玉勝間 / 四の巻 奏寿宣命の儀
三代實錄十四云、貞觀九年正月十七日、二品仲野親王薨云云、親王能解奏壽宣命之道、音儀詞語、足爲模範、當時王公、罕識其儀、勅參議藤原朝臣基經、大江朝臣音人、就親王六條亭、受習其音詞曲折焉、故致仕左大臣藤原朝臣緒嗣、授此義於親王、親王襲持、不失師法焉、と見えたり。此文板本には、一くだりばかり脫たるを、今は古き寫本によりて書出つ。さて古へは、奏壽宣命の、後の世の如くなほざりならず、大事なりしこと、これにて知るべし。古き書籍目錄に、宣命譜と云ふ物の見えたるも、その音詞曲折をしるせるふみなるべし。
新字:三代実録十四云、貞観九年正月十七日、二品仲野親王薨云云、親王能解奏寿宣命之道、音儀詞語、足為模範、当時王公、罕識其儀、勅参議藤原朝臣基経、大江朝臣音人、就親王六条亭、受習其音詞曲折焉、故致仕左大臣藤原朝臣緒嗣、授此義於親王、親王襲持、不失師法焉、と見えたり。此文板本には、一くだりばかり脱たるを、今は古き写本によりて書出つ。さて古へは、奏寿宣命の、後の世の如くなほざりならず、大事なりしこと、これにて知るべし。古き書籍目録に、宣命譜と云ふ物の見えたるも、その音詞曲折をしるせるふみなるべし。
書き下し
三代実録十四に云う、貞観九年正月十七日、二品仲野親王薨ず云々、親王能く奏寿宣命の道を解す、音儀詞語、模範と為すに足る、当時の王公、その儀を識ること罕なり、参議藤原朝臣基経・大江朝臣音人に勅して、親王の六条の亭に就きて、その音詞曲折を受け習わしむ、故致仕左大臣藤原朝臣緒嗣、この義を親王に授く、親王襲い持ちて、師法を失わず、と見えたり。この文板本には、一くだりばかり脱けたるを、今は古き写本によりて書き出でつ。さて古えは、奏寿宣命の、後の世の如くなおざりならず、大事なりしこと、これにて知るべし。古き書籍目録に、宣命譜と云う物の見えたるも、その音詞曲折をしるせるふみなるべし。
現代語訳
三代実録の巻十四に言う。「貞観九年(867年)正月十七日、二品仲野親王が薨じた云々。親王はよく奏寿宣命の道を心得ていて、その声の出し方と言葉遣いは模範とするに足りた。当時の王や公卿でその作法を知る者はまれであった。(天皇は)参議藤原朝臣基経と大江朝臣音人に勅して、親王の六条の邸に行って、その声と言葉の抑揚を習い受けさせた。故致仕左大臣藤原朝臣緒嗣が、この作法を親王に授け、親王はそれを受け継いで、師の法を失わなかった」と見える。この文は版本では一行ほど脱けているのを、今は古い写本によって書き出した。さて古は、奏寿宣命が後の世のようにいい加減なものではなく、大事なことであったと、これで知るべきである。古い書籍目録に「宣命譜」というものが見えるのも、その声と言葉の抑揚を記した書であろう。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞また申さく、天皇が朝廷に仕え奉る親王等・王等・諸臣・百官人等、天の下四方の国の百姓諸々集い侍りて、見たべ尊みたべ歓びたべ聞きたべ、天皇が明庭に茂し世に、八桑枝の立ち栄え仕え奉るべき禱りを聞こしめせと、恐み恐みも申し給わくと申す、これなり。この文、ふるくめでたき事多きを、世に知れる人稀なる故に、今写し出せり。ところどころ文字の誤りおおかるを、今は三四本を合わせ見て互いに善き悪しき中に、善しとおぼしきを撰びてしるしつ。されどなお誤りと見ゆる所々無きにあらず、なお善本を得て正すべきなり。さて今古言を考えて、訓をも加えたるついでに、いささかことの意をも解くべし。第六行なる天都御膳の遠の字は、必ず乃なるべし。遠にても聞ゆるが如くなれども、さては次に瑞穂遠と有る遠と重なれり。由庭仁所知食の知の字は、聞なるべし。第十行の天忍雲根神遠天乃云々、受給波里申仁、これは天忍雲根神遠、神漏岐神漏美命乃前仁、受給波里申仁、天乃二上仁奉上弖と、語を次第て見れば、よく聞ゆるなり。宇都志国乃水了の了の字は、尸とも加とも有り、皆誤りなり、かならず仁なるべし。天都水加加の立の字は、弖を誤れるなり。申遠里は心得ず、必ず申世止と有るべき処なり。
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『玉勝間』八の巻 口状三代実録十三の巻、宣命の中に、口状と云うこと有り、今の世に口上と云うは是れなり。口状を口上と書くは、物語書に、几帳を几丁、本性を本上と書けるたぐいなり。
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『玉勝間』五の巻 とみにと云ふ言には早ノ字を書クべき事三代実録十三の巻なる宣命に、とみに罪なえ賜わず、と有る。この早の字、とみにと訓むべし。この詞によくあたれる所なり。つとにと訓めるは、あたらず。
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞その中に、上に引きたる左京二条座二座神は、大社の列にだに入り給わざるに、この祭に預かり給うことは、新嘗に殊なる故ある神なるべし。明良志は、理を延べて良志と云えるにて、阿加理なり。事仁は、下の奉仕と云うへ続く辞なり。食倍はみな多倍と訓むべし、給えと云う事なり。さて聞食倍の下に、弖と云う辞を添えて心得べし。天皇明庭の明の字は、朝の誤りなり。禱乎所聞食止は、一本には称辞竟奉良久止と有り、これも悪しからず。さて天忍雲根神云々の事、伊勢の外宮の書どもに、天村雲命の事として記せり。同じ神にやあらむ。さてこの寿詞を申す事は、辰の日豊楽院に幸し、悠紀の帳に御す、神祇官の中臣、賢木を笏に執りそえて、南門より入る。版位につき跪きて、天つ神の寿詞を奏すと、大嘗祭式に見えたり。わすれたり、大嘗会乃斎場とある会の字は、宮を誤れるなるべし
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『玉勝間』十の巻 鈴奏行幸の時に、鈴の奏と云うこと有り。同じ書の行幸の条の裏書に云う、若し少納言遅参せば、少将相代りて鈴の奏を奉仕す、その儀、囲司奏し了りて、退き帰るの後、左腋門より入り、長楽門の前の橋を経て、進みて版位に就き、揖して奏して云う、御共に持ち仕え奉らむ鈴賜わらむと申す、云々、還御の時は御輿を撤きて後、囲司の奏を待たず、長楽門の前の橋の頭より進み、奏して云う、御共に持ち奉りし鈴進中と申す云々。
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『玉勝間』九の巻 人ノ名を文字音に云ふ事人の名を、世に文字の音にて呼びならえる事、古くは、時平の大臣、多田の満仲、源の頼光、安倍の晴明などのごとき有り。やや後には、俊成卿・定家卿、家隆卿、鴨の長明など、もはら文字ごえにのみ云いならえり。琵琶ほうしの、平家物語を語るを聞くに、常にはさもあらぬ、もろもろの人の名どもも、多くは文字ごえに物すなるは、当時ことに、世の中にさかりなりし事なめり。
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