玉勝間 / 十三の巻 歌を草書に書きし事
源氏ノ物語椎本ノ卷に、宇治ノ八ノ宮の御歌、「山風に霞ふきとく聲はあれどへだてて見ゆるをちの白浪、草にいとおかしう書き給へりとあり。草に書くとは、いはゆる萬葉書〓にて、草書に書を云へり。かの頃も猶さること有けらし。
新字:源氏ノ物語椎本ノ巻に、宇治ノ八ノ宮の御歌、「山風に霞ふきとく声はあれどへだてて見ゆるをちの白浪、草にいとおかしう書き給へりとあり。草に書くとは、いはゆる万葉書〓にて、草書に書を云へり。かの頃も猶さること有けらし。
書き下し
源氏の物語椎本の巻に、宇治の八の宮の御歌、「山風に霞ふきとく声はあれどへだてて見ゆるおちの白浪、草にいとおかしう書き給えりとあり。草に書くとは、いわゆる万葉書きにて、草書に書くを云えり。かの頃も猶さること有りけらし。
現代語訳
『源氏物語』椎本の巻に、宇治の八の宮の御歌「山風に乗って霞を吹き分ける音は聞こえるが、隔てられて遠くに見える向こう岸の白波であるよ」を、「草でたいへん趣深くお書きになった」とある。「草に書く」とは、いわゆる万葉仮名書きで、漢字を草書体で書くことを言っている。あの頃もなおそのようなことがあったらしい。
解説
『源氏物語』に、八の宮が歌を「草に」書いたとある一文を取り上げ、これは平仮名ではなく、万葉仮名の漢字を草書体で書く「草仮名」のことだと説いた短い段である。平安時代の中頃には平仮名が広く使われていたが、漢字を崩した草仮名で歌を書くこともなお行われていたことが、この記述から分かる。草仮名は万葉仮名から平仮名へと移り変わる途中の書体で、優美な書として好まれた。物語の何気ない描写から、当時の書記の実態を読み取るのが宣長の目の付けどころである。前の段まで続いた『万葉集』の用字の考証とも響き合い、文字の歴史への関心が一貫していることがうかがえる。物語の細部にも、その時代の生活や文化の手がかりが残っているのである。
関連する章句
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