玉勝間 / 十の巻 鈴奏
行幸の時に、鈴ノ奏と云ふこと有り。同書行幸條裏書云、若少納言遲參者、少將相代奉仕鈴奏、其儀、圍司奏了、退歸之後、入自左腋門、經長樂門前橋、進就版位、揖而奏云、御共持仕奉良牟鈴賜良牟止申、云云、還御時撤御輿後、不待圍司奏、進自長樂門前橋頭、奏云、御共持奉鈴進中止申云云。
新字:行幸の時に、鈴ノ奏と云ふこと有り。同書行幸条裏書云、若少納言遅参者、少将相代奉仕鈴奏、其儀、囲司奏了、退帰之後、入自左腋門、経長楽門前橋、進就版位、揖而奏云、御共持仕奉良牟鈴賜良牟止申、云云、還御時撤御輿後、不待囲司奏、進自長楽門前橋頭、奏云、御共持奉鈴進中止申云云。
書き下し
行幸の時に、鈴の奏と云うこと有り。同じ書の行幸の条の裏書に云う、若し少納言遅参せば、少将相代りて鈴の奏を奉仕す、その儀、囲司奏し了りて、退き帰るの後、左腋門より入り、長楽門の前の橋を経て、進みて版位に就き、揖して奏して云う、御共に持ち仕え奉らむ鈴賜わらむと申す、云々、還御の時は御輿を撤きて後、囲司の奏を待たず、長楽門の前の橋の頭より進み、奏して云う、御共に持ち奉りし鈴進中と申す云々。
現代語訳
行幸の時に「鈴の奏(すずのそう)」ということがある。同じ書(北山抄)の行幸の条の裏書にいう。「もし少納言が遅参したら、少将が代わって鈴の奏を務める。その作法は、囲司(闈司か)が奏上し終えて退き帰った後、左腋門から入り、長楽門の前の橋を経て、進んで版位(立ち位置の標)に就き、会釈して奏上して言う、『御供に持ってお仕え申し上げる鈴を賜りたいと申し上げます』云々。還御の時は、御輿を片付けた後、囲司の奏上を待たずに、長楽門の前の橋のたもとから進み出て奏上して言う、『御供に持ってお仕えした鈴をお返し申し上げます』」云々。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞また申さく、天皇が朝廷に仕え奉る親王等・王等・諸臣・百官人等、天の下四方の国の百姓諸々集い侍りて、見たべ尊みたべ歓びたべ聞きたべ、天皇が明庭に茂し世に、八桑枝の立ち栄え仕え奉るべき禱りを聞こしめせと、恐み恐みも申し給わくと申す、これなり。この文、ふるくめでたき事多きを、世に知れる人稀なる故に、今写し出せり。ところどころ文字の誤りおおかるを、今は三四本を合わせ見て互いに善き悪しき中に、善しとおぼしきを撰びてしるしつ。されどなお誤りと見ゆる所々無きにあらず、なお善本を得て正すべきなり。さて今古言を考えて、訓をも加えたるついでに、いささかことの意をも解くべし。第六行なる天都御膳の遠の字は、必ず乃なるべし。遠にても聞ゆるが如くなれども、さては次に瑞穂遠と有る遠と重なれり。由庭仁所知食の知の字は、聞なるべし。第十行の天忍雲根神遠天乃云々、受給波里申仁、これは天忍雲根神遠、神漏岐神漏美命乃前仁、受給波里申仁、天乃二上仁奉上弖と、語を次第て見れば、よく聞ゆるなり。宇都志国乃水了の了の字は、尸とも加とも有り、皆誤りなり、かならず仁なるべし。天都水加加の立の字は、弖を誤れるなり。申遠里は心得ず、必ず申世止と有るべき処なり。
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『玉勝間』四の巻 奏寿宣命の儀三代実録十四に云う、貞観九年正月十七日、二品仲野親王薨ず云々、親王能く奏寿宣命の道を解す、音儀詞語、模範と為すに足る、当時の王公、その儀を識ること罕なり、参議藤原朝臣基経・大江朝臣音人に勅して、親王の六条の亭に就きて、その音詞曲折を受け習わしむ、故致仕左大臣藤原朝臣緒嗣、この義を親王に授く、親王襲い持ちて、師法を失わず、と見えたり。この文板本には、一くだりばかり脱けたるを、今は古き写本によりて書き出でつ。さて古えは、奏寿宣命の、後の世の如くなおざりならず、大事なりしこと、これにて知るべし。古き書籍目録に、宣命譜と云う物の見えたるも、その音詞曲折をしるせるふみなるべし。
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『玉勝間』七の巻 天皇御元服の時のことぶき同別記、久安六年正月四日、近衛天皇御元服の儀式の中に曰く、東に進みて御前に当たり北面し、壁代の外の畔に留まり立ち、磐折して祝詞を奏すらく、御酒これ厚く、御肴これ嘉し、赤花て敬い祭り賜わば、もろもろの神たち悦びたまい、遺の味を嘗め賜わば、御躰平らかに御坐して、天地の休き事を、日月と共に受け保ち賜い、手長の御世の、遠き御世に、貴く戴き重ね御坐せと申す、また御冠を加え奉るところに曰く、御前に当たり進み、壁代の外の畔に留まり立ち、(揖せず)磐折して奏す、祝詞、その詞に云う、掛けまくも畏き天皇が朝廷、今月の吉日に、御冠加え賜いて、盛りに美しき御負い人と成り賜いぬ、天つ神地つ祇相悦び、護り幸え奉り賜いて、御寿長く久しく、宝位動き無く御坐せと申す、と見えたり。この二つの祝詞、文いとつたなし。はじめなるは、殊に拙し。今仮字づけも何も、本のままにしるせるを、かなづきなど、後に写し誤れりと見ゆる所々も有れど、もとよりいと拙きさまなり。古言のかたちの、ほのぼのまじれるは、古きかたの有りしが、つぎつぎに崩れて、かく拙くは成れるなるべし。この頃はやく、古語はむげにすたれ果てて、知れる人も無かりしと見えたり。おくなるは、ことも無けれど、天皇の御事を、天皇が朝廷と有るは、いみしき誤りなり。古語に天皇が朝廷とは、朝廷をこそ申せれ、天皇を然申せる事無し。
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