇治の関白殿の御子なり。いくらともなくつもりてと云えるは、歌合の歌を集めたる物をも、歌合と云う如く、その会の時の歌どもを、書き集めたる物を、伏見の会と云えるにや。
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『玉勝間』一の巻 歌の御会のめぐらし文甘露寺権大納言元長卿記に云う、永正五年正月十四日、和哥御会の廻文を書き、釜殿を以て之を遣わす、鷺に慶音有り、右の御題、来る十九日披講有るべし、予参せしめ給うべき由、仰せ下され候なり、正月十四日、元長、中御門大納言殿、(この所同じつらに廿三人の名あり)袖書に尅限は午の一点たるべきなり、丞相には別紙の折紙を以て之を相触る。
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『玉勝間』七の巻 崇徳上皇頼長公に代らせ給ひて御歌詠みて給へる事同記に云う、久安三年三月廿七日、禅閣の七十の賀の礼有り、云々、和歌に堪えざるに依りて、密かに新院に申す、(上古を恥じず)今暁二首を下し給う、キミガヨワサシテモイワジミカサヤマアメノシタニモマサムカギリワ、キミガヘムイマユク爪エノトオケレバキョウノマトイゾツキセザルベキ。手詔に云う、和歌の事、心中に愚案を廻らすと雖も、顕わすべき祝いの心無し、およそ力上古の体に及ばず、また極めて憚り思い給うなり、仍りて度々この旨を申さしめ了んぬ、然れども何事と雖も、繊芥も力の及ぶ程の事は、承るべきの由、存じ思い給うの故に、形のごとく二首之を進覧す、先人に替わりて歌詠むほどの上手は、別事なり。次にまた和歌の体散々にして、厳重の席に披き難し、而るに今進覧せしむるの条、偏に懇志を表し、長く恥辱を忘るるなり、御覧の為の許りなり、明日は努々用いしめ給うべからず、あなかしこあなかしこ、早く破却せらるべきなり。端の歌は、字病にやと覚ゆる事候か、然れども証歌候なり、と有り。これは忠実公七十の賀に、頼長公歌に堪えざるによりて、崇徳天皇の新院にておわしましけるに、請い申し給えるに、詠みて給えるの時の手詔なり。
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