玉勝間 / 十二の巻 第五の音にはたらく言、得のはたらき
もろもろの用言、第一の音より第四の音までに活きて、第五の音にはたらくは無きを、來の、許とも活くのみ、第五の音なるは、いと珍らしき事なり。又もろもろの言の中に、阿行の音にて活くは無きに、得のみ、阿の行なる、宇延と活くは、これも又いと珍らし。
新字:もろもろの用言、第一の音より第四の音までに活きて、第五の音にはたらくは無きを、来の、許とも活くのみ、第五の音なるは、いと珍らしき事なり。又もろもろの言の中に、阿行の音にて活くは無きに、得のみ、阿の行なる、宇延と活くは、これも又いと珍らし。
書き下し
もろもろの用言、第一の音より第四の音までに活きて、第五の音にはたらくは無きを、来の、ことも活くのみ、第五の音なるは、いと珍らしき事なり。また、もろもろの言の中に、あ行の音にて活くは無きに、得のみ、あの行なる、うえと活くは、これもまたいと珍らし。
現代語訳
すべての用言は、五十音の各行の第一の音から第四の音までで活用して、第五の音で活用するものは無いのに、「来」が「こ」とも活用することだけが第五の音であるのは、たいへん珍しいことである。また、すべての言葉の中でア行の音で活用するものは無いのに、「得」だけがア行の「う・え」と活用するのも、これもまたたいへん珍しい。
解説
動詞の活用について、宣長が五十音図の上で見つけた二つの例外を記した段である。五十音図の各行の第五の音、すなわちオ段で活用する動詞は普通無い、というのが宣長の観察である。その中で「来」だけが「こ(来)」とオ段の音に活用する。また、ア行で活用する動詞はほかに無いのに、「得」だけが「う・え」とア行で活用する。いずれも現代の文法でカ行変格活用、ア行下二段活用として特別扱いされる語である。宣長は用言の活用を五十音図の縦横の体系の中に位置づける研究を進め、その成果は『御国詞活用抄』などにまとめられた。規則を突き詰めたからこそ、例外が例外として浮かび上がる。体系的に見る目があってはじめて、珍しさに気づけるのである。
関連する章句
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