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玉勝間 / 十二の巻 金葉集卯花の歌の事

ある人、金葉集夏ノ部大中臣ノ定長卯花の歌、「うの花の靑葉も見えず咲ぬれば雪と花のみかはるなりけり、此歌の四の句、と文字、一本にはぞと有リ、いづれによりても、聞えがたし。季吟の抄にも、例のさだかなる解なく、契沖の書入と云ふにも此句文字の誤リ有べしとあり。まことに寫し誤れりとは見ゆれど、考へ得ず。いかなる文字の誤にか有らむと問ふに、宣長こたへけらくは。寫し誤リには有れども、こは世のつねの誤。とは異にして唯だ惡しく書きなしたるなり。雪とは名のみにて、もはら雪と見えて、唯だ卯ノ花と云と名のみ、雪とはかはれりと詠めるなるを、かの物知り人たちも、花と書たる文字に、目のまどひて、えさとらざりしなりと云ひければ、此人手をうちて、をこがましくも問ひける事とて、いたくわらひぬ。

新字:ある人、金葉集夏ノ部大中臣ノ定長卯花の歌、「うの花の青葉も見えず咲ぬれば雪と花のみかはるなりけり、此歌の四の句、と文字、一本にはぞと有リ、いづれによりても、聞えがたし。季吟の抄にも、例のさだかなる解なく、契沖の書入と云ふにも此句文字の誤リ有べしとあり。まことに写し誤れりとは見ゆれど、考へ得ず。いかなる文字の誤にか有らむと問ふに、宣長こたへけらくは。写し誤リには有れども、こは世のつねの誤。とは異にして唯だ悪しく書きなしたるなり。雪とは名のみにて、もはら雪と見えて、唯だ卯ノ花と云と名のみ、雪とはかはれりと詠めるなるを、かの物知り人たちも、花と書たる文字に、目のまどひて、えさとらざりしなりと云ひければ、此人手をうちて、をこがましくも問ひける事とて、いたくわらひぬ。

書き下し

ある人、金葉集夏の部大中臣の定長卯花の歌、うの花の青葉も見えず咲きぬれば雪と花のみかわるなりけり、この歌の四の句、と文字、一本にはぞと有り、いずれによりても、聞えがたし。季吟の抄にも、例のさだかなる解なく、契沖の書入と云うにもこの句文字の誤り有るべしとあり。まことに写し誤れりとは見ゆれど、考え得ず。いかなる文字の誤りにか有らむと問うに、宣長こたえけらくは。写し誤りには有れども、こは世のつねの誤りとは異にしてただ悪しく書きなしたるなり。雪とは名のみにて、もはら雪と見えて、ただ卯の花と云う名のみ、雪とはかわれりと詠めるなるを、かの物知り人たちも、花と書きたる文字に、目のまどいて、えさとらざりしなりと云いければ、この人手をうちて、おこがましくも問いける事とて、いたくわらいぬ。

現代語訳

ある人が、「『金葉集』夏の部の大中臣定長の卯の花の歌、『卯の花の青葉も見えず咲きぬれば雪と花のみかはるなりけり』の第四句の『と』の字は、ある本には『ぞ』とあるが、どちらによっても意味が通じにくい。北村季吟の注釈書にも例によって確かな解釈がなく、契沖の書き入れというものにも、この句には文字の誤りがあるのだろうとある。本当に写し誤ったものとは見えるが、考えつかない。どんな文字の誤りであろうか」と尋ねたので、宣長が答えて言うには、「写し誤りではあるが、これは世の普通の誤りとは違って、ただ悪く書き表したのである。『雪と名のみ』であって、まったく雪のように見えて、ただ卯の花という名だけが雪とは違っている、と詠んだのであるのに、あの物知りの人たちも『花』と書いた文字に目が惑わされて、悟ることができなかったのだ」と言ったところ、この人は手を打って、愚かにも尋ねたものだと、たいそう笑った。

解説

金葉集の一首の難解な句を、宣長が鮮やかに解いてみせた逸話である。「卯の花の青葉も見えず咲きぬれば雪と花のみかはるなりけり」の「雪と花のみ」は、季吟の注でも契沖の書き入れでも意味が通らないとされてきた。宣長の答えは、ここは本来「雪と名のみ」で、仮名の「な」を誰かが「花」の字で書き表したために、読む人が皆「はな」と読んで惑ったのだ、というものである。卯の花が青葉も見えないほど咲き満ちると、まったく雪そのもので、違うのは「卯の花」という名だけだ、という歌意がすっきり通る。文字を一つ直すのではなく、書き手が選んだ漢字が読みを誤らせたと見抜いた点が見事である。字面に目を奪われず、音と歌の意味から考える。

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