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玉勝間 / 八の巻 万葉集に見えたる和気と云ふ称

次に家持ノ卿のかへしに、わが君に和氣はこふらし給ひたるつばなをくへどいややせにやす、此わけは、ただに我を云ふに似たれども、然らず。女郞がたはぶれをうけて、その和氣とのたまへる我はと云ふ意なり。かなたの戯の詞を受て、そのままに云ひかへす事、今の世にも有る事なり。又これも、必ず吾妹子と云ふべきを、わが君にと云へるも、女郞が、こなたを和氣と云へるを、打返して、あがめたるたはぶれなり、心をつくべし。上の件ノ和氣の事、斯くまぎらはしき歌ある故に、昔よりよく解得たる人無きを、右の如く心得る時は、皆明らかにして、まぎれ無く、戯奴と書る由も、よく聞えたり。

新字:次に家持ノ卿のかへしに、わが君に和気はこふらし給ひたるつばなをくへどいややせにやす、此わけは、ただに我を云ふに似たれども、然らず。女郎がたはぶれをうけて、その和気とのたまへる我はと云ふ意なり。かなたの戯の詞を受て、そのままに云ひかへす事、今の世にも有る事なり。又これも、必ず吾妹子と云ふべきを、わが君にと云へるも、女郎が、こなたを和気と云へるを、打返して、あがめたるたはぶれなり、心をつくべし。上の件ノ和気の事、斯くまぎらはしき歌ある故に、昔よりよく解得たる人無きを、右の如く心得る時は、皆明らかにして、まぎれ無く、戯奴と書る由も、よく聞えたり。

書き下し

次に家持の卿のかえしに、わが君にわけはこうらし給いたるつばなをくえどいややせにやす、此わけは、ただに我を云うに似たれども、然らず。女郎がたわぶれをうけて、その和気とのたまえる我はと云う意なり。かなたの戯の詞を受けて、そのままに云いかえす事、今の世にも有る事なり。又これも、必ず吾妹子と云うべきを、わが君にと云えるも、女郎が、こなたを和気と云えるを、打返して、あがめたるたわぶれなり、心をつくべし。上の件の和気の事、斯くまぎらわしき歌ある故に、昔よりよく解得たる人無きを、右の如く心得る時は、皆明らかにして、まぎれ無く、戯奴と書る由も、よく聞えたり。

現代語訳

次に家持卿の返しに「わが君にわけは恋うらし賜りたる茅花を食えどいや痩せに痩す(わが君に、このわけめは恋い焦がれているらしい、いただいた茅花を食べても、ますます痩せに痩せていく)」とある。この「わけ」は、ただ自分を言っているようであるが、そうではない。紀女郎の戯れを受けて、「あなたがわけとおっしゃる私は」という意味である。相手の戯れの言葉を受けて、そのまま言い返すことは、今の世にもあることである。またこれも、きっと「吾妹子」と言うべきところを「わが君に」と言っているのも、紀女郎がこちらを「わけ」と言ったのを打ち返して、相手をあがめてみせた戯れである。心をつけて読むべきである。以上の「わけ」のことは、このように紛らわしい歌があるので、昔からよく解き得た人がいないのを、右のように心得るときは、みな明らかになって紛れがなく、「戯奴」と書いたわけもよく分かるのである。

解説

「わけ」をめぐる考証の結びで、家持の返歌を読み解いた段である。紀女郎に「わけ」と呼ばれた家持は、「わが君にわけは恋ふらし」と、その呼び名をそのまま受けて自分を「わけ」と言い、相手を「わが君」とあがめ返す。いただいた茅花を食べても恋のために痩せる一方だと、相手の「召して肥えませ」をもじって返したのである。宣長は、相手の戯れの言葉を受けてそのまま言い返すやり取りは今の世にもあると言い、千年前の恋人たちの軽口を、身近な会話の感覚で読み解いてみせる。巻四、巻八の紛らわしい用例が、この理解で一つに筋が通り、「戯奴」という表記の意味も明らかになる。複数の用例が一つの説明で矛盾なく解けることを確かめて結ぶのは、宣長の考証の型である。古典の恋歌が、生きた人間どうしの機知あるやり取りであったことを実感させる段である。

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