玉勝間 / 十二の巻 檀紙と高檀紙とは別なる事
同書に、御製御懷紙、高檀紙否事云云、御製高檀紙被遊了、中殿御會以前ハ、普通檀紙候歟云云。
新字:同書に、御製御懐紙、高檀紙否事云云、御製高檀紙被遊了、中殿御会以前ハ、普通檀紙候歟云云。
書き下し
同じ書に、御製の御懐紙、高檀紙か否かの事云云、御製は高檀紙に遊ばされ了んぬ、中殿の御会以前は、普通の檀紙に候か云云。
現代語訳
同じ書(園太暦)に「御製の御懐紙は高檀紙か否かのこと……御製は高檀紙にお書きになった。中殿の御会より前は、普通の檀紙でございましょうか」うんぬんとある。
解説
檀紙と高檀紙とは別の紙であることを、同じく『園太暦』の一節で示した抜き書きである。檀紙はもと檀(まゆみ)の樹皮から漉いたと伝える厚手で縮緬のような皺のある上質の紙で、公文書や儀礼に用いられた。その中でも特に大判で上等のものを高檀紙と呼んだ。宮中の歌会で天皇の御製を書く懐紙を高檀紙にするかどうかが問われ、中殿の御会(清涼殿での晴れの歌会)より前は普通の檀紙だったかと記されているから、二つは使い分けられる別物だったことが分かる。宣長は題にその結論だけを掲げ、証拠の一文を添えて済ませている。紙の種類という細かな有職の知識も、場の格式と結びついていたのである。道具や素材の違いが礼の重さを表していた時代の感覚を、この短い記録が伝えている。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 杉原と云ふ紙園大暦に曰わく、康永三年二月二十一日、今日予左大臣の表状を上る、草の事云云、尋常の榲原(二枚之を続ぐ)、礼紙を加えず(先例に違う如何)、本儀の事、高檀紙に礼紙を加うべきなり、但し榲原又常の事、と有り。杉原と云う紙、是れより先のふみにも見えたるか、知らねど、見あたりたるままに。
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『玉勝間』七の巻 たたう紙園太暦に、徳大寺の前の内大臣より、公賢の大臣に、くさぐさの事ども問いたまえる、条々の中に、一帖紙は沙汰に及ばざるの由、仰せを蒙り候いし、只朝夕用い候、白く候やらん、もし薄などちと散ばみたる物にや候べき、現在鼻垂れ候わば、取り出だすべきの間、之有るべき様、大切に候か、公卿已後も、薄様の帖紙持ちたる事も、よそには見及び候いし、これはもし夏の事に候やらん、紅の帖紙、古物をば持ちて候と有り。帖紙は、今の世ふところにもつ、はな紙の事なり。
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『玉勝間』十四の巻 紙の用紙の用、物を書く外にいと多し。まず物を包む事、拭うこと、また箱籠の類いに張りて器となす事。又こうより、かんでうよりと云う物にして、物を結う事などなり。これらの外にもなおことにふれて多かるべし。然るにもろこしの紙はただ物を書くにのみ宜しくて、件の事どもにはいといと不便にぞありける。かくて皇国には国々より出ずる紙の品いといと多くて、厚きうすき、強きやわらかなる、さまざまあげも尽くしがたけれど、物書くにはなお唐の紙に及ぶものなし。人はいかがおぼゆらむ知らず。我は然おぼゆるなり。
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『玉勝間』一の巻 歌の御会のめぐらし文甘露寺権大納言元長卿記に云う、永正五年正月十四日、和哥御会の廻文を書き、釜殿を以て之を遣わす、鷺に慶音有り、右の御題、来る十九日披講有るべし、予参せしめ給うべき由、仰せ下され候なり、正月十四日、元長、中御門大納言殿、(この所同じつらに廿三人の名あり)袖書に尅限は午の一点たるべきなり、丞相には別紙の折紙を以て之を相触る。
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『玉勝間』十の巻 たんざく三代実録廿七の巻に、短籍と見え、また卅五の巻に、短冊とも見えたり。但し歌を書く物にはあらず。
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『玉勝間』十四の巻 短籍書紀の斉明天皇の御巻に、或本に云う、有間皇子と云云短籍を取りて、謀反の事をトうとある。短籍と云う物、これに始めて見えたり。ヒネリブミと訓めり。続紀十の巻にも見え、その後の書どもにも、おりおり見えたり。続紀なるも、ひねりぶみと云いてよろし。されどこの物、ひねりぶみには限らず。何事にまれ、ただいささかの事を書く物なり。但し歌を書くは、遥かに後のことなり。
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