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玉勝間 / 十二の巻 木綿の布

いにしへ木綿と云ひし物は、穀の木の皮にて、そを布に織たりし事、古、はあまねく常の事なりしを、中むかしよりこなたには、紙にのみ造りて、布に織る事は、絕たりとおぼえたりしに、今の世にも、阿波ノ國に、太布と云ひて、穀の木の皮を糸にして織れる布有、色白くいとつよし。洗ひても、のりをつくる事なく、洗ふたびごとに、いよいよ白くきよらになるとぞ。此事、出雲ノ國の千家ノ淸主のもとより、近き程、書のついでに、云ひおこせて、かの國より得たりとて、その小きさいでを、見せにおこせられたるを見るに、げにいとかたく、色白くきよらなる布にぞ有ける。こはかの阿波、國人に、猶よく尋ねあきらめまほしき事なり。又これを思へば、他の國國にも、あるところ有べきを、ひろく尋ね知らまほしきわざなりかし。

新字:いにしへ木綿と云ひし物は、穀の木の皮にて、そを布に織たりし事、古、はあまねく常の事なりしを、中むかしよりこなたには、紙にのみ造りて、布に織る事は、絶たりとおぼえたりしに、今の世にも、阿波ノ国に、太布と云ひて、穀の木の皮を糸にして織れる布有、色白くいとつよし。洗ひても、のりをつくる事なく、洗ふたびごとに、いよいよ白くきよらになるとぞ。此事、出雲ノ国の千家ノ清主のもとより、近き程、書のついでに、云ひおこせて、かの国より得たりとて、その小きさいでを、見せにおこせられたるを見るに、げにいとかたく、色白くきよらなる布にぞ有ける。こはかの阿波、国人に、猶よく尋ねあきらめまほしき事なり。又これを思へば、他の国国にも、あるところ有べきを、ひろく尋ね知らまほしきわざなりかし。

書き下し

いにしえ木綿と云いし物は、穀の木の皮にて、そを布に織りたりし事、古は、あまねく常の事なりしを、中むかしよりこなたには、紙にのみ造りて、布に織る事は、絶えたりとおぼえたりしに、今の世にも、阿波の国に、太布と云いて、穀の木の皮を糸にして織れる布有り、色白くいとつよし。洗いても、のりをつくる事なく、洗うたびごとに、いよいよ白くきよらになるとぞ。この事、出雲の国の千家の清主のもとより、近き程、書のついでに、云いおこせて、かの国より得たりとて、その小さきさいでを、見せにおこせられたるを見るに、げにいとかたく、色白くきよらなる布にぞ有りける。こはかの阿波の国人に、なおよく尋ねあきらめまほしき事なり。またこれを思えば、他の国々にも、あるところ有るべきを、ひろく尋ね知らまほしきわざなりかし。

現代語訳

昔「ゆふ(木綿)」と言った物は、穀(かじ)の木の皮であって、それを布に織ったことは、昔は広く普通のことであったのに、中ごろの昔からこのかたは紙にばかり作って、布に織ることは絶えてしまったと思っていたところ、今の世にも阿波国に「太布(たふ)」と言って、穀の木の皮を糸にして織った布があり、色が白くてたいへん丈夫である。洗っても糊をつけることがなく、洗うたびにいよいよ白く美しくなるという。このことは、出雲国の千家清主のもとから、近ごろ手紙のついでに言ってよこして、その国から手に入れたといって、その小さな切れ端を見せに送ってこられたのを見ると、なるほどたいへん丈夫で、色の白い美しい布であった。これはあの阿波国の人に、なおよく尋ねて明らかにしたいことである。またこれを思うと、ほかの国々にもある所があるはずだから、広く尋ねて知りたいことである。

解説

古代の「木綿(ゆう)」が、楮(こうぞ)の類の穀の木の皮の繊維で織った布であったことを、今に残る実物から確かめた段である。今の木綿(もめん)とは別物で、祝詞や万葉集に見える木綿は、神事の幣や衣に用いられた樹皮の布であった。宣長は、中世以降は紙の原料になるばかりで布に織る技は絶えたと思っていたが、出雲大社の社家で門人でもあった千家清主(俊信)から、阿波に太布という樹皮の布が今も織られていると知らされ、切れ端まで送られてきた。手に取れば、確かに丈夫で白く美しい布であった。宣長はさらに阿波の人に詳しく尋ねたい、他国にもあるはずだから広く知りたいと結ぶ。古語の実体を、今に生きる技と品物の中に探し出す喜びが伝わる。

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