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玉勝間 / 十三の巻 万葉集にあえぬがにと云へる言

萬葉集八の卷に、云云おふる橘、玉にぬく、五月を近み、安要奴我爾、花咲にけり云云、十の卷に、秋づけば、水草の花の、阿要奴蟹、おもへど知らず、ただにあはざればとある、此安要奴を、不交と解たるは誤なり。交は阿閇にて、假字も異なり。橘の玉に阿倍貫などよめるあへと、思ひ混ふべからず。阿要は、木草の實のなる事にて、奴は、いはゆる畢ぬなり。我爾は我禰爾のつづまりたるにて、むこがね后がねなど云ふがねと同言にて、古今集にも、老かくるがになど見え、萬葉には殊に多き辭にて、がねともがにとも有。言の意は、豫て設くる由なり。されば八の卷なるは、實になるべき設ヶに、かねて花の咲ると云へるなり。十の卷なるは、その設々にかねて咲たる花の、實になるべく思へどと云へるにて、戀の成を譬へたるなり。歌の意は、我戀は成べく思へども、いまだ逢ゝざることなれば、猶いかがあらむ、知られずと詠めるなり。又十八の卷橘の長歌に、安由流實波、多麻爾奴伎都追、ともあるを以て、安要は、實になる事を云へりと云ふ事を知るべし、安要安由と活用く言なり。

新字:万葉集八の巻に、云云おふる橘、玉にぬく、五月を近み、安要奴我爾、花咲にけり云云、十の巻に、秋づけば、水草の花の、阿要奴蟹、おもへど知らず、ただにあはざればとある、此安要奴を、不交と解たるは誤なり。交は阿閇にて、仮字も異なり。橘の玉に阿倍貫などよめるあへと、思ひ混ふべからず。阿要は、木草の実のなる事にて、奴は、いはゆる畢ぬなり。我爾は我祢爾のつづまりたるにて、むこがね后がねなど云ふがねと同言にて、古今集にも、老かくるがになど見え、万葉には殊に多き辞にて、がねともがにとも有。言の意は、予て設くる由なり。されば八の巻なるは、実になるべき設ヶに、かねて花の咲ると云へるなり。十の巻なるは、その設々にかねて咲たる花の、実になるべく思へどと云へるにて、恋の成を譬へたるなり。歌の意は、我恋は成べく思へども、いまだ逢ゝざることなれば、猶いかがあらむ、知られずと詠めるなり。又十八の巻橘の長歌に、安由流実波、多麻爾奴伎都追、ともあるを以て、安要は、実になる事を云へりと云ふ事を知るべし、安要安由と活用く言なり。

書き下し

万葉集八の巻に、云云「生うる橘、玉にぬく、五月を近み、あえぬがに、花咲きにけり」云云、十の巻に、「秋づけば、水草の花の、あえぬがに、思えど知らず、ただに逢わざれば」とある、このあえぬを、不交と解きたるは誤りなり。交は阿閇にて、仮字も異なり。橘の玉にあえ貫くなど詠めるあえと、思い混うべからず。阿要は、木草の実のなる事にて、ぬは、いわゆる畢ぬなり。がには我禰爾のつづまりたるにて、むこがね后がねなど云うがねと同じ言にて、古今集にも、老いかくるがになど見え、万葉には殊に多き辞にて、がねともがにとも有り。言の意は、予て設くる由なり。されば八の巻なるは、実になるべき設けに、かねて花の咲けると云えるなり。十の巻なるは、その設けにかねて咲きたる花の、実になるべく思えどと云えるにて、恋の成るを譬えたるなり。歌の意は、我が恋は成るべく思えども、いまだ逢わざることなれば、猶いかがあらむ、知られずと詠めるなり。又十八の巻橘の長歌に、「あゆる実は、玉に貫きつつ」、ともあるを以て、あえは、実になる事を云えりと云う事を知るべし、あえあゆと活用く言なり。

現代語訳

『万葉集』巻八に「……生える橘を玉として緒に貫く五月が近いので、あえぬがにと花が咲いたことだ」云々、巻十に「秋めいてくると、水草の花があえぬがにと思うけれど、分からない、直接に逢っていないので」とある、この「あえぬ」を「交わらない」と解したのは誤りである。「交わる」は「あへ(阿閇)」であって、仮名も違う。橘を玉にあえ貫くなどと詠む「あえ」と混同してはならない。「あえ(阿要)」は、木や草の実がなることで、「ぬ」はいわゆる完了の「ぬ」である。「がに」は「がねに」の縮まったもので、「むこがね(婿の候補)」「きさきがね(后の候補)」などという「がね」と同じ言葉である。『古今集』にも「老いかくるがに」などと見え、『万葉集』にはとくに多い言葉で、「がね」とも「がに」ともある。言葉の意味は、あらかじめ用意することである。だから巻八の歌は、実になるための準備として、前もって花が咲いたと言っているのである。巻十の歌は、その準備として前もって咲いた花が、実を結ぶだろうと思うけれども、と言っているので、恋が実ることをたとえたのである。歌の意味は、私の恋は実るだろうと思うけれども、まだ逢っていないのだから、やはりどうなるか分からない、と詠んだのである。また巻十八の橘の長歌に「あゆる実は玉に貫きつつ」ともあることから、「あえ」は実がなることを言うのだと知るべきである。「あえ」「あゆ」と活用する言葉である。

解説

『万葉集』の「あえぬがに」という難解な句を解いた段である。従来この「あえ」を「交わる」の意に取っていたが、宣長は、「交わる」の「あへ」とは仮名が違うことを指摘し、「あえ」は草木に実がなることだと見定める。根拠は巻十八の「あゆる実」という仮名書きで、「あえ」と「あゆ」が同じ語の活用形だと示す。さらに「がに」を「むこがね」の「がね」と同じく、前もって備える意の語だと説明し、花が実を結ぶ準備として咲くという歌意を引き出す。恋の歌では、花を恋の始まり、実を恋の成就にたとえていることになる。仮名の違いから語を区別し、別の歌の用例から意味を確定するという、この巻に続く万葉考証の典型である。語が定まると、歌の心がはじめて鮮明になる。

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