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玉勝間 / 十二の巻 雪蛍を集めて書読みけるもろこしのふること

もろこしの國に、むかし孫康と云ひける人は、いたく學問を好みけるに、家まづしくして、油を得買はざりければ、夜ルは、雪の光りにて、ふみを讀み、又同じ國に車胤と云ひし人も、いたく書よむ事を好みけるを、これも同じやうにいと貧くて、油をえ得ざりければ、夏の頃は、螢を多く集めてなむ讀みける。此二つの故事は、いといと名高くして、知らぬ人無く、歌にさへなむ多く詠むことなりける。今思ふに、これらもかの國人の、例の名をむさぼりたる、作りことにぞ有ける。其故は、もし油をえ得ずは、よるよるは、ちか隣りなどの家にものして、そのともし火の光を乞ひかりても、書は讀むべし。たとひ其のあかり心に任せず、はつはつなりとも、雪螢には、こよ無くまさりたるべし。又年のうちに、雪螢の有るは、しばしの程なるに、それが無き程は、夜は書讀までありけるにや、いとをかし。

新字:もろこしの国に、むかし孫康と云ひける人は、いたく学問を好みけるに、家まづしくして、油を得買はざりければ、夜ルは、雪の光りにて、ふみを読み、又同じ国に車胤と云ひし人も、いたく書よむ事を好みけるを、これも同じやうにいと貧くて、油をえ得ざりければ、夏の頃は、蛍を多く集めてなむ読みける。此二つの故事は、いといと名高くして、知らぬ人無く、歌にさへなむ多く詠むことなりける。今思ふに、これらもかの国人の、例の名をむさぼりたる、作りことにぞ有ける。其故は、もし油をえ得ずは、よるよるは、ちか隣りなどの家にものして、そのともし火の光を乞ひかりても、書は読むべし。たとひ其のあかり心に任せず、はつはつなりとも、雪蛍には、こよ無くまさりたるべし。又年のうちに、雪蛍の有るは、しばしの程なるに、それが無き程は、夜は書読までありけるにや、いとをかし。

書き下し

もろこしの国に、むかし孫康と云いける人は、いたく学問を好みけるに、家まずしくして、油を得買わざりければ、夜は、雪の光にて、ふみを読み、また同じ国に車胤と云いし人も、いたく書よむ事を好みけるを、これも同じようにいと貧しくて、油をえ得ざりければ、夏の頃は、蛍を多く集めてなむ読みける。この二つの故事は、いといと名高くして、知らぬ人無く、歌にさえなむ多く詠むことなりける。今思うに、これらもかの国人の、例の名をむさぼりたる、作りことにぞ有りける。その故は、もし油をえ得ずは、よるよるは、ちか隣りなどの家にものして、そのともし火の光を乞いかりても、書は読むべし。たとい、その明かり心に任せず、はつはつなりとも、雪蛍には、こよ無くまさりたるべし。また年のうちに、雪蛍の有るは、しばしの程なるに、それが無き程は、夜は書読まで有りけるにや、いとおかし。

現代語訳

中国に、昔、孫康という人は、たいそう学問を好んだが、家が貧しくて油を買うことができなかったので、夜は雪の光で書物を読み、また同じ国の車胤という人も、たいそう書物を読むことを好んだが、これも同じようにたいへん貧しくて油を手に入れられなかったので、夏の頃は蛍をたくさん集めて読んだ。この二つの故事はたいへん名高くて、知らない人は無く、歌にまで多く詠まれている。今思うと、これらもあの国の人の、例の名声を貪る作り話である。その理由は、もし油が手に入らないなら、夜ごとに近所の家などに行って、その灯火の光を頼んで借りてでも書物は読めるはずだ。たとえその明かりが思うにまかせず、わずかなものであっても、雪や蛍よりははるかにましであろう。また一年のうちで雪や蛍があるのはしばらくの間なのに、それが無い間は、夜は書物を読まずにいたのだろうか。まったくおかしなことだ。

解説

「蛍雪の功」の故事を、名声を求める作り話だと切って捨てた段である。晋の孫康は雪明かりで、車胤は蛍を集めてその光で書を読んだという話は、「蛍の光、窓の雪」として日本でも広く知られていた。宣長の反論は明快で、油が無いなら隣家の灯を借りればよく、それがわずかでも雪や蛍よりはるかに明るい、しかも雪や蛍は一年のうちわずかな間しか無いのに、それ以外の時期は読まなかったのか、と問う。美談として疑われずに語り継がれてきた話を、ごく当たり前の生活感覚で吟味しているのである。宣長はこれを、中国人が名声を貪って苦学を飾る「漢様」の偽りの典型と見た。宣長の漢意批判の中には、こうした常識に根ざしたしなやかな懐疑の精神もある。

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