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玉勝間 / 十二の巻 定家ノ中納言の名もしるしの歌の事

新勅撰集の、定家ノ卿の、山居春曙の歌を、おのれ美濃ノ家づとのをりそへに、名もしるしを、嵐山の事と云へるを、後に思へば、さにはあらず。小倉山の名にて、をぐらき由なり。空のをぐらくなるばかり、櫻の花のしげく散るさまにて、雪と降ると云ふも、雪空のをぐらき由なり。又曙も、いよいよをぐらきによし有。然るを必ずしも曙ならずともと云ひ、又すでに名もしるしと有るうへは、嵐と云ふ事無くてあらばやと云へる、皆おのれあやまりつるなり。

新字:新勅撰集の、定家ノ卿の、山居春曙の歌を、おのれ美濃ノ家づとのをりそへに、名もしるしを、嵐山の事と云へるを、後に思へば、さにはあらず。小倉山の名にて、をぐらき由なり。空のをぐらくなるばかり、桜の花のしげく散るさまにて、雪と降ると云ふも、雪空のをぐらき由なり。又曙も、いよいよをぐらきによし有。然るを必ずしも曙ならずともと云ひ、又すでに名もしるしと有るうへは、嵐と云ふ事無くてあらばやと云へる、皆おのれあやまりつるなり。

書き下し

新勅撰集の、定家の卿の、山居春曙の歌を、おのれ美濃の家づとのおりそえに、名もしるしを、嵐山の事と云えるを、後に思えば、さにはあらず。小倉山の名にて、おぐらき由なり。空のおぐらくなるばかり、桜の花のしげく散るさまにて、雪と降ると云うも、雪空のおぐらき由なり。また曙も、いよいよおぐらきによし有り。然るを必ずしも曙ならずともと云い、またすでに名もしるしと有るうえは、嵐と云う事無くてあらばやと云える、皆おのれあやまりつるなり。

現代語訳

『新勅撰集』に載る定家卿の「山居の春の曙」という題の歌を、私は『美濃の家づと』の「折添え」で、「名もしるし」を嵐山のことだと言ったが、後で考えるとそうではない。小倉山の名で、「をぐらき(小暗い)」という意味である。空が小暗くなるほど桜の花がしきりに散る様子であって、「雪と降る」と言うのも、雪空の小暗い意味である。また曙も、いよいよ小暗いことに縁がある。それなのに「必ずしも曙でなくてもよい」と言い、また「すでに『名もしるし』とあるうえは『嵐』という語は無くてもよかった」と言ったのは、みな私の誤りであった。

解説

藤原定家の歌の解釈について、自著での誤りを認めて改めた段である。歌は新勅撰集の「名もしるし峰の嵐も雪とふる山桜戸のあけぼのの空」で、宣長は新古今集の注釈書『美濃の家づと』の補遺「折添え」で、「名もしるし(名のとおりだ)」を嵐山のことと解し、それなら「嵐」の語は不要だとか、曙でなくてもよいなどと批評していた。後に考え直して、これは小倉山の名に掛けて「をぐらし(小暗い)」を言うのだと悟る。花が空を小暗くするほど散り、雪空のように暗く、曙の薄暗さとも響き合う。宣長は、自分の理解不足を歌の欠点と取り違えていたことを率直に認めている。相手の落ち度と決めつける前に自分の読みを疑え、という教訓である。

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