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玉勝間 / 十の巻 源氏物語をよむ事のたとへ

源氏物語とて、世にもて興ずる、五十四帖の草子とやらむ、心みに、なに事ぞと、くりひろげて見しかば、亂れたる絲すぢの、口無きやうにて、更に讀み解かれ侍らぬは、いかにと問フ。然かし、唯だ慣れよ、のちのち見もて行かば、さながらまどひは果てじ。譬へて云はば、六月ばかり、いと暑き日かげを凌ぎ來たらむ人の、內に入ては、やみのうつつのさだかならで、物の色ふし、あやめも分かれねど、をること久しくなれば、じねんに、彼のうつは物、此調度と、こまかに見分かるるが如し、と同集の文に有り。この集は長嘯子の歌又文を集めたるふみなり。

新字:源氏物語とて、世にもて興ずる、五十四帖の草子とやらむ、心みに、なに事ぞと、くりひろげて見しかば、乱れたる糸すぢの、口無きやうにて、更に読み解かれ侍らぬは、いかにと問フ。然かし、唯だ慣れよ、のちのち見もて行かば、さながらまどひは果てじ。譬へて云はば、六月ばかり、いと暑き日かげを凌ぎ来たらむ人の、内に入ては、やみのうつつのさだかならで、物の色ふし、あやめも分かれねど、をること久しくなれば、じねんに、彼のうつは物、此調度と、こまかに見分かるるが如し、と同集の文に有り。この集は長嘯子の歌又文を集めたるふみなり。

書き下し

源氏物語とて、世にもて興ずる、五十四帖の草子とやらむ、心みに、なに事ぞと、くりひろげて見しかば、乱れたる糸すじの、口無きようにて、更に読み解かれ侍らぬは、いかにと問う。然かし、ただ慣れよ、のちのち見もて行かば、さながらまどいは果てじ。譬えて云わば、六月ばかり、いと暑き日かげを凌ぎ来たらむ人の、内に入りては、やみのうつつのさだかならで、物の色ふし、あやめも分かれねど、おること久しくなれば、じねんに、かのうつわ物、この調度と、こまかに見分かるるが如し、と同集の文に有り。この集は長嘯子の歌また文を集めたるふみなり。

現代語訳

「源氏物語といって世間でもてはやしている、五十四帖の草子とかいうものを、試しにどんなものかと繰り広げて見たところ、乱れた糸の筋の端が見つからないようで、まったく読み解けませんでしたが、どうしたらよいでしょう」と問う。「そうでしょう。ただ慣れなさい。後々読み進めていけば、そのまま迷いで終わることはありますまい。たとえて言えば、六月頃、たいそう暑い日差しをしのいでやって来た人が、家の中に入ると、闇の中にいるようではっきりせず、物の色や模様も見分けがつかないけれど、しばらくそこにいると、自然にあの器、この調度と、細かく見分けられるようになるのと同じです」と、同じ集の文にある。この集は長嘯子の歌と文を集めた書である。

解説

挙白集の文章から、源氏物語の読み方をめぐる問答を写した段である。源氏を開いてみたが、乱れた糸の端がつかめないようで少しも読めない、と問う人に、ただ慣れよと答える。夏の強い日差しから屋内に入ると初めは真っ暗で何も見えないが、しばらくいれば目が慣れて器や調度が一つ一つ見分けられる、という譬えが見事である。宣長は若い頃から源氏物語を愛読して講釈を重ね、のちに源氏物語玉の小櫛で「もののあはれ」の説を立てた。その宣長がこの一節を書き留めたのは、古典を読むにはまず理屈より慣れが要るという実感に共鳴したからだろう。難しい本や新しい分野に入ったとき、最初の暗さに怯まず、目が慣れるまでとどまることの大切さを教えてくれる。

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