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玉勝間 / 六の巻 ありきぬ

萬葉十四の卷に、安利伎奴乃、佐惠佐惠(○原本左左惡惠)之豆美、十五ノ卷に、安里伎奴能、安里弖能知爾毛、十六ノ卷に、蟻衣之寶之子等など有る、ありきぬは、鮮なる衣なり。阿理とは、あざやかなるを云ふ。あざやかと云ふ言も、即ちありざやかなり。又俗言に、物のあざやかに見ゆるを、ありありと見ゆと云ふも是なり。又月に有明と云ふも、空に月の在て、夜の明る意にはあらず。夜の明がたには、月の影の、殊にあざやかに見ゆる物なればあざやかにて明るよしにて、ありあけの月とは云ふなり。書紀ノ欽明ノ御卷に、髴氈をアリカモと訓るも、鮮なるよしなり。こは後漢書に、天竺國有細布好能氈、と見えたり。さて右の萬葉十四の卷なる歌、四の卷には、珠衣乃と有るを、師は其れをも、ありきぬと訓て、ありきぬを、珠の事に解れたれども、四の卷なるは、たまきぬにて、裳に玉裳と云ふたぐひなり。又十六ノ卷、寶の枕詞に云へるは、鮮なるよき衣を、珍てやむことなくする物をば、たからとする意に續けたるなり。衣服にまれ何にまれ、たからと云ふ、常の事なり。

新字:万葉十四の巻に、安利伎奴乃、佐恵佐恵(○原本左左悪恵)之豆美、十五ノ巻に、安里伎奴能、安里弖能知爾毛、十六ノ巻に、蟻衣之宝之子等など有る、ありきぬは、鮮なる衣なり。阿理とは、あざやかなるを云ふ。あざやかと云ふ言も、即ちありざやかなり。又俗言に、物のあざやかに見ゆるを、ありありと見ゆと云ふも是なり。又月に有明と云ふも、空に月の在て、夜の明る意にはあらず。夜の明がたには、月の影の、殊にあざやかに見ゆる物なればあざやかにて明るよしにて、ありあけの月とは云ふなり。書紀ノ欽明ノ御巻に、髴氈をアリカモと訓るも、鮮なるよしなり。こは後漢書に、天竺国有細布好能氈、と見えたり。さて右の万葉十四の巻なる歌、四の巻には、珠衣乃と有るを、師は其れをも、ありきぬと訓て、ありきぬを、珠の事に解れたれども、四の巻なるは、たまきぬにて、裳に玉裳と云ふたぐひなり。又十六ノ巻、宝の枕詞に云へるは、鮮なるよき衣を、珍てやむことなくする物をば、たからとする意に続けたるなり。衣服にまれ何にまれ、たからと云ふ、常の事なり。

書き下し

万葉十四の巻に、安利伎奴乃、佐恵佐恵(○原本左左悪恵)之豆美、十五の巻に、安里伎奴能、安里弖能知爾毛、十六の巻に、蟻衣之宝之子等など有る、ありきぬは、鮮やかなる衣なり。ありとは、あざやかなるを云う。あざやかと云う言も、即ちありざやかなり。また俗言に、物のあざやかに見ゆるを、ありありと見ゆと云うも是なり。また月に有明と云うも、空に月の在りて、夜の明くる意にはあらず。夜の明けがたには、月の影の、殊にあざやかに見ゆる物なればあざやかにて明くるよしにて、ありあけの月とは云うなり。書紀の欽明の御巻に、髴氈をありかもと訓めるも、鮮やかなるよしなり。こは後漢書に、天竺国に細布、好能氈有り、と見えたり。さて右の万葉十四の巻なる歌、四の巻には、珠衣乃と有るを、師はそれをも、ありきぬと訓みて、ありきぬを、珠の事に解かれたれども、四の巻なるは、たまきぬにて、裳に玉裳と云うたぐいなり。また十六の巻、宝の枕詞に云えるは、鮮やかなるよき衣を、珍でてやむことなくする物をば、たからとする意に続けたるなり。衣服にまれ何にまれ、たからと云う、常の事なり。

現代語訳

万葉集巻十四に「安利伎奴乃、佐恵佐恵(○原本は左左悪恵)之豆美」、巻十五に「安里伎奴能、安里弖能知爾毛」、巻十六に「蟻衣之宝之子等」などとある「ありきぬ」は、鮮やかな衣である。「あり」とは鮮やかなことをいう。「あざやか」という言葉も、すなわち「ありざやか」である。また俗語で、物が鮮やかに見えるのを「ありありと見える」というのもこれである。また月に「有明」というのも、空に月があって夜が明けるという意味ではない。夜の明け方には月の光がことに鮮やかに見えるものなので、鮮やかなまま明けるという意味で「有明の月」というのである。日本書紀の欽明天皇の巻に「髴氈」を「ありかも」と訓んでいるのも、鮮やかだという意味である。これは後漢書に「天竺国に細布や上等の毛氈がある」と見えている。さて右の万葉集巻十四の歌が、巻四では「珠衣乃」となっているのを、師(賀茂真淵)はそれも「ありきぬ」と訓んで、「ありきぬ」を珠のことと解釈されたが、巻四のものは「たまきぬ」であって、裳に「玉裳」というたぐいである。また巻十六で「宝」の枕詞に言っているのは、鮮やかな良い衣を大切にして尊ぶので、その物を宝とするという意味で続けたのである。衣服であれ何であれ、宝というのはいつものことである。

解説

万葉集の「ありきぬ」の意味を、「あり」は鮮やかの意だとして解いた一段である。宣長は、あざやか、ありありと、有明の月、書紀の「ありかも」など、同じ「あり」を含む語を並べて、共通の意味を引き出す。有明の月を、月が残ったまま夜が明けるのではなく、明け方に月の光が鮮やかに見えるからだ、とするのは大胆な説である。今日の辞書では有明は月が有るまま夜が明ける意とするのが一般的で、宣長の語源説には無理なものもある。ただ、師真淵の「珠」説を退け、巻四の表記は「たまきぬ」だと区別する点には、表記の違いを重んじる手堅さがある。語の意味を一つの用例ではなく、同じ根を持つ語の群れから探る方法は、今も語彙研究の基本である。

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