玉勝間 / 四の巻 いらへの声
古書に、稱唯と書て、乎乎止申と讀めり。然れば古、は、上たる人にいらふるにも、乎乎と云へりと聞ゆ。又萬葉に、否も諾も。源ノ信明ノ集の歌に、いなともうとも云ひはてよ。拾玉集歌に、なやうやと云ふ人だにも無し。なやうやは、否や諾やなり、諾は即チ乎乎と同じ。今の世にも、乎乎とも宇宇とも云へり。吉部秘訓抄に、稱唯(阿被出之也)また稱唯六度也猶阿ト被出之とあるは、乎乎を阿と云へる事も有るにや。又同書に、云云官掌敬屈高聲稱唯(先有欝音)とある、欝音とはいかなる聲を云へるにか有らん。宇治拾遺物語に、えいといらへたり、又むといらへて、など云へる事あり。牟は宇と同じ、今の世のいらへにも、宇と牟との間の音にて、字字と云ふ是れなり。大かた今の世のいらへは、波伊延伊那伊開伊などは、深く敬ふいらへなり。次に阿伊、次に鼻にかけて阿伊、次に阿阿、次に乎乎、宇宇なり。すべて打解けたるいらへは、多く鼻にかけて云へり。斯くしなじななる中に、國ところによりて、いささか異なることどもも有るなり。
新字:古書に、称唯と書て、乎乎止申と読めり。然れば古、は、上たる人にいらふるにも、乎乎と云へりと聞ゆ。又万葉に、否も諾も。源ノ信明ノ集の歌に、いなともうとも云ひはてよ。拾玉集歌に、なやうやと云ふ人だにも無し。なやうやは、否や諾やなり、諾は即チ乎乎と同じ。今の世にも、乎乎とも宇宇とも云へり。吉部秘訓抄に、称唯(阿被出之也)また称唯六度也猶阿ト被出之とあるは、乎乎を阿と云へる事も有るにや。又同書に、云云官掌敬屈高声称唯(先有欝音)とある、欝音とはいかなる声を云へるにか有らん。宇治拾遺物語に、えいといらへたり、又むといらへて、など云へる事あり。牟は宇と同じ、今の世のいらへにも、宇と牟との間の音にて、字字と云ふ是れなり。大かた今の世のいらへは、波伊延伊那伊開伊などは、深く敬ふいらへなり。次に阿伊、次に鼻にかけて阿伊、次に阿阿、次に乎乎、宇宇なり。すべて打解けたるいらへは、多く鼻にかけて云へり。斯くしなじななる中に、国ところによりて、いささか異なることどもも有るなり。
書き下し
古書に、称唯と書きて、乎乎止申と読めり。然れば古は、上たる人にいらうるにも、乎乎と云えりと聞こゆ。また万葉に、否も諾も。源の信明の集の歌に、いなともうとも云いはてよ。拾玉集の歌に、なようやと云う人だにも無し。なようやは、否や諾やなり、諾は即ち乎乎と同じ。今の世にも、乎乎とも宇宇とも云えり。吉部秘訓抄に、称唯(阿とこれを出ださる)また称唯六度なり、なお阿とこれを出ださるとあるは、乎乎を阿と云える事も有るにや。また同書に、云々官掌敬屈して高声に称唯す(先ず欝音有り)とある、欝音とはいかなる声を云えるにか有らん。宇治拾遺物語に、えいといらえたり、またむといらえて、など云える事あり。牟は宇と同じ、今の世のいらえにも、宇と牟との間の音にて、字字と云う是れなり。大かた今の世のいらえは、波伊・延伊・那伊・開伊などは、深く敬ういらえなり。次に阿伊、次に鼻にかけて阿伊、次に阿阿、次に乎乎、宇宇なり。すべて打ち解けたるいらえは、多く鼻にかけて云えり。斯くしなじななる中に、国ところによりて、いささか異なることどもも有るなり。
現代語訳
古い書物に「称唯」と書いて「をを(おお)と申す」と読んでいる。そうであれば、古は目上の人に返事をする時にも「をを」と言ったと思われる。また万葉集に「否も諾も(いなもうも)」とある。源信明の家集の歌に「いなともうとも言い果てよ(いやともはいとも、はっきり言ってしまえ)」、拾玉集の歌に「なやうやと言う人さえもいない」とある。「なやうや」は「否や諾や」であって、「諾(う)」はすなわち「をを」と同じである。今の世にも「をを」とも「うう」とも言う。吉部秘訓抄に「称唯(阿とこれを発声される)」、また「称唯は六度である。やはり阿とこれを発声される」とあるのは、「をを」を「あ」と言うこともあったのだろうか。また同じ書に「云々、官掌が身をかがめて敬い、高い声で称唯する(まず欝音がある)」とあるが、欝音とはどういう声を言ったのであろうか。宇治拾遺物語に「えいと答えた」、また「むと答えて」などと言っていることがある。「む」は「う」と同じで、今の世の返事にも、「う」と「む」の間の音で「字字」と言うのがこれである。おおよそ今の世の返事では、「はい」「えい」「ない」「けい」などは深く敬う返事である。次に「あい」、次に鼻にかけて言う「あい」、次に「ああ」、次に「をを」「うう」である。すべて打ち解けた返事は、多く鼻にかけて言っている。このようにさまざまある中に、国や土地によって少しずつ異なることもあるのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 称唯世俗浅深秘抄に、称唯の時は口を塞ぎ、警蹕の時は口を開くなりとある、称唯はおおと申す、おは上に宇を帯ぶる音にて、うおおなる故に、塞口とは云えるなり。塞口とあるによりて、うう と云うことと心得るは悪ろし。さて警蹕の声は、おおなるゆえに、開口と云えり。これらにても、於と乎と差別ある事を知るべし。さてついでに云う。称唯は、訓はおおとまうすとあるを、常には音にて、いしょうと云えり。字のままにしょういとは云わずしてかえさまに呼ぶは、いかなる故にか有らむ知らず。八月の公事の定考を、こうじょうと云うと、同じ類いなり。かれはもしくは上皇とひとしく聞ゆるを、憚かりてさけたるなどにもや有らむ。
