玉勝間 / 八の巻 すまひのほて又わき
相撲の最手と云ふもの、三代實錄四十九の卷に見えたり。うつほ物語としかげの卷にも、すまひのほてと有り。今の世にいはゆる關なり。西宮記の相撲ノ條に、最手額田成連、與腋宇治部利里、決勝負と有る、腋は、今云ふ關脇なり、小右記にも、常時腋也と有り。又西宮記江家次第などに、助手と有るも腋の事か。さて江家次第に、すまひの事を云へる處に、犢鼻褌上、著狩衣差紐と見え、古今著聞集には、烏帽子袴など着ながら、すそをくくりて、とりたりしやうも見えたり。然るに榮花物語根合ノ卷にははだかなるすがたどもの、並立ちたるぞ、うとましかりけると有れば、昔より、裸にてもとりしにこそ。
新字:相撲の最手と云ふもの、三代実録四十九の巻に見えたり。うつほ物語としかげの巻にも、すまひのほてと有り。今の世にいはゆる関なり。西宮記の相撲ノ条に、最手額田成連、与腋宇治部利里、決勝負と有る、腋は、今云ふ関脇なり、小右記にも、常時腋也と有り。又西宮記江家次第などに、助手と有るも腋の事か。さて江家次第に、すまひの事を云へる処に、犢鼻褌上、著狩衣差紐と見え、古今著聞集には、烏帽子袴など着ながら、すそをくくりて、とりたりしやうも見えたり。然るに栄花物語根合ノ巻にははだかなるすがたどもの、並立ちたるぞ、うとましかりけると有れば、昔より、裸にてもとりしにこそ。
書き下し
相撲の最手と云うもの、三代実録四十九の巻に見えたり。うつほ物語としかげの巻にも、すまいのほてと有り。今の世にいわゆる関なり。西宮記の相撲の条に、最手額田成連、腋宇治部利里と勝負を決す、と有る、腋は、今云う関脇なり、小右記にも、常時は腋なり、と有り。又西宮記・江家次第などに、助手と有るも腋の事か。さて江家次第に、すまいの事を云える処に、犢鼻褌の上に狩衣を著け紐を差す、と見え、古今著聞集には、烏帽子袴など着ながら、すそをくくりて、とりたりしようも見えたり。然るに栄花物語根合の巻には、はだかなるすがたどもの、並立ちたるぞ、うとましかりけると有れば、昔より、裸にてもとりしにこそ。
現代語訳
相撲の「最手(ほて)」というものは、三代実録の巻四十九に見える。うつほ物語の俊蔭の巻にも「すまいのほて」とある。今の世でいう「関(大関)」である。西宮記(源高明の儀式書)の相撲の条に「最手の額田成連と、腋の宇治部利里とが勝負を決した」とある「腋」は、今いう関脇である。小右記(藤原実資の日記)にも「常時は腋である」とある。また西宮記や江家次第(大江匡房の儀式書)などに「助手」とあるのも腋のことであろうか。さて江家次第で相撲のことを述べたところに「ふんどしの上に狩衣を着て紐を差す」と見え、古今著聞集には烏帽子や袴などを着たまま裾をくくって取ったさまも見える。ところが栄花物語の根合の巻には「裸の姿の者どもが並び立っているのは、気味が悪かった」とあるので、昔から裸でも取ったのであろう。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 相撲人犢鼻褌の出立同書の裏書に、予旧記を検ずるに、正暦四年七月廿二日(戊申)、内大臣(右大将)粟田において相撲人に食を給う、(公卿五人会す)、およそ并せて八番、勇力、その後最手、以下五人、犢鼻褌にて庭中に列び立つ、見了りて帰り入る(下略)と有り。犢鼻褌の出立、そのかみより有りし事なりけり。栄華物語の根合の巻にも、すまいの事を云える処に、はだかなるすがたどもの、並み立ちたるぞ、うとましかりけると有り。
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『玉勝間』九の巻 相撲前二日の儀同書、相撲の先二日の儀のところに、次に相撲人進み出でて、御前に列立す、大将天気に随いて仰せて云う、東に向きて分かれよ、次に北に向けと仰す、次に罷り入れと仰す、次に相撲す、と有り。今の世のいわゆる土俵入りは、これに似たり。
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『玉勝間』十二の巻 童相撲三代実録に曰く、貞観三年六月廿八日辛未、天皇前殿に御し、童相撲を観る、これより先近臣頭を分かちて相折り、各左右と為す、右大臣正二位兼行左近衛大将藤原朝臣良相を以て、左方の首と為し、大納言正三位兼行右近衛大将源朝臣定を以て、右方の首と為す、左右の標、并びに楽人・相撲童等、左右の仗下を経て、殿前に入る、九番相撲して、後に勅命有りて停む。左右互いに音楽を奏し、種々の雑伎散楽、透撞・呪郷・弄玉等の戯れ、相撲節の儀の如し。廿九日壬申晦、帝南殿に御し、童相撲を観る、昨の儀の如し。同じ四年秋七月五日壬申、天皇前殿に御し、童相撲を観る、その儀、一に去年の如し。六日癸酉、また同じ殿に御し、童相撲を観る。同じ五年秋七月八日戊戌、天皇南殿に御し、童相撲を観る。
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『玉勝間』九の巻 能と云ふ楽西宮記相撲の条に、相撲了りて能優一番と有り。能優は、猿楽のたぐいと聞こえたり。近き世に、能と云う名はこれなるべし。この能の字は、音態なるべきに、ノウと云うは、昔より誤れるにや。
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『玉勝間』一の巻 官名の事中昔の書どもには、おおきおおいもうちぎみ、またはおおきおとどなど云えるは、右の訓あまり長き故に、政の字をのぞきたる訓なり。また左右大臣は、於保伊万智岐美と有るも、官名につきてもうけられたる訓なり。ただし万豆岐美、万宇智岐美は、古の称にて、麻都岐美なるを、音便に然か云うなり。まえつぎみと云う事、書紀の景行の巻の歌に見えたり。さて和名抄には、右のごとく万宇智岐美と有るを、北山抄・江次第などに、末布知君・万不地起牟多地など書かれたるは、布不は仮字たがいたり。すべて音便に宇と唱うるは、みな宇の仮字なりと心得べし。大納言・中納言・参議・少納言、みな漢字を以てつけられたる官にて訓は字につきてもうけたるなり。弁は於保止毛比、これは上つ代よりの官名と聞こえたり。意はいかなるにか、いまだ考え得ず字もいかなる意をもてあてられたるにか、さだかならず。西宮記・北山抄・小右記などに、大輌火之官と書かれたるは借り字なり。外記・内記・大史・少史・史生・官掌など、皆漢ざまなり。もろもろのつかさの長官を、美加と云うは古なり。次官を須気と云うも古きか、判官を万豆利古止比止と云うは、もうけたる訓なり。佐官は訓見えず。
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『玉勝間』八の巻 馬子西宮記に、馬子六人、馬子四人など見えたり。馬につきたる者なり。今の世に、まごと云うは是れなり。
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