玉勝間 / 十二の巻 称唯の音
續後紀に、承和九年五月、中務大輔從四位下、高階眞人石川卒、從四位下淨階眞人之子也。云云、俄遷少納言、父子相襲居斯職、以富聲音也。時論以爲稱唯之音、細而且高、猶勝於父と見ゆ。いにしへは、稱唯の音などをも、重くして、容易からざりし事、斯くの如し。少納言は、奏宣を掌る職なるか故に、聲音大事なり。
新字:続後紀に、承和九年五月、中務大輔従四位下、高階真人石川卒、従四位下浄階真人之子也。云云、俄遷少納言、父子相襲居斯職、以富声音也。時論以為称唯之音、細而且高、猶勝於父と見ゆ。いにしへは、称唯の音などをも、重くして、容易からざりし事、斯くの如し。少納言は、奏宣を掌る職なるか故に、声音大事なり。
書き下し
続後紀に、承和九年五月、中務大輔従四位下、高階真人石川卒す、従四位下浄階真人の子なり。云云、俄かに少納言に遷る、父子相襲いてこの職に居る、声音に富むを以てなり。時論以為らく称唯の音、細くして且つ高く、なお父に勝ると、と見ゆ。いにしえは、称唯の音などをも、重くして、容易からざりし事、かくの如し。少納言は、奏宣を掌る職なるが故に、声音大事なり。
現代語訳
『続日本後紀』に「承和九年(842)五月、中務大輔従四位下の高階真人石川が卒した。従四位下浄階真人の子である……にわかに少納言に移った。父子が相次いでこの職に就いたのは、声がよかったからである。当時の世評では、称唯(いしょう)の声が細くしかも高く、父よりもなお勝っていたという」と見える。昔は称唯の声なども重んじて、軽々しくなかったことはこのとおりである。少納言は奏上と宣下を司る職であるから、声が大事なのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 称唯世俗浅深秘抄に、称唯の時は口を塞ぎ、警蹕の時は口を開くなりとある、称唯はおおと申す、おは上に宇を帯ぶる音にて、うおおなる故に、塞口とは云えるなり。塞口とあるによりて、うう と云うことと心得るは悪ろし。さて警蹕の声は、おおなるゆえに、開口と云えり。これらにても、於と乎と差別ある事を知るべし。さてついでに云う。称唯は、訓はおおとまうすとあるを、常には音にて、いしょうと云えり。字のままにしょういとは云わずしてかえさまに呼ぶは、いかなる故にか有らむ知らず。八月の公事の定考を、こうじょうと云うと、同じ類いなり。かれはもしくは上皇とひとしく聞ゆるを、憚かりてさけたるなどにもや有らむ。
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『玉勝間』一の巻 位階の正従の訓の事位階の正従の訓、正を於保伊と云い、従を比呂伊と云う。こは天武紀十四年に、更めて爵位の号を改む云々、階毎に大広有り云々とある、この大と広との訓を、うつし用いられたるなり。是等ももとは、於保伎、比呂伎とぞ唱えけむを、ともに伎を伊と云うは、後の音便なり。古今集の序に、柿本の人まろを、おおきみつのくらいと有るは、心得ぬ事ながら、おおいと書かずして、おおきと書けるは、古きにかなえり。
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『玉勝間』四の巻 いらへの声古書に、称唯と書きて、乎乎止申と読めり。然れば古は、上たる人にいらうるにも、乎乎と云えりと聞こゆ。また万葉に、否も諾も。源の信明の集の歌に、いなともうとも云いはてよ。拾玉集の歌に、なようやと云う人だにも無し。なようやは、否や諾やなり、諾は即ち乎乎と同じ。今の世にも、乎乎とも宇宇とも云えり。吉部秘訓抄に、称唯(阿とこれを出ださる)また称唯六度なり、なお阿とこれを出ださるとあるは、乎乎を阿と云える事も有るにや。また同書に、云々官掌敬屈して高声に称唯す(先ず欝音有り)とある、欝音とはいかなる声を云えるにか有らん。宇治拾遺物語に、えいといらえたり、またむといらえて、など云える事あり。牟は宇と同じ、今の世のいらえにも、宇と牟との間の音にて、字字と云う是れなり。大かた今の世のいらえは、波伊・延伊・那伊・開伊などは、深く敬ういらえなり。次に阿伊、次に鼻にかけて阿伊、次に阿阿、次に乎乎、宇宇なり。すべて打ち解けたるいらえは、多く鼻にかけて云えり。斯くしなじななる中に、国ところによりて、いささか異なることどもも有るなり。
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『玉勝間』十二の巻 さかやかすと云へる詞小右記に、大夫の名は隆家、訓読にいえさかやかすと云う、尤も興有る事なり、と有り。さかやかすと云う詞、俗きに似たり。そのかみも、かくも云えりしにこそ。絶やす燃やすなどの例に、さかやすと云うべき事とぞおぼゆる。
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『玉勝間』四の巻 奏寿宣命の儀三代実録十四に云う、貞観九年正月十七日、二品仲野親王薨ず云々、親王能く奏寿宣命の道を解す、音儀詞語、模範と為すに足る、当時の王公、その儀を識ること罕なり、参議藤原朝臣基経・大江朝臣音人に勅して、親王の六条の亭に就きて、その音詞曲折を受け習わしむ、故致仕左大臣藤原朝臣緒嗣、この義を親王に授く、親王襲い持ちて、師法を失わず、と見えたり。この文板本には、一くだりばかり脱けたるを、今は古き写本によりて書き出でつ。さて古えは、奏寿宣命の、後の世の如くなおざりならず、大事なりしこと、これにて知るべし。古き書籍目録に、宣命譜と云う物の見えたるも、その音詞曲折をしるせるふみなるべし。
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『玉勝間』十の巻 鈴奏行幸の時に、鈴の奏と云うこと有り。同じ書の行幸の条の裏書に云う、若し少納言遅参せば、少将相代りて鈴の奏を奉仕す、その儀、囲司奏し了りて、退き帰るの後、左腋門より入り、長楽門の前の橋を経て、進みて版位に就き、揖して奏して云う、御共に持ち仕え奉らむ鈴賜わらむと申す、云々、還御の時は御輿を撤きて後、囲司の奏を待たず、長楽門の前の橋の頭より進み、奏して云う、御共に持ち奉りし鈴進中と申す云々。
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