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『玉勝間』一の巻 からぶみ読みのことば漢籍を読むに、世のつねにことなる語の多きは、いと古くより読み来つるままの古語なるが、後に音便にくづれたるなり。曰をノタウマクと訓むは、ノタマハクの音便なり。またノタバクにても有るべし。古言に、フをタブとも云う故に、万葉の歌に、ノタマハクを、ノタバクとも詠めればなり。故をカルガユヱニと訓むは、カルガユエニなるを、カを一つはぶけるなり。是れは音便と云うには有らず。然而をシカウシテと訓むは、シカシテに、ウを添えたるにて、八日をヤウカ、女房をニヨウバウという類なり。是以をコレヲモテと訓まずして、ココヲモテと訓むは、古言のままなり。古言には、コレと云うべきを、ココと云える事つねに多し。さて以をモツテとひきつめて訓むは、例のいやしき音便なり。慮をオモンハカル、以をオモンミルと訓むは、オモヒハカル、オモヒミルなり。垂をナンナントスと訓むは、ナリナムトスなり。然るをナンナンタリとも訓むはひがことなり。欲をホツスと訓むは、ホリスなり。件をクダンノとよむは、クダリノなり。親をシタシンズ、重をオモンズ、賤をイヤシンズと訓むたぐいは、シタシミス、オモミス、イヤシミスにて、皆古言の格なり。
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『玉勝間』一の巻 位階の正従の訓の事位階の正従の訓、正を於保伊と云い、従を比呂伊と云う。こは天武紀十四年に、更めて爵位の号を改む云々、階毎に大広有り云々とある、この大と広との訓を、うつし用いられたるなり。是等ももとは、於保伎、比呂伎とぞ唱えけむを、ともに伎を伊と云うは、後の音便なり。古今集の序に、柿本の人まろを、おおきみつのくらいと有るは、心得ぬ事ながら、おおいと書かずして、おおきと書けるは、古きにかなえり。
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『玉勝間』一の巻 音便の事古語の中にも、いとまれまれに音便あれども、後の世のとはみな異なり。後の世の音便は、奈良の末つかたより、かつがつ見えそめて、世々をふるままに、ようように多くなれり。そは漢字三音考の末に云える如く、おのづから定まり有りて、もろもろの音便五くさを出でず。抑この音便は、みな正しき言にあらず、くづれたるものなれば、古書などを読むには、一つもまじう可きにあらざるを、後の世の物知り人、その本の語をわきまえずして、世のつねに云いなれたる音便のままに読むは、なおざりなる事なり。すべて後の世には、音便の言いといと多くして、まどいやすし。本の語をよく考えて、正しく読むべきなり。中にもンと云う音のことに多き、これもと古言の正しき音にあらず、ことごとく後の音便なりとこころうべし。さてその音便のンの下は、本の語は清音なるをも濁らるる音なれば、皆必ず濁る例なり。たとえばネモコロと云う言を、後にはネンゴロと云うが如し。ンの下のコ文字、本の語は清音なるを、上のモをンと云うにひかれて濁る、みなこの格なり。然るを世の人、その音便のときの濁りに口なれて、正しく読むときも、ネモゴロと、コをにごるはひが事なり。この例多し。心得おくべし。
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『玉勝間』四の巻 御と云ふ詞のつかひざまの一つ源氏物語に、仏の御かりょうびんがの声、御ひとつ腹、御まえわたり、宮の御侍従の乳母、仏の御同じ帳台、宮の御二条の北の方、など有るこれらの御ちょう詞、今の世の心にて思えば、仏のかりょうびんがの御こえ、ひとつ御はら、宮の侍従の御乳母、仏の同じ御帳台、宮の二条の御北の方、と云うべきに、置きどころかわりて聞こゆ、心得おくべし。御まえわたりも、御は、わたりへかかりて、前へはかからず。
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『玉勝間』十二の巻 称唯の音続後紀に、承和九年五月、中務大輔従四位下、高階真人石川卒す、従四位下浄階真人の子なり。云云、俄かに少納言に遷る、父子相襲いてこの職に居る、声音に富むを以てなり。時論以為らく称唯の音、細くして且つ高く、なお父に勝ると、と見ゆ。いにしえは、称唯の音などをも、重くして、容易からざりし事、かくの如し。少納言は、奏宣を掌る職なるが故に、声音大事なり。
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